私の方法でそれをする - エチオピアとケニア

二つのまさに反対の経済モデルの間でのイデオロギー的な競争

メテマでの到着ターミナルでエチオピア国境警備がすべてのパスポートを手書きの望ましからぬ人物リストとあわせ、それらをはじき出す。ここは、国家がもっともよく知っている国だ。それは、訪問者にとって面倒かもしれないが、それはエチオピアをアフリカの開発の星の一つにしている。国境から離れる新たに建設された道路は、コーヒーについてエチオピアで二番目に大きな輸出品のゴマの集約的な畑に囲まれている。収穫された茎の黄金の束が、小川の脇の畑に置いてある。ボブ・ゲルドフがその国について「かつてなにも育ったことがなく/雨も降らず川も流れず/彼らは今がクリスマスの時期だって知っているのだろうか?」と歌った飢饉に襲われた1984年から長くたった。

今、ある程度まで、エチオピアではクリスマスの時期だ。その国は、経済を押し上げ貧困を緩和するのに国が後押しする政策を持っており、独裁に近い権力を持った高官によって実行される。市場と外国投資家は認められるが、疑われている。そのモデルは中国から借りており、西側のすべてが自由の資本主義の拒絶として考えられている。それは、地元の雇用者を育て、ウォール街からの捕食者から彼らを守ると主張する。その政府は将来自由民主主義に動くことについてあいまいに話すが、それは遠い先のことだ。経済が先に来る。その国の今は亡き首相のメレス・ゼナウィは、そのGDPの46%を占め労働力の79%を雇用する農業の改善に主に焦点を当てた、8,500万人の国のためのヴィジョンを開発した。

ルワンダが最も目立つが、隣国の中にはエチオピアの国主導型開発モデルに続くものもある。だが、他のアフリカ諸国は反対のやり方をとっている。彼らは、西側のモデルを抱き寄せて、国家の役割を減らして市場を自由化している。誇り高く自身をアメリカ大統領の故郷だと宣言するケニアが、その群れを率いている。それは、通信と銀行でその成功を、世界的に注意を惹いている。

ならば、どちらの陣営がよりよくやっているのか?その答えは、期待されるかもしれないほどまっすぐではない。エチオピア人たちは、例えばソヴィエトよりも、大きな国家を運営するのに有能だ。1990年代の後半に、彼らは系統的に彼らの目標を設定し、それ以来大きな規律を持ってそれらを実行している。彼らはその国中と省庁間の努力を調整する。高官は進歩を監視し、必要ならばコースを変える。彼らは外部の助言を歓迎し、そのような集権化された制度のために不正を著しく抑え続けることができている。

これは印象的な開発の利益を生み出している。エチオピアは20年間で2つの大学を32に増やしている。それはほとんどの村に学校と診療所を持っている。外国支援者によれば、乳幼児死亡率は2000年から40%下がっており、5歳以下の死亡率は45%下がっているという。エチオピアは依然として貧しい。2011年の一人当たり所得は、約400ドルで、サブサハラの平均の1,466ドルよりもかなり低い。しかし、それは、いくらかは国とそのときに非正統的な仲間の努力のおかげで、とても低い基礎から急速に改善している。

農家の利益割合とともにその生産性を上げることを狙う、公式の農業変革機関は、かつてのウォール街の銀行員でゲイツ財団の従業員のカリッド・ボムバによって率いられている。特にそれが5,000万頭の牛を持ってアフリカ最大の家畜数を蓄積しているので、エチオピアは5年以内に食糧を自給するようになるかもしれないと彼は言う。ボムバ氏の役人は家畜飼育と植栽技術を教える。彼らはまた、協同組合を組織し、種を流通し、灌漑計画を立て、価格情報を供給する。

その結果は簡単に見ることができる。メテマから道路を南東に進むと、首都のアディス・アベバからの運転手はある村で予告なしに停車し、道路脇で農民と素早く会話する。それから彼は不意に退却する。「妻のために穀物を一袋買おうとしたが、もはやよい取引ではない。」彼は説明する。「かつてはここでは60-70%安かったものだ。問題はこれらの男たちが今ではみんな町での価格を知っているということだ。」

その経済の別の部分もまた変わっている。その運転手は、全国的な道路建設計画の一部である、青ナイルに沿ったきれいに舗装された道路を運転している。それは、肥沃な地域ではたくさんの食料が利用できたが、飢えた人々の所まで届かなかった1980年代の飢饉への対応として建設された。悲しいことに、これは1,800万人の住む地域の主要な高速道路だけれども、車よりも牛の方が多く、ほとんどが空っぽだ。民間事業への制限のせいだ。政府は、最後にはスラムに行き不満になるかもしれない都市での運試しよりも、農民に土地にとどまってほしいと思っている。

批判者は、エチオピアの成功物語が信じることができるのかを長い間問うている。支持者でさえも公式数字を大きく信じているわけではない。農業の年次の生産性上昇は、公式統計が示唆するような5-6%ではたぶんなく、それでも依然として印象的だが2-3%のようなものだろう。ある内部者は言う。「役人は目標を与え、上官が聞きたい数字を報告する。」国際的な専門家は、政府によって見せびらかせる11%という数字のGDP成長に疑いを持っている。彼らは、実際の成長率は、依然として尊敬すべきものだが、その半分の5-7%だという。

批判者はまた、その国の経済成長のどれだけが最貧層に届くのかも問う。それを見るために、記者は高度3,660メートルの所にある一連の離れた村を旅するために、中央高地でロバを雇った。痩せた牛たちが樹木限界を超える苔むした牧草地から戻った時、最後の光をともした彼らに雨が打ち当たる。村人たちは深い崖の頂上に止まった藁のハットに彼らを集め、たき火の隣の木の柱の上に載せられたベッドの上に彼らを結びつける。彼らはヤギ、馬、そして鶏のそばで、煙っぽく暗いハットに入り、そのすべてはもし外に取り残されれば簡単にジャッカルやハイエナの餌食となる。科学者は、人々はそこに千年間もそうして住んでおり、その地域の深く侵食された崖は初期農業による森林伐採に由来すると考えている。

現在、村人たちはかつてないほど切り離されている。最も近い舗装道路は数日間歩かなければならない。しかしながら、過去10年間、彼らは初めて政府支援を受け始めている。小さな国立学校が今8年間の教育を提供し、看護師が基本的医療を供給する。「我々にとって大きな贈り物だ。」焚火のそばで背中を丸める老女が語る。しかし、政府が与えているものは、今再び取り去られるよう脅されている。観光客からの収入を稼ぐだろう国立公園の場所を作るためにハットは取り壊されるかもしれない、と高官は語る。
 

大きな国家の困難

有能な気前の良さが過酷な支配と結びついたエチオピアモデルは、いくつかの前線で困難に出くわしている。一つ目に、その財政は機能していない。インフレは2011年に40%に到達した。それは今、だいたい15%に下がっているが、成長を止める犠牲においてだ。アディス・アベバは、その所有者のお金が無くなった建築途中の建物でいっぱいだ。外国為替管理はより必要とされる輸入を締め出す。ドル送金は強制的にエチオピアのブルに換えられる。

インフレは、気前の良い国家支出によって高く保たれている。巨額が道路、学校、そして水力発電ダムにつぎ込まれるが、エチオピアはこの施しを支払う余裕がない。金利は借り入れ費用を減らすために低く保たれているが、それは貯蓄をくじき、資本不足を悪化させる。政府は、すべての銀行にその融資の少なくとも27%を政府のためにそらすよう強いることによってこれを回避している。最近のその国の南の辺境での石油の発見が最後にはこれを変えるかもしれないが、すべての調製は更なる調整を必要とする。政府はまた、新しいダムがその国を地域的な電力輸出者にすることを望んでいる。しかし、このどれもすぐには起こらない。

それはエチオピアの別の大きな問題も解きはしないだろう。労働力の大部分を農業で維持するのは、人口が世代ごとにほぼ倍になる中では、持続可能ではない。農業共同体は高い出生率を持つ傾向にあり、そしてエチオピアの、女性一人につき4.5人という出生率は、アフリカの中でも一番上の部類に入る。これは、土地に対する強烈な圧力になる。平均的な家族の土地区画は、よい生活のためには十分ではない1ヘクタールに縮んでいる。半マイルの深さがある青ナイル峡谷では、小麦、大麦、そして(食用の種をつける草の)テフのひな段状になった畑が、険しい丘のふもとにしがみついている。どんな小さな露頭も小さな自作農によって耕されている。

エチオピアが必要としているものは、新しい仕事を生み出し、家族の大きさを小さくする都市化だ。それは、ふつう外国の、資本を必要とする。外部の投資家への嫌悪と政治的支配を失う恐れを脇に置き、エチオピアの高官は民間部門の発展と産業化に向けての動きを一時的に奨励している。

この中のいくつかだけがうまくいっている。約80%の民間事業と思われるものは、国家に忠誠なものに支配される企業複合体に属する。故首相の妻は、銀行や海運から金属、旅行、そしてセメントまでを、すべてすべて公的な調査なしにかじっているEFFORTという主要なものを運営している。外国投資家は、エチオピアを潜在的に南アフリカ、ナイジェリア、アンゴラに次ぐアフリカで4番目に大きな経済とみなして、関心を示している。アディス・アベバから南に向かうそのバスは、道路の脇でおいしい生産物を売るイスラエルのストロベリー畑を通過する。そのストロベリーは、ほとんどの収穫品が向かうヨーロッパのスーパーマーケットと同じように、500グラムの透明プラスティックコンテナに入っている。600人程度の摘果手が、ストロベリーを空港に向けて荷造りするために、ポリエチレンのシートのトンネルを通って這い回っている。さらに南のジウェイでは、オランダ企業のシア・フラワーズが数平方マイルを覆う温室を建設しており、長い茎のバラを育てるために1.2万人を雇っている。

しかし、その道はまた、10余りの失敗した鶏農場の空っぽの建物も通過する。数年前、外国投資家たちは商業農場のための農地を借りるためにエチオピアに急いだが、一連の障害に直面した。土地賃貸期間は遡及的に100年から50年に、そしてついには25年に減らされた。その政府はしばしば投資家に手渡すために土地を押収し、その問題について何も言うことなく再定住した住民たちに相談したり補償したりすることはめったにない。時に、治安維持軍が土地をきれいにするために展開される。軍の部隊は、さることを拒絶した農民に暴力をふるったり、強姦したり、虐待したりするとして非難される。反撃するものもいる。ケニア国境そばの現地部族オモは、彼らが住んでいた土地での砂糖プランテーションに対して戦っている。ボディペイントをして口輪をはめた戦士たちがAK-47を抱えてアカシアの木の下に座っている。12月28日に政府軍は彼らを147人殺した。西側の投資家志望者は当然のことながら加担することについて心配している。

製造業はより安全な選択肢のようには見えない。中国の助けを借りて建設された首都の南の産業地区は、ほとんどが空っぽだ。労働者たちは、計画された2万の職のうちたった2,000しか実現していないと言う。投資家たちは、熟練労働者、物流網、現地供給網の欠如について不平を言う。

エチオピアでは更なる自由化が緊急に必要とされる。銀行は、真の民間事業に資本を供給するために束縛を解かれる必要がある。その国の国家的航空会社のエチオピア航空は国内の競争に直面すべきだ。通信会社は、携帯革命の利益を収穫するために全般的な改革を必要としている。政府がアラブの春でのフェイスブックの役割を心にとめて、現代技術が野党を助けることを恐れているので、電話会社は独占状態だ。それは厳しい管理を維持しており、アフリカでただ一国、全国的なインターネットフィルタリングを行っている。結果として、エチオピアは、その大陸で最も低いインターネットと携帯電話の浸透率を持つ国の一つだ。

その国の指導的な経済学者の一人は、「彼らは完全に外資に開放しなければならない、さもなければ壁にぶち当たるだろう。そのようなモデルは今では持続可能ではない。」と説明する。メレス・ゼナウィは、隘路を一度に取り除くことを望んで中央集権的な仕事をしようとしたが、それは難しいとわかった。彼の死後7か月で、彼の後を継いだとりまきたちは、よりよくはやっていない。彼らは彼のヴィジョンに執着するが、実行するのに苦労している。
 

市場の乱闘

となりのケニアは、アメリカ型の資本主義により近い。その国家は小さくなった。実に、モヤレで国境を越えるのは、目立つものはないもない。ケニアの入国管理は、歓迎式典という点では、だらしない。その町は、乱れた建物の群だ。どの道路も舗装されておらず、多くは雨によって抉り取られている。ホテルには複数の金属の門がある。受け付けは、8時までには屋内に入るよう助言する。ケニアの北部は血なまぐさい部族紛争の歴史を持つ。

しかし、モヤレが治安で欠いているものは、商業的・政治的活力で埋め合わせている。半ダースの電話会社が顧客を競い合っている。選挙の前に有権者は登録場所に列をなす。拡声器を持った政治家は、モヤレの電気はすべてエチオピアからの輸入だと不平を言って、政府を攻撃する激しい演説をする。「我々は自分自身のものを作ることはできないのか?」彼らは訊ねる。そのようには見えない。しかしエチオピアとは違って、彼らはそれについて不平を言うことができる。

次の日、筋骨隆々の前腕を持った運転手が、埃っぽい道の上の深い轍を、彼のローリーを運転する。モヤレから南のメリレへ、黒い火山岩の特徴のない砂漠を渡る237マイルは、記者がアフリカを渡るのに、最も長い未舗装の道路だ。リベリアとニジェールの未建設の区間はより短かった。他はすべて舗装されていた。しかし、ここでさえも、ガタガタ揺れながら、モノと人のすべての作法は動いており、ゴミのシートを放り出す。アフリカ内貿易の成長は、低い基礎から過去10年で目まぐるしく増えている。

赤道とケニア山のそばで、土地は肥沃になる。農民たちは肉、穀物、そして花を道の脇で売る。しかし、ケニアの農業人口は、今では全人口の半分以下だ。都市化がフル回転している。都市の端の混乱したしかし生産的なスラムが急速に成長している。安い労働力の利用可能性が5-7%のGDP成長に寄与している。それはエチオピアの実際の率だと西側の経済学者が計算するものとほぼ等しいが、公式数字はエチオピアがその倍だ。

ケニアは、エチオピアが頼るほどにも商品からの所得に頼ることはできない。しかし、北の隣国とは違って、それはめったに市場には介入しない。事業に近いムワイ・キバキ大統領の2002年の選挙の後で、その国は多くの部門から引き揚げた。それは価格管理をやめ、非効率なコーヒーと綿花の販売委員会を解散した。それは外国為替市場を自由化し、商業紛争の解決速度を上げるために司法改革を取り入れた。社会資本への支出決定の中には現地の共同体にゆだねられるものもあるだろう。

自由化の主要な受益者は技術部門だ。携帯電話の浸透率はエチオピアの4倍だ。世界銀行は、携帯電話がケニアのGDPの成長に2000年以来年に1%加えていると説明する。二人に一人のケニア人がインターネットを使っている。グーグル、インテル、マイクロソフト、ノキア、ヴォーダフォン、そしてIBMが大きな投資家だ。

銀行部門も、より自由な体制によってよりよくやっている。過去10年で、口座所有者数は100万から2,000万に増えており、焦げ付き融資は20%から3%に下がっている。金融はより多様化している。エクイティ・バンクは、高い手数料と最低預金を廃止して、伝統的な金融サーヴィスを大衆に開放している。メリーゴーランドと呼ばれる10万程度のインフォーマルの貯蓄グループが立ち上がっている。しかし、最も重要な革新は、現地の電話業者サファリコムによって2007年に導入された携帯バンキングだ。1/3以上のケニアのGDPはいま、その携帯電話上の資金移転サーヴィスのM-Pesaを通って流れている。それは5つの国内競争相手を持っている。去年、サファリコムは、市場金利を使った携帯貯蓄融資スキームのM-Shwariを立ち上げた。
 

シリコン・サヴァンナに来る

現代技術と十分な資本の結びつきにより、事業が栄えることができるようになっている。新興企業は、首都ナイロビの西のシリコン・サヴァンナというところに生息している。その最大のスラムから数分歩いたところにあるンゴング・ロードの気取ったロフトスペースに、9つのインターネット新興企業が、5万ドルをとってある潜在的な投資家に投げている。20人かそこらの集団が、いかにして彼らがテナントが電話でアパートの家賃を払うことができるようにするか、または中古の衣料を取引できるようにするかを説明している。彼らは、「種基金」や「生態系」の話で、その農民である親たちが混乱するかもしれない言葉を話す。

確かに、ケニアは問題を持っている。その選挙は自由だが、暴力的になりうる。子供と母親の死亡率は手におえないほど高いままだ。モンバサの港は、改革を妨害する腐敗した政治家のおかげで大きな隘路だ。犯罪、不正、そして依怙贔屓が充満している。政治階級は依然として腐敗している。

そうであっても、ケニアは基本的権利を持っている。それは、ひいては外部世界からより多くの資本を惹きつける、資本の分配といった重要な決定に個人を関与させて、彼らを力づけている。成功のもっとも確かな兆候は、中産階級の出現だ。新たな富裕層の良い部分は、ケニアの普通の人々にしたたり落ちている。

それはその国を汎アフリカ的傾向の前衛にしている。アフリカ開発銀行は、その大陸中の消費者支出がここ10年でほぼ倍になるとみている。それは、自由裁量支出をする余裕のある家計の割合が2000年の35%から2020年に52%に増え始めるという。消費階級は西側の店主を惹きつける。ウォルマートの子会社は14のアフリカ諸国で300の店を持っている。ナイロビのプライヴェートエクイティファンド、カタリストを設立したポール・カヴマは、「数年前、我々はアフリカに消費者がいるとは考えなかった。今、それが投資で我々が求めているもののすべてだ。」と説明する。

ケニアの市場主導型発展への賭けは、そのグループ内でのモノの動きを自由化している5か国の地域ブロックの東アフリカ共同体の指導者にその国をしている。ケニアの貿易の半分以上が、今ではほかのアフリカ諸国との間のものだ。英国に変わってその最大の貿易相手国になったウガンダは、その隣国のものと国境チェックを結びつけている。しかし、モンバサの南のタンザニアへ超えるには、形式的手続きに依然として30分かかる。

ケニアの携帯技術の影響は簡単に示すことができる。バス停で、係員が電話で最新の為替レートをチェックしてドルをタンザニアシリングに変える。海に出ている漁師は、どこに陸揚げするか決める前に携帯電話で獲物の価格を調べる。その国を渡って商業首都のダルエスサラームからザンビア国境までのほぼ600マイル近い旅で、携帯の電波は一度も切れず、どの町にも携帯のブロードバンドインターネットがあった。国境の町のトゥンドゥマにホテルがあれば、オンラインで予約ができただろう。しかし、利用できるたった一つの場所はどろぼうにとられないように金属ケースにくっつけた壊れたテレビがある蒸し暑い部屋だ。
 

発行日: 
2013-03-02
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