道は長い - 英国のソマリ人たち

ソマリ人たちはほかの移民よりも悪い生活を送っている。何が彼らを抑止しているのか?

理髪店はゴシップのための素晴らしい場所だ。ケンティッシュ・タウンのハッサン・アリの店も変わらない。その北ロンドン人は、機械技師になる夢を持ってソマリアから英国に到着した。しかし、彼は理髪がうまかった。できる仕事は何でもするのだ、と彼は語る。英国で最大の難民人口であるソマリ人のほとんどは、働いていない。彼らは英国で最も貧しく、最も教育を受けておらず、最も雇用されていない部類に入る。他の難民たちが栄えている国で、なぜソマリ人たちはそれほどにひどいのか?

1世紀以上前に最初に英国に到着したソマリ人は、経済的移民だった。商船の船員は、カーディフ、リヴァプール、そしてロンドンといったドックのある町に住んだ。1990年代に内戦がソマリアを破壊した時、難民が英国に群れを成してやってきた。1999年に最高潮を記録し、(その年に英国に到着した難民の11%に当たる)7,495人のソマリ人が到着した。それ以来、流入は減速している。それは依然として大きな共同体を残す。2011年の国勢調査は、イングランドと英国に101,370人のソマリア生まれの人々がいるのを見つけた。

貧困が彼らの最初の問題だ。ソマリ語を話す学童の80%以上が無料の学校給食の資格がある。4,000人近いソマリ人が住んでいる東ロンドンのウォルサム・フォレスト特別区では、73%が生活給付を受けている。英国のソマリ人の50%以上が地元の役所から賃借をしており、他のどの外国生まれの人々よりも高い割合だ。近くのタワー・ハムレッツ特別区の2010年のデータでは、ソマリ人が白人英国人の倍賃借していることが示された。彼らの経済的辺境化の費用が彼らを傷つけ、それは公共部門にも費用をかける。

教育は見込みのない脱出経路だ。過密の家は、子供たちが宿題をする場所がないことを意味する。2010-11年の間に、16歳で受験する試験であるGCSEで、バングラデシュの生徒の59%、ナイジェリアの生徒の78%が5科目でGoodを得たのに対して、ソマリ人の子供たちはだいたい33%だった。親たちは英語を話すことができずに苦労している。彼らはその子供たちが学校で1年昇級すれば、彼らがよくやっていると推測する(ソマリアでは成績が悪ければ留年する)。翻訳者として囲い込まれているその子供たちは、彼らに誤りを気づかせることを焦らない。

これは、英国のソマリ人の間での哀れな雇用率を説明する役に立つ。10人にたった一人しかフルタイムの仕事をしていないのだ。多くのソマリ人家庭は、夫なしで英国にやってきた女性によって率いられている。子育てに仕事を合わせるのは苦労する。職がなくて、ソマリ人の男たちは軽い興奮薬のチャットで日々を費やす。ロンドンのソマリ人議員アワレ・オラドは、その薬物を禁止する政府の最近の決定を支持する。しかし、それがひと世代の男たちを不必要に犯罪者化させるのではと恐れるものもいる。

しかしながら、宗教は誇張されすぎの問題だ。バングラデシュやパキスタンの若い移民のように、若いソマリ人の中には厳格にイスラム教を奉じているものがいることは本当だ。次の選挙で国会議員として立候補したいと思っているアミナ・アリは、3人の少女たちがヘッドスカーフをつけているのを見る時、心配する。人々はそれほど保守的になることなくイスラムを尊敬することができる、と彼女は語る。しかし、宗教は若いソマリ人を他の若いムスリムと一体化させる、と記者のイスマイル・アイナシェは語る。原理主義化するものもいるが、ほとんどはそうではない。

この貧困と失業のまじりあいは、他のソマリ人たちにも付きまとう。2009年に、彼らはデンマークで最も雇用されていない集団だった。ノルウェー政府はその苦境についての調査をしたいと思っているソマリ人共同体についてとても心配している。英国にいるほかの黒人アフリカ人と比較して、宗教、年齢、そして経験といった要素を割り引いても、ソマリ人たちは就職活動で「民族ペナルティ」に直面している。彼らの不利な点は明らかだ。しかし、英国は、事業を立ち上げるのが比較的簡単な国だと正当に認識されている。それはまた、その大きなソマリ人とムスリムの人口に暖かい歓迎の望みを提供している。これはソマリ人にとって良い前兆であってしかるべきだ。

多くは望みを持っている。ソマリ人たちはその子供たちが成功してほしいと思っているので、家庭教師を雇っている人が増えている。2000年には、ロンドンのカムデン地区でたった一人のソマリ人しか5つのGCSEをよいグレードで通過できなかった。問題を改善するために、市役所などは、学生の相談に乗り彼らに本を貸すソマリ青年開発資源センターを立ち上げた。去年、その数字は59%に上がった。

そこで働いているアブディカディル・アハメドは、彼の組織が人々が学んだ起業家的技能を、ギャングではなくよりよく使うよう奨励している、と語る。彼は、若い犯罪者の牢獄であるフェルタム刑務所に収監されたソマリ人について働いている。その数は減っている、と彼は計算する。ソマリ人は2011年夏の暴動にほとんど役割を果たさなかった。

この投資は、より深い変化を反映している。何年もの間、多くのソマリ人はスーツケースに荷物をつめたままにしており、永遠にアフリカに戻る準備ができていた、とオラド氏は語る。彼らが間もなく動くだろうという信念が固く、深い根をおろしたりその子供たちにそうするよう奨励する意味はほとんどなかった。しかし、ソマリ人の現在の世代は英国で育った。彼らにとって、ソマリアに恒久的に戻ることはそれほど魅力を持たない。若い英国のソマリ人たちは依然としてその遊牧民的な遺産を抱えている。しかし今、彼らは二重のアイデンティティを求め、二つの故郷の間にあわせることができ、両方を大いに利用したいと思っている。
 

発行日: 
2013-08-17
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