ストライキ中の超大国

アメリカ人は本当に孤立主義者にはなっていない

1940年の長い暑いワシントンの夏のある夜、アメリカ人たちがいかにヨーロッパでの戦争を取り扱うかを議論するとき、フロリダ州選出上院議員クラウド・ペッパーは、警察から電話を受け、彼の偶像をどうするかを尋ねられた。しばしの困惑の後で、ペッパー氏は彼の名前を掲げた等身大の人形が、車の後ろのキャピトルヒルの周りで引きずられる前に、上院の前の樫の木につるされていたことを知った。その私刑は、帽子をかぶった怒れる女性たちによって行われた。彼が若者に強制軍事訓練を受けさせるよう要求したことに激怒した孤立主義者の母親たちの運動のメンバーたちだった。

その夏に、何千人もの女性のデモ参加者が、議会をうろついた。しばしば喪服を着た彼女たちは、その息子たちを殺す陰謀を巡らすメンバーたちに叫んで唸り声を上げた。政治家たちも落ち着いてはいなかった。相争う上院議員たちは、お互いを戦争の受益者だと呼び合った。最初の戦いは、一人の議員が同僚議員を「裏切り者」と怒鳴ったことで下院で起こった。ドイツ軍がヨーロッパを席巻した時でさえ、共和党のhaul-up-the-draw-bridge wing(孤立主義右派)の指導者のひとり、オハイオ州選出のロバート・タフト上院議員は、フランクリン・ルーズヴェルト大統領の大きな政府政策は、ナチズムよりも危険な「結構なもの」だと宣言した。

そのような光景は、現在の、たいていは気取った、シリアについての論争の全体像に入っている。アメリカは、2冊の新しい歴史書リン・オルソンの「Those Angry Days」とスーザン・ダンの「1940」の中で鮮やかにとらえられている1940年を追体験していない。だが、強力なこだまを聞くことができる。建国の父たちは、外国の縺れに注意するよう言った。海外への介入要求の疑念は、以来満ち引きしており、戦争疲れの時に上がっている。だから、1940年はそのもっとも純粋な形で孤立主義の現代の高みを記録した。それから、現在のように、軍事介入への反対が右からも左からもやってきて、最近の戦いの痛い記憶に反応するぎこちない連合を作っていた。タフトと私刑の母親たちの「アメリカ第一」の時代には、それは第一次世界大戦を意味した。多くが、紛争をアメリカの良き信念の裏切りだとみなすようになった。ウッドロウ・ウィルソンは、その戦争が世界を「民主主義にとって安全にするための十字軍だとして売ったが、戦後のヨーロッパは先祖がえりの憎悪と愛国主義に戻った。元大統領のハーバート・フーヴァーが1941年に言ったように、「ヨーロッパは地獄に退化し、そこからの風が現在の地球に毒を振りまいている。」のだ。

2003年のイラク介入への左寄りの批評を予兆して、ノースダコタ選出上院議員のジェラルド・ナイのようなそのような農業州のポピュリストたちは、大戦がヨーロッパの銀行家から武器製造者に至るまで「死の商人」に利益をもたらすために仕立て上げられたのだと多くを説得した。飛行機操縦士から扇動家になったチャールズ・リンドバーグのような孤立主義の右側は、アメリカがヨーロッパのけんかを避け、海をまたいで孤立しているという歴史的幸運を捕らえるよう駆り立てた。リンドバーグは、後にその反ユダヤ主義で主流から外れたのだが、1939年のラジオ放送で、彼はアメリカ人が旧世界の苦しみの話に対して非情になるよう駆り立て、国益を「ナイフを持った外科医と同じくらい」非個人的だと判断した。

2013年には、良き意図を持った外部者に動じない地域としての中東について、同じような議論をする声を見つけるのは難しくない。アサド政権の化学兵器の使用は「遺憾だ」、と、保守派の受け狙いのテキサス州選出上院議員テッド・クルスは宣言した。しかし、シリアは、アメリカが明白な同盟者を持っていない「何世紀にもわたる憎悪から生まれた党派的内戦のさなかにある。奇妙な連合に満ちている。9月9日にホワイトハウスの外側で行われたデモでは、「シリア派兵反対」の旗を掴んだ白人デモ参加者と並んで、キリスト教徒のシリア系アメリカ人がバッシャール・アサドの肖像を抱えているのが見られた。白人グループの一人ナンシー・ワイルドは、シリアでは「どちらもテロリストだ」と考える。彼女はジョージ・W・ブッシュと彼が始めた戦争を支持した。しかし、ムスリム世界全体での悪い結果を見た後で、彼女はアメリカに自国の国境を守り「しゃがみこんで」ほしいと思っている。
 

騎兵隊はやってこない

世論調査は同じように現実的な国民的雰囲気を指し示す。アメリカ人の大多数は、アサド政権が多分市民に対して化学兵器を使っただろうという。多数派の一部は、ニューヨークタイムスとCBSニュースの共同調査に、アメリカ軍の空爆は新たな化学兵器攻撃を防ぐのに少なくともいくらかは効果があるだろうと語った。しかし、ほとんどが依然としてそのような攻撃には反対している。1940年にとても似た状況で、多くのアメリカ人が、その祖父たちがヨーロッパをなおそうとしたように、ムスリム諸国をなおすという要請に、吐き気を催しているようだ。しかしそこには教訓的な違いもある。

過去との意味深い対照は、戦争へのより広い姿勢を伴う。現代のアメリカ人、特に共和党員は、議会がシリア攻撃へのどんな決定も支配すべきだと主張する。それによって、彼らはオバマ氏への拒否権がほしいということをほとんど意味している。1938年には、下院はより抜本的な考えをほんの僅差でしか否決しなかった。未来の戦争は、国民投票を通して国民によって承認されるべきだ、との案だ。これらの熱狂の日々に、軍事基地そばの店が定期的に兵士を立ち入り禁止にする一方、将軍たちは反戦派からの反感を避けるために、議会委員会に制服ではなく私服を着たものだ、とオルソン女史は記録する。

現代のアメリカ人たちは、戦争には慎重だが、戦士たちに対しては恭しくする。制服を着た兵士たちは、野球の始球式に招かれ、飛行機に乗るときに歓迎される。最も傷つける議会公聴会では、委員たちは制服を着てリボンをつけた将軍たちの職務に対して注意深く感謝する。

1940年に、多くは直近の戦争から「繰り返さない」との教訓を引き出した。現代アメリカ人たちは12年にわたる紛争から微妙な教訓を引き出す。ギャラップの世論調査によれば、ほとんどのアメリカ人はいまイラク戦争を間違いだと呼ぶ。しかし、51%対44%で、彼らは依然としてアフガニスタンに戦争に行ったことは正しい決定だったと考えている。現在のアメリカは、平和主義というよりもうんざりしている。しかし、うんざりしたアメリカでさえも、世界が今見つけているように、結構なものなのだ。

Lexington欄より
 

発行日: 
2013-09-14
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