成功者には敬意を持って報いる社会を - 消費税論議から考える(5)

エコノミスト誌にも役員の立場について取り上げられたことなので、前回の続きのようなことを少しだけ書いておきたい。「鎖につながれたボス」の記事で述べられているように、役員の立場はだんだんと弱くなっているようだ。一方で「そんなに賢くない」の 記事に見られるように、役員の力があったとしても、結局雇われ社長のできることなどは自社株買いが精一杯のところだ。結局、これも役員の評価が、たかだか 利害関係者のほんの一部である株主の利益、そしてその反映である株価にすべて連動している制度のためなのだろうと私は考える。株価は、それは低いよりも高 い方がいいに決まっているが、別にそれだけが唯一絶対の価値ではない。従業員は、株価がどうなろうと、その会社でいかにして生計を立てていくのか、という 立場があり、その従業員を引っ張り、株主を満足させるべき経営者には、株価や雇用賃金を犠牲にしてでもやらなければならないことがあるという立場がある。 この三つは別にどれが一番とかそういったことではなく、株主が株価を上げるべきだと考えるのと同様に労働者が雇用賃金を守るべきだと考えるのもまた当然の ことであり、また経営者のミッションもまた同様である。善悪でこれを判断すべきではなく、それぞれが対等の立場で自らを主張し、そのバランスの中で会社が とるべき道が決まってくると言うのがいいのだろうと私は思う。そのためには3者の立場が対等であるべきであり、その制度を整える必要はあるのだろうと思 う。私の気づく範囲では、株主は経営者を解雇でき、経営者は従業員を解雇できる。また一方で労働者は団結してストライキを打つことができる。この非対称性 にどう対処すべきか、というところに問題の根本があるのではないかという気がする。簡単に答えは出ないが、少なくとも経営者の解雇には株主の意見だけでは なく、労働者の同意も必要だろうし、一方で、経営者と労働者の合意があれば好ましからぬ株主を拒否する権利を持っていてもしかるべきだろう。パワーバラン スは非常に微妙な問題なので、何がベストか、などというものは私にはわからないが、方向性としてはそのような形がよいのではないかと感じている。

そ れはそうとして、本題の方に入りたい。前回指摘したように、私は役員の立場が不当に低いと感じている。なぜかというと、これは私の過大評価かも知 れないのだが、ある会社のその会社らしさ、というものを定義するのは、まさに役員の打ち出すミッションに大きく依存すると考えるからだ。株主の行動原理は 非常に簡単で、儲かる会社、そこまで言わなくても少なくとも気に入った会社の株は持ち、気に入らなければ自由に売り払う。労働者はそこまで単純ではない が、会社に居所がほしければその文化になじむよう努力するし、雇用条件も含め、どうしてもなじめなければやめて他の会社を探すのだろう。株主の好みを見抜 き、従業員の好む企業文化を抽出して会社の方向性を決めるのは、従業員の中から内部昇格したにしろ、株主が好みの人を連れてきたにしろ、経営者の仕事なの だろう。その方向性が、まさにその会社の個性であり、その会社のレゾンデートルだといえるのではないだろうか。その意味で、私は、役員には、待遇をよくし ろ、といった単純な話ではなく、社会全体の中で敬意を持つことによって、おだてて個性的な会社を作ってもらうことが必要なのではないかと考えているのだ。 具体的にどうするのか、というと、要するに雇われ人としての立場から解放すべきだ、と思うのだ。給与ではなく、業務委託料で支払い、金額がどう変動しよう と税務的に問題になることもなく、できることならば源泉徴収もやめ、税務申告は自分で行い、領収書のある取引については何の異議申し立てもなくすべて損金 に認めるという形にすべきだと思うのだ。お金のもらいかた、使い方というのは、人の個性を最も表すものであり、それを完全に自由奔放にさせることによって 個性が存分に発揮されるようになると思うのだ。それをもらいかたが悪いだとか、使い方が悪いだとかことある事に口出しされて、個性的な会社が育つわけがな いではないか。下品なもらいかた、使い方をしていれば市場によって淘汰され、役員の口がなくなるだけの話だ。そんなことは自分で考えることで、法的にどう こうという話ではないだろう、という気がするのだ。内部昇格にしろ、株主による招聘にせよ、役員というのはそれなりに功成り名を遂げた人たちだ。そういう 人たちにはそれなりの待遇をしてしかるべきだと思うのだが、どうだろうか?

 

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