2015年1月17日Briefing

  • テロとイスラム – 暴虐のあとで

シャルリー・エブドとユダヤ食材スーパーマーケットへの襲撃はフランス人をまとめたが、それは長続きしないかもしれない

テロ事件の概略、フランス社会の背景、ル・ペンを中心とした今後の見通しについての記事。

 

  • フランスの反ユダヤ感情 – フランスのユダヤ人が直面する危険への遅ればせながらの注意

2014年12月の始めに、パリ南東部のクレテイユのアパートに武装した3人の男が押し入り、若い女性とそのボーイフレンドを縛り上げ、女性を強姦し、二人から金品を奪った。「ユダヤ人め、金もってんだろ。」彼等はそのカップルにいった。数日後、内務大臣は1000人かそこらの人々に混じって反ユダヤのデモに参加し、大統領八草の攻撃を「我慢できない」と表現した。しかし、その事件はより広い無関心に受け流された。

4人のユダヤ人男性が殺された最近のスーパーマーケットへの攻撃のずっと前から、フランスのユダヤ人は、反ユダヤの平凡化と呼ぶ人もいるものについて懸念されていた。ユダヤ人を狙った事件が頻発しているのだ。

フランス人の大部分(89%)はユダヤ人を「好ましい」とみているというが、2014年の最初の7ヶ月間で反ユダヤ的な行動は前年比で2倍近くになっている。すでに、フランスは2014年にイスラエルに前年の倍となる7000人を移民として送り出しており、最大の移民出発国となっている。ユダヤ人指導者の中には、フランスを去ることはテロに譲歩することだろうと警告するものもいる。ネタニヤフ氏を含んだ多くが認めるように、1月9日のスーパー襲撃の時に、かなりの数の買い物客を冷凍室の中に避難させたのは、若いムスリムだった。

 

  • 反テロリズム – 難しくなっている

西側の治安機関は、かつて頼っていた能力を失っている

治安機関の限界についてLeadersの内容を深めた記事

 

  • ヨーロッパでの反応 – 今のところは、団結

ヨーロッパのムスリムへの過剰な反発は、殺し屋たちの手の中で遊ぶことになるだろう

2010年に当時のドイツ大統領クリスティアン・ヴルフが「イスラムはドイツの一部だ」との意見を声にしたとき、それは議論を呼んだ。PEGIDA運動はそれが広くいけ入れられているとはとてもいえないことを示している。しかし、1月11日の集会で首相のアンゲラ・メルケルが同じ主張を繰り返したとき、それは彼女がパリでの攻撃の余波の中でその国の精神を表現しているように感じられた。パリの攻撃に対してのほとんどのヨーロッパの首脳の反応は、メルケル女史に似たような物だった。しかし、テロに対する不安は、その大陸中で膨らんでいる。

英国、オランダ、デンマーク、そしてこれまでそれほど組織的な反イスラム政治活動がなかったイタリアでさえも、そしてここドイツでも、反イスラムの運動が盛り上がり、社会分断の気配が出ている。ただ一つ、ロシアだけはイスラムと国民統合についての痛みを伴う議論を見つけているかもしれない。そこでは、パリでの襲撃がCIAによる偽幡作戦だと報じているのだ。

 

  • ムスリムの反応 – ニュアンスが聞き取りにくいとき

多くの非難、いくらかの警告

ヨーロッパ内のムスリムはほとんどが攻撃に批判的だが、警告する人もいる。ヨーロッパの民主主義野中での生活は、人々の考え方を変えているのだ。嫌いな物を見たり聞いたりする費用よりも、いいたいことを何でもいえる利益の方が遙かに大きいのだと。

 

  • ジハーディズムのルーツ – イスラム主義者の暴力は最近の歴史よりも信仰の要旨から来ている

西側の人の多くはパリでの攻撃をイスラム教が改革、もっと言えば完全な宗教改革を必要としている証拠だと見なしている。彼等は自分たちが望んでいることに注意すべきだ。宗教の改革はやっかいな仕事で、必ずしも優しいものである必要はない。実際、パリ事件を起こしたようなジハーディストたちは、自分たち自身を改革者だと見なしている。彼等の目標は500年前のヨーロッパの宗教改革を求めた人たちが望んだものを和らげたようなものではないが、その過程には少なくとも一つの類似点がある。ヨーロッパの宗教改革のあとに起こった宗教戦争のように、ジハーディストによって犯された暴力の最悪のものは宗教が同じ人が感じていると言うことだ。再起したイスラム原理主義の犠牲者のほとんどはムスリムなのだ。

イスラムは、マホメッドがその宗教と国を同時に作ったときから、その両者の分離を決して認めていない。20世紀の間に中東で打ち立てられた植民地語の国家でこれを調和させようという試みは、難しいものだとわかっている。これらの近代国家が政治的抑圧と経済的停滞の結びついた専制政治に陥ったとき、更に難しくなっている。そのような停滞は、ほとんどのアラブ諸国で人口の多くを占める若者にとって特にきつくなっている。彼らは金がなければ家族を持つことができず、人生から宗教以外の意味を奪っている。

信心深い人々にとって、これらの悲惨な状況はイスラムのせいにはなり得ない。だから、近代化した西側をまねるよりむしろ、そして最近の歴史のほとんどでそうしてきたように西側のの時勢に入り込むよりもむしろ、ムスリムは彼等の信仰に特有の政治と政府の新たな形態を作り出すべきだ、との議論が起こるのだ。シーア派では、その最高峰は1979年のイラン革命だった。スンニ派では、初期イスラム時代であるサラフからその名前と考えをとっているサラフィー主義が、この不平につけ込んでいる。

現代ジハーディズムの最初の大きな成長機会は1979年のソヴィエトアフガン侵攻の時だった。サウジアラビア、パキスタン、アメリカに支持された戦士たちが敵を追い出したあとに、彼等は「遙かな敵」に新たな関心を持ったアル・カーイダを作り出した人々と一緒に、新たな敵を見つけた。アメリカとその他西洋諸国だ。2001年のアメリカへの攻撃とそれに誘発されたアフガンとその後のえらくへの新たな侵入で、アル・カーイダはそれが影響を及ぼしたジハーディズムの一種が以前よりも遙かに広がる環境を作り出した。

多くの人が、今ではISがアル・カーイダを超えてもっとも悪名高い現在のジハーディズムの代表者だと考えている。ISはその先行者の考えの多くを分かち合っているが、それよりも遙かに無差別的に殺している。アル・カーイダすらもその残虐性を非難しているのだ。そして、その指導者たちは西側での殺人を要求しているが、彼等の主たる狙いは新たなカリフ制によってその領域を支配することだ。スンニ派イスラム主義者の、宗教的な考えを選び出し文脈の中から取り出す能力は、いくらかはスンニ派イスラムに尊敬される宗教的権威が欠如しているために出てきたものだ。

インドネシアのような比較的繁栄し平和で民主主義を実践しているムスリム多数派の国は、現在のイスラムも寛容であり得ることを示している。そして、エジプトやチュニジアのようにアラブ世界の流血の中にも積極的な兆候があるかもしれない。しかし、ほとんどの学者は、ジハーディズムの背後にある要素は、その地域のムスリム多数派社会が繁栄し政治的社会的に自由になったときにのみ弱まると考えている。アラブ社会の指導者は誰もそれに向かって大きく進んではいない。

発行日: 
2015-01-17
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