より陰鬱ではない議論 - 経済ブログ

いくつかの分野ではブログが議論を安っぽくした責任がある。しかし、それらは経済学は豊かにした

「真実と欺瞞に取り組ませろ。自由で開かれた邂逅の中で真実が悪い方に置かれたことをだれがかつて知っているというのだ。」ジョン・ミルトンは1644年に自由な報道を熱烈に支持してアレオパギティカ誌の中で尋ねた。しかし、数回クリックしただけでブログが立ち上げられる時代に置いて、より多くの発言と選択が議論の質を上げることにみんなが同意するわけではないだろう。ハーヴァードの法学教授のカス・サンシュタインは、人々が自分の合意する見方だけを聞く「情報のまゆ」や「こだまの部屋」に逃げ込むことを許すことによって、ブロゴスフィアは政治家によって広く分かち合われている恐れである分極化を育てた、と論じた。フォーブス誌はかつてブログを「自由をまくし立てるが、嘘や中傷、毒舌を吐き散らずオンラインの私刑群衆のとても重要な舞台だ。」と呼んだ。

印刷の到来といった以前の出版革命も、矮小化と過激主義の似たような懸念を刺激した。しかし、政治的、科学的、宗教的な議論についてのブログの影響についてあなたがどう考えようとも、インターネットが経済学についての世界的な論議を安っぽくしたと論ずるのは難しい。反対にそれは改善したのだ。

(世界銀行の二人のブログ作者でもある経済学者の)研究は、ブログ作者によって引用された学術論文はより多くダウンロードされていることを示唆している。ブログを書く経済学者は、同じような出版記録を持っていても、ブログを書かない人よりも高く扱われる。ブログは、ビジネスサイクルについてのオーストリア学派のような、学術的な市場では評価を得ることのできなかった考えに別の意見を与える。それらはまた、アメリカの経済の消沈やヨーロッパの自分で苦しんでいる危機について勇敢な解決を促進したかつて隠れていた学者に声を与えた。

よい例が、ベントリー大学のスコット・サムナーだ。彼は、アメリカの連邦準備銀行が(インフレを考慮に入れた「実質」GDPに対する)「名目」GDPを危機以前の水準に回復することを約束すべきだと信じる。インフレは連銀の暗黙の目標に沿っているが名目GDPは危機以前の水準よりも11%以上下にあるので、サムナー氏の提案は、連銀が今のところ考えているよりもはるかに拡張的な金融政策を要求するかもしれない。この考えは何十年も前に議論されていたが、インフレターゲットが機能していたように見えた危機以前に何年も無名に埋もれていた。その伝統的な知恵に対する別の選択肢は突然生きた議題になり、ブログはそれについての専門家を陰の中から引き出した。
 

かつてはキルケニーの2匹の猫だった

ブロガーたちによる行ったり来たりは、いつも経済の研究を刺激してきた大学の廊下や喫茶室での非公式なおしゃべりに似ていると、ニューヨーク・タイムスにブログを書いているノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンは論ずる。しかし、オンラインで会話がなされるということは、はるかに多くの人々が参加できることを意味する。明らかに、すべての失われた預言者にもかかわらず、単に消えてしまった変人もいる。しかし、その参入障壁の低さにもかかわらず、ブログはある程度の知的水準を要する。事実や論理の誤りは、指摘され、あざけられ、正される。合意されない分野は強調され、時に狭められすらする。もっともよい貢献者の中には自分のブログすら持っていないものもいる。代わりに審判としてつくし、ほかの人々のサイトに思慮深いコメントを残し、そしてしばしば境界線を縦横に動く。

この議論は常に礼儀正しいわけではない。しかしかつてそんなことがあっただろうか?ジョン・メイナード・ケインズとフリードリッヒ・ハイエクの1930年代の議論はそのいくらかが学術誌に掲載されているが、彼らの機才としては有名ではない。ある観察者は彼らのやり取りを「キルケニーの猫」の騒々しい喧嘩になぞらえた。どちらの男も、一人は疑わしいが、その戦いがオンラインで取り上げられるのを楽しんだだろう。
 

発行日: 
2011-12-31
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