ヘルハウンドの小道 - ブルース観光

デルタの町が成功し始める

引き出しの隣に、ロジャー・ストールの素晴らしく散らかった店のキャットヘッドに詰め込んだCD、レコード、DVD、書籍、Tシャツ、ビールジョッキ、ポスター、ギターのピック、そしてほかのブルースに関わった品々を過ぎると、「クラークスデイルが好き」と読める小さなボタンを見ることができる。最初にそれらを売り始めた時、人々は笑ったものだ、とストール氏は言う。クラークスデイルは、アメリカのもっとも貧しい州の最も貧しい地域であるミシシッピーデルタの大きい町の一つだ。綿(そして農業一般)は、デルタの中で依然として王様かもしれないが、機械化が農業をかつてと比べてはるかに労働集約的ではなくしている。クラークスデイルの周りのコーホマ郡の住民の37%以上、そしてその子供たちの半分をかなり超える人々は、貧困の中で生活している。多くが愛するものをほとんど見ていない。

しかし、幾分かは、かつてはオハイオ州デイトンの宣伝役員だったがその豊かな音楽的遺産に引かれてデルタにやってきたストール氏のような事業家的ブルースファンのおかげで、それは変わっているかもしれない。ミシシッピーのブルースの道は、開拓者を顕彰する手がかりとその州にわたって広がる重要な場所を持っているが、それはデルタ、特にどのほかの町よりも多きブルースの印(9つ)を自慢するクラークスデイルの周りでもっとも厚くなっている。アイク・ターナーとサム・クックはそこで生まれた。ベッシー・スミスは、南側にある今ではリヴァーサイドホテルになっている、小さな荒れ果てたG.T.トーマス・アフロアメリカン病院で亡くなった。マディ・ウォーターズは、シカゴで名声と富を見つける前に、クラークスデイルのストヴァル・プランテーションの粗末な小屋に住んでいた。

その小屋はいま、1999年以来クラークスデイルの古い貨物駅にある、デルタブルース博物館に展示されている。その博物館の数百フィート西には、デルタ中の黒人農場労働者の要求を満たした通常音楽と飲酒を特色とした非公式な事業であるジュークポイントのように見えるよう設計されたグラウンド・ゼロ・ブルース・クラブがあるが、そこには最新式の音響システムがあり、最高の酒を出している。グラウンド・ゼロの株主には、一時期ミシシッピーで育ち今でもデルタに家を持っている有名な俳優のモーガン・フリーマンや、地元の事業家で市長候補のビル・ラケットがいる。

クラークスデイルの中心部は、空き地、空の建物、そしてふさがれた店先が占めているが、そこには二つの博物館、何軒かの新しくて粋なレストランや雑貨屋、常設でしばしば使用中の野外ステージ、そしてブルースファンでいっぱいの本当のジュークポイント、レッズがある。クラークスデイルは、毎年映画祭といくつかの音楽祭を開いている。ストール氏は、ほぼ10年前に彼が最初にキャットヘッドを開いた時、店を閉めるときには下町に「最後までたつ店」になるだろう、といった。それはもはや実情ではない。

ラケット氏は、グラウンド・ゼロが2006年以来毎年新しい土曜の夜の売り上げ記録を打ち立てることができている、と語る。それは定期的に世界中から上得意を惹きつけており、彼らの落とすカネは「デルタの他の所にこぼれている。」観光は、おそらくその地域の主要な経済エンジンとして農業にとってかわることはないだろう(ラケット氏はデルタが「ナイル川よりこちら側でもっとも豊かな土壌」を持っていると自慢する)が、それはよい補完になる。クラークスデイルを愛することはもはや笑い事ではないのだ。
 

発行日: 
2013-05-04
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