試行錯誤の世紀 - 経済史

経済学者はいかにして人類を不潔さと欠乏から救ったのか?
 
その人気雑誌「ハウスホールド・ワーズ」に寄せたエッセイの中で、チャールズ・ディケンズは、経済学者にその学問を人間らしくするよう要求した。「政治経済は、それが少しでも人を覆い、それを満たさなければ、単なる骸骨だ。」と彼は1854年に創刊号で書いた。「その上に小さな人間の輝きがあり、その中に小さな人間の暖かさがある。」
 
これは、どの経済学と経済学者が主として進歩に失敗してきたのかを名指しするものだ。元のニューヨークタイムスの経済特派員で、今はコロンビア大学にいるシルヴィア・ナサーは、彼女の本の中で、ディケンズの望みを満足させる道の一部を少なくとも進んでいる。「大追跡」は、肉付き、輝き、温かみに満ちた経済学の歴史だ。著者は、経済学には、トーマス・カーライルの「陰鬱な科学」よりもはるかに多くのことがあると示す。そして彼女は、ゲーム理論の裏側の悩んだ天才であるジョン・フォーブス・ナッシュについての1998年のベストセラー「ビューティフル・マインド」の著者としてみんなが期待するであろう様式と堂々とした態度でそれを示す。
 
経済学者、少なくともナサー女史が論ずる僅かな天才たちは、特に興味深い群れであると判明する。ジョン・メイナード・ケインズは、ブルームズベリーの知性と高級官僚に妖精の気味を挟んだ異国風の混合だった。ヨーゼフ・シュンペーターは余暇にサラブレッドに乗り、愛人を集め、そして奇妙な場合には、大騒ぎに参加したような度を越した学者だった。1929年10月に株価が「恒久的な高地に見える点」に到達したと宣言したイェールの経済学者、アーヴィング・フィッシャーは、健康オタクで禁酒論者だった。シュンペーターが「我々の最良の仲間のひとり」と呼んだジョーン・ロビンソンは、人民服を着、北朝鮮は南を凌ぐに違いないと断言した。
 
ナサー女史の物語は、彼女がその偏見をほとんど隠していないという事実により、さらに魅力的になった。彼女は、自分の正しさを確信し、大英図書館で自分の本に埋もれたので、自分の周りの世界を見つめることに失敗したカール・マルクスについてほとんど時間を割いていない。彼は、一つとして英国の工場にわざわざ出向くことをしなかった。彼は、その玄関先から数マイル先に住んでいたチャールズ・ダーウィンやジョージ・エリオットを含めて当時の知的巨人と言葉を交わすことを拒絶した。彼は、労働者階級の国富に占める取り分が増えているという圧倒的な統計的証拠を無視した。対照的に、アルフレッド・マーシャルは、マルクスとは正反対で、ヴィクトリア期の高潔さの最高の具現だった。マーシャルは、彼の周りに起こっていることに敏感だった。彼は頻繁に工場や企業を訪れ、世界の新しい「エネルギー帝国」アメリカを旅行して回った。彼は、一般教育と漸進的改革を全力を上げて支援した。
 
ヘタをすると、ナサー女史の物語は一連のそこそこの知的レヴェルの人へのうわさ話であるペン書き程度のものに退化したかもしれない。しかし、彼女は一連の大きな疑問への彼女なりの説明を統合した。例えば、どのように人類は、その歴史の多くにおいて運命であり続けたひどい貧困から抜けだしたのか?なぜ、静態的な社会は、動態的なものにとってかわられたのか?そして、資本主義の人間生活への独特の寄与である過熱と破裂にどのように対処するのが最善なのか?
 
マルクスの見方では、生産力を解き放つその能力にも関わらず、資本主義制度は矛盾によって苦しめられる。利益を増やす推進力は、貧しい人を窮乏化させ、過剰生産の危機へと導く。しかし、マーシャルは、貧者を窮乏化させるのではなく、生産性を上げることによって、資本主義が進歩することを示した。工場主は、絶え間なく小さな改善を繰り返すことによって、高賃金と低価格でものを生産できるようにし、それによって、社会全体への物質的利益を広げるのだ。シュンペーターは生産性上昇の考えをさらに拡大した。経済は単にますます大きくなるわけではない。それは、企業家が新製品や新過程を発明するに従って、絶え間ない困惑させる過程を経験する。マルクスはそれをひっくり返した。資本主義に周期的に起こる危機は、実際にはそれをより強くする。
 
経済学は分析的であると同時に実際的な科学だ。左からは、ビアトリス・ポッター・ウェッブが、大量分配や「家計国家」によって治療されうると論じた。フィッシャーは貨幣供給のよい管理は安定に寄与しうると論じた。ケインズは、中央銀行が最後の貸し手となるように、政府が最後の使い手として行動すれば、危機は避けられうると主張した。
 
「大追跡」は最後につきる。なぜナサー女史がアマルティア・センが彼女の旅の正しい終着点かもしれないと考えたかは簡単に見て取れる。彼は、飢饉というもっとも劇的な型の困窮を除去するのを考えるのに、その人生を捧げた経済学の巨人だ。しかし、にもかかわらず、2007-08年の金融危機について、そしてそれが経済専門家の間に引き起こした議論について論ずることなしに、経済学の歴史を終えるのは奇妙だ。たしかに、ポール・クルーグマンや、ローレンス・サマーズの好みは、物語の終幕で少なくとも端役を演ずることだっただろう。しかし、それは素晴らしい本を汚すことだ。「大追跡」はすべての経済学者の研究の中だけでなく、真剣な読者のベッド脇のテーブルの上にも置く価値のあるものだ。
 
発行日: 
2011-09-10
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