武器輸出三原則見直しについての雑感

外国人参政権の問題についてもそうだが、基本的に基準がない、というのかずれている人たちが原則をいじることには非常な危惧を覚える。自分たちの行動の本質というか意味するところをしっかりと考えているのか、それとも本当に思いつきでやっているのか。

記事によっていろいろ焦点を当てているところが違うので、何を批判すべきか戸惑う点もあるが、全体としてみると基本的には大量破壊兵器に焦点を当てて、その拡散をしないということを判断基準にすえているようだ。本当にそれでいいのだろうか。大量破壊兵器による殺戮は確かに悲惨だ。しかし、それに負けず劣らず一般兵器による顔の見える殺し合いというのも別の意味で悲惨だ。大量破壊兵器による殺戮は、ある種責任者を処罰すればそれで清算できてしまう部分があるが、一般兵器による殺し合いは、恐らくそれでは納得できない人が多い。なぜなら殺した人の顔が見えてしまい、そしてその数は絶望的なほどに多い。この感情を清算するのは一世代二世代では無理なレヴェルかもしれない。報復は報復を生んでしまうからだ。その側面にふたをして、大量破壊兵器だけを判断基準にして武器輸出を解禁することがどういう意味を持つのか、本当に考えているのだろうか。具体的な数字を持っているわけでもなく特定国を非難するのはどうかとも思うが、例えば武器輸出を国家戦略として輸出産業に育てていこうとしているような国に対して輸出解禁とか共同開発とかすることが本当に正しいのか。大量破壊兵器でなければ免罪符になるのか。最後にとってつけたかのように第三国輸出に対する法的担保を求めると言うような案が出ているが、実効的にトレースできるような仕組みを両国納得の上で本当に作れるのか。私には単なるガス抜きというかアリバイ作りのように思える。

防衛産業の窮状については確かに考慮しなければならない点はあるのかもしれない。しかしながら、私は個人的には殺傷兵器の輸出については全面的に反対する。その埋め合わせになるとは思えないが、殺傷能力のないものについては全て三原則から外せばよいと思う。それで兵器の質が保てるのか、という議論は非常に難しく、いろんな議論があるのだろうが、私の立場を繰り返せば、殺傷兵器の輸出には反対である。

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