芸術的な解決 - 現代アート

ヴェネツィア・ビエンナーレの主要テーマは、いかにして世界はそのような混乱に陥ったか?だ

世界最大の芸術祭ヴェネツィア・ビエンナーレは、単に芸術についてだけではなかった。1930年に、イタリアのファシスト独裁者ベニート・ムッソリーニは、そのビエンナーレの潜在力をプロパガンダのショーケースとして見、彼の執務室からそれを運営した。彼はそのイヴェントがとても成功したとみなしたので、4年後にヒトラーをパーソナルツアーに連れ出した。第二次世界大戦以来、国の関与はより距離を置くようになっている。例えば、英国館はブリティッシュ・カウンシルによって運営されており、アメリカ館に責任を持つ国務省派遣団はヴェネツィアにあるペギー・グッゲンハイム・コレクションへのものだ。

今年、国別館を満たすよう選ばれた芸術家の多くは、ふたたび彼ら自身の国の鼓動を話している。(10年の中断後の)ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、バハマ、(ベスト・パヴィリオン賞をかっさらった)アンゴラ、ツヴァル、そして教皇庁を含んだ、10の新参加国がある。ヴァチカンは、その初登場を、その計画を監督するテレビ映りのいい高位聖職者のラヴァージ枢機卿の言葉で「芸術と信仰との関係を再建する」ために使っている。

誰も全能神のイメージに失望させられることを期待していないけれども、その三つのギャラリーは世界の創造に引き渡されている。最高点は、「観衆が現生の経験の横断を取り囲む対話に関与する感覚上の旅」だ。これがビエンナーレだ、と対話型映像が代弁する。イタリアの芸術集団ストゥーディオ・アズーロによる『創造』で、視聴者は、システィーナ礼拝堂の天井の神のように手を広げ、周りの壁に映し出されている映像の人物に触れることができる。チェコのアーティストヨゼフ・コーデルカによる際立った風景写真も含むそのパヴィリオンは、そのドグマ化されたやり方の成功例とみなされる。

ヴェネツィアにたった2回目の登場となるイラク館は、勇気への喝さいを勝ち得た。そのキュレータージョナサン・ワトキンスは、参加する11人を選ぶまでに、装甲車に乗って100人以上の芸術家を訪ね、バグダッド、バスラ、バビロン、そしてクルディスタンを旅した。これは、あらゆる困難をものともせず作られた芸術だ。中国のブロンズ像のように見えるボール紙の家具とベンチがあるが、それは自転車の部品から作られている。そのパヴィリオンは、カナルグランデ上のヴェネツィア邸宅ダンドーロ邸の堂々とした部屋を、ソファ、本を積み上げた座卓、そしてミントティーを出すキッチンのついた、こぢんまりとした応接室に変えている。

ユーロ圏諸国のパヴィリオンは、共通の不安を反映している。金かその欠如が、主要な問題だ。スペイン館では、ララ・アルマルセーギが、天井まで届く巨大な瓦礫の山を置いている。ギリシャ館のステフォノス・ツィヴォポーロスは、代替通貨についての文章を書いた壁と、ある女性がユーロ紙幣から花のブーケを作る3部形式の映像を作り出している。ルーマニア館は、予算がきついので、そのパヴィリオンの壁は完全にむき出しだ。代わりに、5人がその体だけを使って、過去のビエンナーレで取り上げられた芸術作品を「演じる」。

ドイツ館だけが、どれだけ国際協力と文化的境界の探検に開放的であるかを強調したいわけではない。しかし、これらの概念は、ドイツ人の間で特別な響きを持っている。ある案内係が言ったように、「みんなが我々を憎む」からだ。ドイツはパヴィリオンを(シャルル・ド・ゴールとコンラート・アデナウアーによって調印された1963年の友好条約への会釈として)交換している。しかし、ドイツ人としての資格で現れたたった一人の芸術家は、ヴィースバーデン出身でフランス国籍を持つロミュアルド・カーマーカーだ。他には、中国の艾未未、南アフリカからのサントゥ・モフォケン、そしてインドからのダヤニータ・シンがいる。

フランス館は賛辞に戻っていない。それが選んだ芸術家は、モーリス・ラヴェルの作品を解釈するミュージシャンについての、洗練されているが究極的に動かない映像を出している、フランス系アルバニア人のアンリ・サラだ。

英国館では、ターナー賞を受賞したコンセプチュアル・アーティストのジェレミー・デラーが大声を出している。「我々は、我々の金の間で飢えて座っている。」と、ヴィクトリア期のラジカルなアーティストでデザイナーのウィリアム・モリスを、ロンドンに住んでいるオリガルヒのロマン・アブラモヴィッチのヨットを壊すためにヴェネツィアの潟から上がってくるスーパーヒーローとして描く。別の部屋は、保護種である2羽のハイイロチュウヒが、ロイヤル・サンドリンガム・エステートからと言われる銃弾で撃たれた事件への暗示として、レンジローヴァーをその鉤爪で運ぶ巨大なハイイロチュウヒの絵で占められている。ヘンリー皇太子とその友人の一人が関わったと非難されるが、どちらもそのことについて何も知らないという。妨げられないデラー氏は、レンジローヴァーが繰り返し壊れた機械の鉤爪で乱打されていることを示す映像で、その考えを追い求める。微妙なこれはそうではない。

対照的に、アメリカ館のサラ・ジーは、その裏庭の外を見ている。彼女の展示品は、ペンキの缶、エスプレッソカップ、ランプ、そしてナプキンと言った日々の家庭にある物体からできた世界(よくわからない場合は地球型を想像するとよい)からなっている。持続可能な生態系が無視されていることについての彼女のメッセージに注意を惹くために芸術が大声で叫ばなければならない環境ではあるけれども、その結果は、独創的で目に見えて引き込まれる。

ロシア館は、その要点を故郷に持っていく。ゼウスが金のシャワーのふりをしてダナエを誘惑したというギリシャ神話に基づいた、ヴァディム・ザハロフの『ダナエ』は、7つの大罪のうち、強欲、色欲、嫉妬と言う少なくとも3つについてだ。ここでは、一人の男が木の実を食べながらハイビームに照らされて座っており、一方金貨の流れがシャワーヘッドから下の床に流れ落ちている。もしあなたが女性で、故にゼウスの注意を惹く資格があるのならば、透明の傘の下で頭の上から注ぐ金を見ることができる。案内係は、それから、経済(と不正)をどちらも流し続けるために、バケツを硬貨で満たすよう求める。

パヴィリオンのそばには、主会場がある。しばしばがっかりだが、今年はそれがそのフェスティヴァルのハイライトだ。ニューヨークのニューミュージアムのマッシミリアーノ・ジオーニが監督する「「エンサイクロペディック・パレス」は、いかに人々が降りかかるすべての情報を秩序立てるかについてだ。いくつかの良く知られた名前と一緒に、ジオーニ氏は、避難収容者や自閉症患者と言った、社会の辺境からの自己流の芸術家によって作られた作品を含んでいる。ほとんど話すことのできない澤田真一は、その深く不吉な粘土の動物に捧げられたギャラリーを持っている。彼の作品、そしてそのショー全体は、違ったものを提供する。本当に驚くべき芸術だ。
 

発行日: 
2013-06-08
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