頑張れ、わが勇者 - ニジェール、アルジェリア、リビア、エジプト、スーダン

アフリカの中央は貧しくて紛争がはびこったままだが、行動主義が起こっている

その大陸の乱雑な中央部は、ナイジェリアの首都の1時間北から始まる。運転手は数マイルごとの関門で止まらなければならず、夜間外出禁止を遵守しなければならない。主要な北部の都市カノの郊外では、武装した兵士が銃身に固定された銃剣を持って道を警護している。その知事の事務所は要塞で、その周囲の道路はすべて人の高さのコンクリート障壁で封鎖されている。自身をボコ・ハラム(西洋の教育は罪)と呼ぶイスラム過激派集団は、自動車爆弾や奇襲隊襲撃で、年に何百人もの人を殺す。治安維持軍の高圧的な反応は、さらに多くを殺す。その知事は彼の設置した新しい街灯を自慢するが、住民たちはナイジェリアの石油の富をほとんど何も見ていないので、怒り狂っている。

カノは、すぐ北の埃っぽい巨大なサハラ砂漠から、下は青々とした肥沃なコンゴ川の渓谷をウガンダの国境まで上って広がるアフリカの内陸の端にある。西側のメディアで出版されたアフリカの苦悩の物語は、ほとんどがこの地域からやってくる。マリではイスラム主義者が去年民族蜂起を乗っ取り、彼らを邪魔しようとした軍事クーデターに助けられて、その国の北半分を一時的にのっとった。中央アフリカ共和国の反乱軍は最近首都に進み、最後には政府に招かれた。南スーダンとコンゴでは、暴力の証拠がどこにでもある。破壊された村々、傷つけられた子供たち、大量強姦の報告だ。

みんなが危険を抱えている。かなりの西洋人が、近年、北部ナイジェリアと隣のニジェールで誘拐され、殺されたものもいる。国境では、警察官が、中央ニジェールの低木の生い茂った砂漠の中の数少ない町の一つであるアガデスに行く旅行者に忠告している、「でもやってみればよい。」次の日、アガデスの彼の同僚の一人は、更に励まさなかった。さらに北への道について尋ねると、彼は記者のパスポートを押収しようとし、薬物運搬者がサハラを渡って地中海へ行く交易路を支配していると警告する。彼は、確固としたホスピタリティで知られる遊牧民族のトゥアレグ族を非難する。輝く青いローブを着て、彼らはアガデスの郊外で砂に覆われたトヨタハイラックスをきれいにする。
 

アフリカの固いハート

アガデスの北のトゥアレグの砂漠の中心部への破壊された道のドライヴは、巨大な貧困の絵を明らかにする。ほとんどすべての女性にはなくした子供がおり、それはしばしば一人以上だ。生き残った者たちは学校に足を向けたことがあるようには見えない。一人もだ。代わりに、彼らの両親が誇りを持って見るように、彼らは焼けるような砂漠の砂を通ってその腹を栄養失調で膨らませてラクダに乗る。

隣り合う国々の人々も豊かにはやっていない。イナゴはなけなしの食料はあまりにがつがつ食う。コンゴは、国連の世界人間開発指標で最後に来る。その指標の底の10か国はすべてアフリカの国で、うち半分は真ん中からだ。ナイジェリア北東部の識字率は、南部のビジネスハブのラゴスのたった1/3だ。女性で読み書きができるのは5%より少ない。一人あたりの所得はその国の南部の半分で、学校の入学率はたった1/4だ。ボコ・ハラムがそのテロ作戦の新兵を見つけることができるのは、何の不思議もない。

その悲惨な貧困は経済的潜在性の欠如によるものではない。ほとんどの年でチャド、コンゴ、マリ、そしてニジェールは、成長率でそれ以外のアフリカに広く追いついている。彼らは、理論的には基本的なサーヴィスを提供するのに十分なものを稼いで当然な、たくさんの天然資源を持っている。コンゴには金やほかの価値のある鉱物が詰まっている。チャドには石油がある。しかし、お金は国庫から最も必要とする人たちの所にはしたたり落ちてこない。

その責任は、資源貿易の有害な副作用とともに、戦争と悪い統治のもとに横たわっている。物語はそれぞれの国で軽く異なっているが、共通の要素がある。反乱軍はより良い暮らしのために戦う。政府は病院と事業の閉鎖を彼らのせいにする。両方ともに、表面上は公共サーヴィスに支払うために、しかし最初は相手側を阻止するために武器を買うために、ダイヤモンド鉱山や銅鉱山といった天然資源を手に入れようとする。

アフリカの最貧諸国は内陸国だ。実際的に、今アフリカで戦っているすべての国は、穏やかになっているソマリアを除けば、内陸国だ。ケニアといくつかの他の国は、時々共同体間の暴力が起こるが、そのどれも持続しない。英国の貧困経済学者の長老ポール・コリアーが示唆しているように、内陸国がより孤立しなくなれば、アフリカの多くは大きく改善していただろう。それは、隣国に交通障壁を取り除くよう説得することを意味する。貿易の欠如が暴力に拍車をかけ統治を侵食しているように見える。

トゥアレグ族は、砂の海の中の2列のタイヤの跡の脇の金属のポストとフランス語の看板以外には何もないニジェールとアルジェリアの間の国境のすぐ上を運転する。彼らは、数時間後に日中の太陽の中2台の車がゆっくり逆側から近づいてきたとき、スピードを落とす。1台は砂漠の探検旅行を主催する観光会社に属し、もう一台はその観光客をエスコートしていると主張する現地の警察に属する。制服を着た男たちは攻撃用ライフルを持っている。

のちに、他の武装した男たちを避けるために光を暗めに落としたキャンプサイトで、その警察たちは彼らの砂漠警護の話を物語る。暴力は一般的だ。アルジェリアは、その内戦は公式には2002年に終わったけれども、20年間武装イスラム主義者と戦っている。ほとんどの人口の集まった地域で、10万人以上が亡くなっている。「少なくともあちらでは見物人を少ししか撃たない。」一人が言う。

アルジェリアは、テロリストと、1992年に選挙を中止し反対派を押しつぶす自身の政府の両方によって包囲されている。批判者は、叩かれ、弁護士に会うことをめったに許されない牢獄の中に消える。国の抑圧は幾分和らいでいるが、牢獄は依然としてそこにいるべきではない人々でいっぱいになっている。

抑圧の目標の中には、それを終わらせる最高の望みでもある民間人活動家もいる。システムの中で働く彼らは、テロリストと外国の外交官が失敗しているところで時に成功する。アルジェリアでは、暴力は続いているけれども、彼らは政府に虐待のいくつかの形を抑制するよう説得している。「変化はゆっくりやってくる。」チュニジアとリビアの国境近くの岩がちの大学町ウアルグラのある活動家は言う。彼は名前を明かそうとしない。「しかしそれは来る。」
 

漂うアラブの春

アフリカ中の活動家が彼の望みを分かち合っている。ガーナ、ナイジェリア、セネガルでは、彼らは最近の選挙の間に投票所を監視し、携帯電話を使って結果を直ちに集め、そうして政治家がずるをするのを難しくした。ニジェールのような内陸国では、そのような動きが発展するのは遅いが、彼らはそこでも成長している。しばしば政治的参加と援助活動やほかの職業との間の境目は流動的だ。ナイジェリアのなけなしの医療は民間グループから来ている。政府に対する最大のチェックは、インターネットの力を得た記者たちだ。東へ行ったアラブの春の国々ほど活動家市民の力がより明白なところはない。リビア人は2011年に40年にわたるムアンマル・カダフィの支配に対するデモと彼を首都のトリポリから追い出すことによって、大きな勇気を示した。地中海沿岸で、ミスラタ、ラス・ラヌフ、アジュダービーヤー、そしてベンガジは、今では、新憲法を書くだろう選ばれた指導者によって統治されている。

隣国のエジプトでは、革命後の政治はより厄介だ。かつての反対派は、イスラム主義者と、ムスリム同胞団のムハンマド・ムルシーに率いられた新政府が別の独裁者に変わるのではないかと恐れるリベラル派に別れている。2011年の発火点だったタハリール広場は、若者たちの戦場のままだ。

しかしながら、他のアフリカ諸国にとっては、アラブの春は望みののろしだ。人々はそれについてカイロからハルトゥームまで、更にはそれを越えて話している。将軍たちによって支配されているそのスーダンの首都は、最近デモのいくつかの波を経験している。当局と不和になった弁護士でかつての議員のサリー・オスマンは、「我々はクーデター以外のどんな手を使ってでも政府を変えたいのだ」と主張する。民主的な選挙を要求して何年間も投獄された彼は、その国でもっとも著名なイスラム主義者で同じように政府に反対したハッサン・トゥラビと獄房を共にした。彼らは激しく論じあったがうまがよく合い、解放されたあかつきにはそれぞれの政党が連立を形成するよう説得するということを話し合った。「我々は幅広い大衆の蜂起を欲している。」トゥラビ氏は語る。「見ろ、エジプト人でさえ革命を起こした。彼らの指導者はファラオのようだったが、今では去った。スーダンも続くことができる。」

似たような感情は、エチオピア国境に近い東部スーダンからはるばるウガンダ、アンゴラ、そしてブルキナファソまでのしいたげられた場所でデモを惹き起こしている。今のところ、ほとんどが具体的な結果を達成していないが、彼らは政府により良い仕事をするよう圧力を加えている。
 

発行日: 
2013-03-02
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