日本 一年後

水は引いている。日本の北東部がマグニチュード9.0の地震と40メートルの津波に襲われてから1年がたち、写真家が破壊の後の忘れられない写真を撮った沿岸の村は、今では奇妙な落ち着きを発している。車はもはや今にも倒れそうな建物の上にぶら下がってはいない。破壊された漁船のねじれた外殻は、下町の道から引きずられている。

日本社会の並外れた回復力と団結は、その国が1年前に襲った地震、津波、破損した原発という空前の3重苦に取り組むのを助けている。少なくとも2万人の人々が亡くなり、数えきれない家や家財道具が破壊され、多くは再建されない。当時の総理大臣、菅直人は2011年3月11日の衝撃を、日本の戦後最大の危機、と正しく表現した。

日本は、繰り返し災難から、しばしば以前よりも活気があるほどに立ち直ってきたので、多くの思慮深い日本人(と非日本人)は、その国がただ破壊された東北から生き返るだけでなく、何十年にも及ぶ社会的経済的沈滞を追い払うことを鼓舞して、去年の災難が似たような浄化作用効果を持つだろうと信じた。しかし、1年後、3月11日は待ち望まれた触媒にはなっていない。危機後の日本についてもっとも注目すべきことは、それがいかに危機前の日本に似ているかということだ。新しい通常は古い通常と多くの点で似ている。

その町の整然ぶり、技術の洗練、その文化の優雅さといった、日本のものすごさは残っている。しかし、弱さについても同様だ。日本の政治制度はかつてないほどに機能不全で、その経済は依然として弱々しい。2011年の最終四半期にGDPは年率換算で2.3%縮んだ。強い円は日本の輸出業者を打ちのめしている。ソニー、パナソニック、シャープなどの伝説的な電機ブランドは、3月31日に終わる今会計年度で、全体で170億ドルの損失を予想していると語る。

さらに心配すべきことがある。危機後の日本は、どんな地震や津波よりも大きくその国の福祉を脅かす、3つの根深く相互に関連した文化的挑戦に、危機前よりもきちんと直面する意思が見えないようであることだ。

一つ目は、日本の労働力がほかのどんな社会よりも急速に高齢化しているということだ。一人の日本女性あたりの子供の数は、人口置き換え率をはるかに下回る1.39だ。日本は、毎年100万人を失っている。政府は、2060年までに、日本の1.28億人の人口は1/3縮み、10人に4人以上が65歳以上になると推定している。

東京はすでに年間産出の倍以上を借金で賄っており、GDPに対する債務の割合は、ギリシャやイタリアよりも悪い。債務の95%が日本人によって保有されているので、それは管理可能だ。しかし、より多くの日本人が退職するにつれ、彼らは貯蓄を引き出し、より多くの保健と退職給付を要求する。日本がいつまで外国人債権者なしにやっていけるかについてエコノミストの意見は分かれるが、劇的で、起こりそうもない増税がなければ、決算の日はやってくる。生産性の上昇は大きく役に立つ。しかし、高齢者が支配的な社会は、革新的でも起業家的でも、そして順応性が高そうにも見えない。それは資産を生み出すよりも消費する。

2番目に、女性が周縁に追いやられている。日本の女性を仕事の場に統合することの失敗は、その移民への反感とあいまって、労働力の縮小の経済的な帰結をひどくしている。大学教育を受けた女性のたった65%しか雇用されていない。東京のゴールドマンサックスは、もしその数字が男性と同じ率の80%まで上がれば、日本は820万人の労働力を加えることができ、経済成長を15%押し上げると計算する。

最後に、日本の若者はあまりに引きこもっている。日本の大手企業は、かつて彼らの最高の社員をMBAを取るために合衆国の上位の大学に送り込んだ。今ではほとんどそれをしない。合衆国にいる日本学生の数は、特に中国を中心にかつてないほどの多くのアジア人がそこで勉強しているのに、近年鋭く減っている。特に中国やインドといったアジアからの技術者たちで活気づいているシリコンヴァレーでは、日本人は事実上存在しない。TOEFLのスコアで見る日本の大学卒業生の英語力は、27のアジア諸国の中で最低だ。

日本人は危機に反応することができる。大災害の後で、ヴォランティアたちが被災地に入った。多くが被災者に義捐金を送った。東京の店では救援基金の寄付箱はまだ普通に置いてある。さらに印象的なのは、消費者や企業が、日本の54の原子力発電所のほとんどすべての操業停止を埋め合わせるための政府の節電運動を甘受しているという、熱意だ。家庭や事務所では、エアコンを調整し、照明を消す。製造業者は、電力需要を緩和するために、生産を週末に移した。おそらく、ほかのどの先進民主主義国でも、平和時にそのような社会的団結を示すことはできない。

オーストラリア国立大学の、文化歴史言語学部長のケント・アンダーソンは、去年のような災害から現れた復興をみる傾向を「不死鳥の比喩」と表現する。別の選択肢は、3月11日の大災害とその余波は、かつて輝いた繁栄の期間の絶望的な最期の瞬間を反映しているというものだ。アンダーソンは、どちらの解釈も極端だとみる。日本は、文学ジャンルの「随筆」、筆に従う、のようなものだと信じている。ランダムで、抽象的で、はっきりとした物語がないのだ。たぶんそうだろう。しかし、もしそうだとしても、日本はただ、筆がより高い地への線をたどることを望むだけだ。

Japan欄より
 

発行日: 
2012-03-12
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