組織から自立した政策運営のために - 消費税論議から考える(3)

別に議論を混乱させるために前回のような話をしたわけではなく、なぜこういった意味のない(と私が考える)ことが至極当然のごとくまかり通っている のかということを考えるきっかけにしたいと思ったまでである。なぜ感覚がこうもずれてしまっているのだろうか?私は、やはりそれは制度上仕方のないことな のだと思っている。民間企業ならば、仕事をする、というのはある意味経営をするということであり、当然コストとベネフィットを常に考えて行動するよう求め られるし、そうして仕事を覚えること自体が一般感覚としての常識を覚えていくことにつながる。しかしながら、(もしかしたら大企業病といわれているような 病気にかかっている会社もそうかも知れないのだが)お役所では、要するに予算を消化することが仕事なのではないか、と私は感じるのである。ベネフィットが あろうがなかろうが、とにかくやると決めたことをやるということが目的化しているように感じるのだ。それはそれで仕方のないことだと思う。私は世の中には そういう仕事があることを否定するわけではない。しかしながら、そこで培われた常識が世間一般の常識だと思って物事を運ばれたら困る、ということをいって いるのである。仕事がその性格上いわゆる世間一般の常識を教える場になり得ないとしたら、他の方法でそれを補完するしかないのではないか、というのが私の 考えである。

仕事で経営感覚が身につかないとしたら、やはり個人として身につけていただくしかないのだろう、と私は思う。そのため には、先の話に戻るが、(私は やめるべきだと思っているが)源泉所得税をやめるかどうかはともかくとして、少なくとも給与所得控除をなくし、事業所得として申告を義務づける必要がある のではないかと思うのである。なぜ源泉所得税をやめるべきかと考えるかについては、上記の経済学的無意味さもさることながら、いったん財布に入ったお金が もう一度出ていくというその痛みを実感すべきだと思うからだ。それを理解せずに世間の常識はなかなかわからないだろう(ちなみに申し添えておけば、言うま でもないことだが源泉徴収されるよりも一度財布に入ってくる方が実は金利分だけ特をしているという事実は指摘しておかなければフェアではないだろう)。も ちろん事業が公務員となったら、現行の常識ではほとんど費用が認められることはないだろう。その中で、何が認められ得るのか、ということを自分の頭でしっ かりと考えて、それを通じて多少なりとも経営感覚のようなものを身につけてもらいたいということを提案するのだ。外部者として自分の組織を見つめることに よって、内部からの目ではなかなかわかりにくい、いかに不条理なことを自分たちがしているのか、ということも見えてくることもあるだろう。また逆に、民間 事業ならば認められる費用があることに気づけば、その自由さに惹かれて起業しようという人も出てくるかも知れない。また、官民の人事交流を図る際にも、一 般的に公務員は皆個人事業主であるという設定にしておけば、いろいろチューニングは必要であるとはいえ、交流はしやすくなるのではないだろうか?交流する にしても、やはりある程度の共通言語は必要なのだから。

こんなことを言ってみたところで、結局のところはすべては受け取る人次第のこと で、制度を変えようが変えまいがわかる人にはわかるにわからない人に はわからないのだろうが、少なくとも政策立案、実行する人たちは自分たちだけの常識ではなく、一般常識に基づいてそれを行ってほしいと思う次第である。そ うでなくても、人は基本的に自分が見ている世界からしか物事を判断することができないのだから。ある人が正義や大義を盾に権力を行使する際には、それに理 があるということが一般的に受容できるようなやり方をする義務があるのだろう。その理はきちんと説得すべきだし、批判にさらされるということは理がないの だ、ということを理解すべきだろう。そして理があるかどうかは、一般常識がないとなかなかわからないのだと思う。

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