並行する危機 - ソマリア

どのようにソマリアでのイスラムテロリストの活動を鈍らせるアメリカの成功した作戦が、多数を殺すだろう破壊的な飢饉の一因となったのか

彼らのやぎが皆いなくなり、その最後の牛が膝を折って死んだ6月後半から7月初めまでに、男たちは今や去るべき時だと話した。Daynunay村では、ハジ・ハッサンとその子供たちが、少ない衣類、プラスティックボトル、幾らかの古い調理鍋といったなけなしの家財を包み、東に250キロのモガディシュへ出発した。彼らが通り過ぎたどの村でも、その小さな集団は大きくなり、最初は数百人の列に、そして何千人に、さらに数えきれないほどになり、故郷を捨てて南部ソマリアを横断した。水はほとんどなく、葉しか食べるものがないので、幼い者や高齢者はすぐに亡くなった。ハッサンの孫のひとりは倒れたところに埋められた。Quansax Dheereから300キロ歩いた50歳のバゲイ・アリは「ただ座り込み、死んだ」7人の人々を見たと語る。Baoliからの500キロの旅の途中で彼の子供たちが弱り始めた時、60歳のバシャル・アブディ・シャイス彼らを肩に担ぎ、運んだ。「彼らが死んだのを認識した時、私を途中で彼らをおろし、そこに埋めるだろう。」彼はその途中で2人の息子と3人の娘を失った。

国の半分を空にする大移動は、空前の並外れた事件だ。何がその引き金を引いたのか?直接的な原因は、飢饉だ。去年の10月に東アフリカでは雨が降らず、4月にも降らなかった。8月の初めまでに国連は、ジブチ、エチオピア、エリトリア、ケニア、ソマリア、そしてウガンダで飢えの危機にある人の数が1,240万人に上ると見積もった。

南ソマリアは飢饉だった。その地域の人口の63%に当たる2,800万人が飢えていたかその危険にあった。死に近い深刻な栄養失調にあるソマリ人の子供の数は17万人だった。2.9万人はすでに死んでいる。その数すらも、恐らく過小だ。(国連とは違って、飢饉地域内に職員がいるイスラム救援隊のソマリア部長のイフシカル・モハメドは少なくともその倍の死亡率、栄養失調率があるとそのチームは見ていると語った。上級援助課長は、この先数週間で10万人か恐らくそれ以上のソマリ人が死ぬのを防ぐことができないとタイム誌に語った。

どのようにこれは起こったのか?それは止めることができたのか?そして多くのソマリ人が助けに来ないことを確信してその家族を連れて砂漠を超えて死の行進をしたとはどういうことなのか?その答えは、どれほどイスラム民兵とアメリカやその同盟国との間の戦争が直接的な人間の大惨事に導いたかということを明らかにしている。

私がバゲイ・アリにQuansax Dheereに最後の雨が降ったのはいつなのか聞いた時、彼はその考えを笑い、思い出そうと苦労した。「2年だ」彼は言った。「もしかしたら4年かも」南ソマリアはサハラのしたをアフリカを渡って走っている乾燥地帯のサヘルの一部だ。半世紀前、降雨はまばらだったが、飢饉は10年に1度しか起こらなかった。今ではそれは2年に1度やってきて、エルニーニョやラニーニャが季節を乱した地域では、良い雨は10年降っていない。これは今では厳しく致命的な気候変動だ。国連食糧農業機関は、今年の旱魃は1950?51年以来最悪で、続いて起こる降雨不足のその複合的な影響はフランス大の地域が50年間砂漠になっていることを意味する。

しかし、干魃は飢饉への条件を整えたに過ぎない。人間がそれを確実なものにしたのだ。アメリカの南部は干魃にあるが、アメリカ人は飢えていない。なぜだ?アメリカ人は十分な政府と富を持っているからだ。同じように100万人が死んだ1984年のエチオピアの飢饉の繰り返しを見ていない理由の一つは、多くの東アフリカの国でそれから進歩したからだ。また、援助職員も、今では生命救助がよりうまくなっている。11ヶ月前に早期警報システムが最初に東アフリカの食料不足を予測した時、食料援助はより洗練されており、薬や高タンパクのナッツペーストを持っており、改善された災害緩和がより良い予防と調和していた。アメリカの35億ドルの3年計画、フィード・ザ・フューチャーのような枠組みは、それ以上の資金を人々の自給能力を高める灌漑や食料倉庫のような計画につぎ込んだ。「この悲劇にも関わらず、進歩を理解しているのは重要なことだ。」と、USAIDの飢饉対応を率いるナンシー・リンドボーグは語る。

そのような進歩は、しかしながら、ソマリアでの災害をより悲惨な救援に陥れた。飢饉を生み出したり防いだりするのが人間ならば、誰がソマリアの飢饉を起こしたのか?

ソマリアと他の東アフリカ諸国の大きな違いは、戦争だ。ソマリ人はお互いに戦い、中央政府なしに生活して20年になる。恐らく100万人が亡くなった。この無法状態の一つの症状は海賊だ。他にも、イスラム教徒の勃興もある。部族軍閥間の戦いとして始まったものは、2度目の10年間には、軍閥と厳しいシャーリア法を課すよう要求する民兵との闘争になった。より過激なイスラム教徒はシャバブ、もしくは「若さ」を形成した。4年に渡ってシャハブは、公式な暫定連邦政府(TFG)と戦ってきた。

アメリカが鍵となる国際的なプレーヤーだ。初期の飢饉への国連のミッションを助けるために行った介入の間に、18人のアメリカ兵が死に、その遺体の二つが市中を引き回されたブラック・ホーク・ダウンとして知られる1993年の戦い以来、アメリカ人はほとんどモガディシュに足を踏み入れていない。しかしワシントンは周到な注意を払っている。オサマ・ビン・ラディンがCIAの危険人物リストのトップに載ったのは9/11ではなく、彼のソマリアに拠点をおいた部隊がナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館を爆破し、230人を殺した1998年の8月7日だ。シャバブがアル・カーイダと同盟を結んだ時、それもまたアメリカの標的となった。

アメリカはできる時にそれを叩く。2006年の終わりにイスラム教徒の政府を倒すためにエチオピアがソマリアを侵略した時、アメリカの特殊部隊は彼らと行動を共にし、約20人のアル・カーイダの容疑者を拘束した。ワシントンはまた、プレデター無人飛行機、インド洋上の戦艦からの巡航ミサイル、そして一度は武装ヘリによって何人かのイスラム指導者を殺害してきた。これらの取り組みはモガディシュのCIA駐屯地やアメリカの外人傭兵部隊によって助けられた。また、アメリカが作ろうとしている軍事力だけに頼らない、ソマリ人の指導的権力について恐らくもっとも理解している、選挙を受けていないTFGを、ワシントンは資金援助する。

そのような努力にも関わらず、シャバブは1年前に支配的になった。それはモガディシュを取る準備をしたようで、2010年7月にウガンダのカンパラで76人を殺した2つの自爆テロで国際的デビューを発表した。
 

武器としての援助

それから、別のアメリカの計画が効果を持ち始めた。2008年にアメリカ国務省はシャバブを外国テロリスト組織に指定し、それを助けたり、教唆することを深刻な犯罪にした。シャバブは援助を盗んで自分のものにしたり売ったりしていた。援助の盗難は日常的に起こるが、シャバブがテロリスト集団に指定されると、それはアメリカの役人や外国の援助関係者は、意図しなくても、その行動がシャバブを利すると、罰せられることを意味する。2009年の後半までに、アメリカは他に法的な選択肢がないといって、南部ソマリアのシャバブの領域で約5,000万ドルの食糧援助を差し控えた。2010年の初めまでに、アメリカは、もしその援助が欲しいのならば、シャバブの要求する通行料を払うのを拒絶するよう要求して、援助関係者と膠着状態に陥った。一方で、シャバブは2010年1月に、食糧援助は依存を生み出し、その機関がアメリカの代理だといって、世界食糧計画(WFP)を強制退去させた。60%のWFPの食料はアメリカからなのだ。シャバブはまた、WFPの契約者が不正を働いていると主張した。南部ソマリアでのWFPの運営を調査している西側の関係者はタイム誌に、多くの契約業者が市場に横流しするために援助の25?65%をくすねていると教えてくれた。

事実上、南部ソマリアは、かなり援助がなく、災害時に緊急援助を届ける信頼できる分配ネットワークが不足している。危機を警告して、国連のソマリア人道調整官のマーク・ボウデンは、アメリカの援助と戦う姿勢を非難した。「我々はもはや正しい安全装置のもとでの人道的援助配達の実用性についての議論には関与していない。」彼は2010年2月に報道関係者に語った。それは、「政治的立場からどこに援助が届けられるかという問題」になった。

狭い意味では、アメリカの戦略は成功した。シャバブは飢饉と中東の政治的混乱によるそこからの資金の喪失という複合的要因により、かなり弱まった。その集団は、援助を受け取るかどうかということについてで、脱走や血なまぐさい内部分裂に見舞われている。8月6日にそれはモガディシュから引き揚げた。

しかし、シャバブの数千の兵士を疲弊させたものは、数百万人のソマリ人もまた、飢餓の瀬戸際に追い込んだ。シャバブに支配されたのと同じ地域は、今、飢饉により荒廃しているところだ。その地域には、国際赤十字、いくつかのイスラム慈善団体、僅かな国境なき医師団の職員、地元のユニセフの契約者がいる。そのとおり。国連は280万人の援助を必要とする南部ソマリ人の内、たった20%しかそれを受け取っていないという。「世界で飢えと戦う」というスローガンを掲げる飢饉援助の巨人、WFPはそこにはいない。

アメリカは軽率にも飢饉に寄与したのでは、と聞くと、アメリカのアフリカ担当国務副補佐官のブルース・ウォートンは注意深く言葉を選んだ。「アメリカのアル・シャバブに対する制裁は、事実上アル・シャバブの支配下にある地域を含んで、ソマリアへの援助を届けることを禁止していないし、これまでもしたことがない。」と彼は語る。ウォートン氏は技術的には正しい一方で、アメリカの制裁の実際の効果は、正確に、南部ソマリアへの援助を止めるものだった。それは、アメリカが、ウォートンが言う所の「困難で危険な状況のもとで命を救う助けをするためにアメリカと共に働く援助関係者は、アメリカの法と規制に対立しないということをはっきりさせるべく」人道への新しい手引きを発行する必要があると感じていた8月のはじめに暗黙のうちに認めたものだ。

はっきりさせたにも関わらず、制限はまだ適用される。ウォートンは、「アル・シャバブへ人道資金がそれるのを避けるための、リスク緩和手続き、リスクを元にした調査、そして我々の協定のための特別条件」があると語る。ソマリ人援助集団のSaadcidの運営部長のトニー・バーンズは、現場では、それらの条件は援助障害の継続という結果になると語る。8月の中頃までにWFPの職員は、アル・シャバブの地域へのアクセスを持っておらず、もし許されたとしても食料の分配の準備をするのに数週間かかるだろうということを確認した。援助関係者の中には、おおっぴらにアメリカが飢饉の原因だと非難するものもいる。「飢饉はアメリカの成功の証拠だ。」とバーンズ氏は語る。TFGの中のワシントンの味方もまた、災害が彼らに与えた戦略的利点を歓迎するのを隠さない。飢饉は、「我々の浸透範囲を広げる機会だ。」と、TFG首相のアブディウェリ・モハメド・アリはタイム誌に語った。「(アル・シャバブが)弱くなればなるほど、我々は浸透する。」あるTFGの軍事アドヴァイザーはTFGはアル・シャバブを打ち負かすまで南部ソマリアに援助が入ることを望まない、と確認した。ポイントを強調して、TFGの総司令官のInda'adeとして知られるユスフ・モハメド・シアドは「我々は彼らがいるところに食料を運ぶことはできない。彼らは何もなく、戦うことが出来ず、我々が今する必要があるのは、彼らを掃討することだ。そのあとで我々は食料をそこに届けるだろう。」と語った。
 

届かないところを助ける

ゆっくりと、たくさんの飢えたソマリ人が、彼らはかわりにそこで死ぬためだけにモガディシュに旅しているのではないかと認識し始めている。もし飢饉の地域にほとんど援助がないのならば、外でも十分ではない。安全を心配してほとんどの西側の援助機関は空港の隣で要塞化した基地にこもっている。国連が飢饉を宣言して3週間がたち、救援機が何機も毎日到着しているにも関わらず、空港からわずか100メートル離れたキャンプに食料を届けられていない。WFPは地元グループを通して毎日85,000食の温かい食料を分配していた。それは、モガディシュの50万人の難民が必要とする物の僅かな部分だ。それは、7月に町の端にある数日の間にできた3万人の人がいるキャンプのBadbaadoで食料をまとめて分配しようと試みたが、かわりに7人が死ぬ暴動を引き起こし、他の機関による似たような努力を阻止した。同時に、略奪されたWFPの穀物袋がモガディシュの市場に現れている。バナディール病院でイスラム救援隊のモハメドは薬と職員を供給し、コレラ隔離病棟を建設している。たとえそれが世界保健機関とユニセフの仕事を意味したとしても、「彼らはどこにいるのだ?」と彼は尋ねる。

援助界にいる多くの人は、その貧弱な成果を説明するのに苦労している。彼らは準備しているべきだった。国連は4年間ソマリアを世界最悪の人道危機だと表現しており、1年前には干魃の予報があった。「我々はまだ、どのようにここを終わらせるか、何が足りなかったのか、何を間違えたのかということについて解決しようとしている。」ユニセフの上級栄養課長のピーター・ハリスは語る。8月11日のワシントンでの演説の中で、国際食糧計画調査研究所の総部長のシェンゲン・ファンは、援助の世界はたった3つのことを見落としていた、と語った。計画と、行動と、政治的意志だ。国連にとっては、ヨーロッパとアメリカが債務危機で消耗している7月20日まで緊急の訴えをしなかったのは特に間違いのようだし、それが8月24日までに国連が必要だという24.8億ドルの58%しか集まっていない理由の一つだ。集められた資金は「危険なほど不適切だ」と、8月17日にモガディシュを訪れた後に英国の国際開発事務局長のアンドリュー・ミッチェルは語った。

それは、いくつかの援助隊が英雄的な成功を主張するのを止めなかった。WFPは8月9日に「160万人に食料を供給するために、十分な高エネルギーのビスケットを積んだ飛行機がアフリカの角へ出発した。」と宣言する。資金調達のツイッターメッセージを流した。添付のプレスリリースはそのビスケットは1日なら160万人に与えられるだろうことと、ケニアのナイロビからモンパサ行きでモガディシュ行きではないことを明らかにした。8月10日にはオックスファムが「ソマリアで88万人の人に到達した」と主張した。報道官は後にタイム誌に、南部ソマリアにはオックスファムの職員はおらず、88万という数は簡易トイレ、給水計画、そして飢饉地域以外での援助引換券を含んだソマリア中の地方で行われているオックスファムが資金を出した計画の総受益者の推計だと認めた。「我々は自分たちが食料を分配しているとは思わない。」と彼は加えた。

それは、全て、モガディシュ市長のムハマド・ヌアには多すぎる。「何人の人が死ぬのだ?援助隊はここにいるというが、どこにいるのだ?それは完全に馬鹿な話だ!子供たちが死んでいるのだ!」

私が最初にバナディールの35台のベッドがある子供病棟を訪れた時、ウマールという7歳の子供がちょうど亡くなったところだった。次の日、二人の1歳児が続き、小さな18ヶ月の少年は我々が到着した数分後に亡くなった。その夕方には4歳に見える実際には9歳のアブシャールが亡くなった。訪問を繰り返すたびにキャンプの子供たちが今では急減しているのに気づき始める。嘔吐し、排便し、浅く息をし、目が頭に押し返されている。

バナディールは墓地をなくした。難民たちはハットを建て、間に合わせの教室を墓の上に作った。親類がウマールの小さな体を横たえるのに十分な誰のものでもない場所をモガディシュ中で探した時、私は彼の母親の38歳のカリマと共にたち、彼女の息子のきれいに洗われたピンのように細い体が白い布で覆われているのを見た。頭上では見えないプレデターがぶんぶん言うのが聞こえる。そして隣の墓場の学校では、子供たちが歌い始めた。

Somalia欄より
 

発行日: 
2011-09-05
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