いつも真実の輪であるわけではない - 樹木年代学

過去環境を調査するための木の使用は注意を必要とする

木の年輪は母なる自然の歴史の本だ。研究者たちは、過去環境を再構築しようとするとき、しばしばその中に貯められた化学物質を見つめる。けれども、すべての歴史書のように、それらも信用できないかもしれない。そして、ある特定の着目した化学物質、水銀の場合、マドリーの農業食料調査技術研究所の、ホセ・アントニオ・ロドリゲス・マーティンとその同僚が、いかにそれらが信頼できないかを示したところだ。

ロドリゲス・マーティン博士はカナリー諸島のラ・パルマで松を研究していた。彼は、その島の火山のひとつオヨ・ネグロが1949年に激しく爆発したことを知っており、その噴火からの灰の雲と岩の爆発的な噴出が近くの松のすべてを破壊したと信じていた。しかしながら、「自然科学」誌で彼が描いたように、彼とそのチームがその地域を調べた時、彼らはその火口からたった50メートルの所にこの激変からの亡霊を発見した時、あぜんとした。

戦いで傷ついた兵士のように、この今でも大きい松は、その幹に多くの半分治った傷を持っていた。それはそれを生き残ったのだ。しかしながら、それはロドリゲス・マーティン博士の斧からは生き残らなかった。しかし、彼はしぶしぶそれを切り倒し、そして比較のために、その噴火から400メートルの所で育っていたものと、16キロ離れた別の、似たような年齢の木を集めた。

火山の噴火でしばしば噴出される一つの不愉快な要素は、水銀だ。それは、土壌サンプルが示したように、確かに1949年の事例だった。問題は、そのどれだけが黄の中に入ったかだ。
 

水銀が減っている

その生き残りの傷の細胞を分析した時、ロドリゲス・マーティン博士は、その中に高水準のその金属を見つけた。木1キロ当たり22マイクログラム以上が見つかったのだ。その細胞がその噴火の直後に形成されたことを考えれば、それは驚くべきことではなかった。驚くべきことだったのは、(その噴火の直後に植えられた木も含めて)生き残った木の年輪が1キロ当たりたった2.3グラムの水銀しかその中に持っていなかったことだ。さらにもっと驚くべきことは、近くの土壌には水銀があるのにもかかわらず、他の2本の木の年輪には水銀がなかったことだ。

年輪は、木質部と呼ばれる細胞からできている。これは、水分やミネラルを土壌から葉に運ぶ一組の水路であり、だからその組成は土壌の中のものを反映していると予想されたかもしれない。木の樹皮のすぐ下で見つかった水路の2組目、師部は、光合成の生成物を根に運ぶ。しかしながら、この細胞は毎年保全されるわけではない。

ロドリゲス・マーティン博士が黄の師部のサンプルを集めた時、彼はそこに木質部よりも多くの水銀を見つけた。噴火場所の木からの師部は、1キロ当たり9.5マイクログラムの水銀を持っていた。2本のより離れた木は、それぞれ2.9と2.0を持っていた。

その違いの説明は、その木の樹皮にある。これは、師部と似たような水銀水準だった。ロドリゲス・マーティン博士の説明の意味するところは、木が継続的に脱ぎ捨てるその樹皮をゴミ捨て場に使っているということだ。水銀は師部によってそこに運ばれ、その植物のより恒久的な部分よりも、そこに選択的に貯められるのだ。その金属はそれから、樹皮が脱ぎ落されるとき、捨てられるのだ。それによって、後にやってきた研究者たちはそれが見えないのだ。さらに、水銀に起こることは、他の有毒素材にもかなり起こったかもしれない。これは古生態学者の計算を厳しく不調に投げるかもしれない。そのすべては、年輪の書を過去に何が起こったかの手掛かりとして読む人々への警告だ。木は、人間と同じくらい歴史を書き換えるのが上手なようだ。
 

発行日: 
2013-06-22
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