日本民主政治最後の日

本日2012年6月26日、日本の民主政治は終わりの日を迎えた。

一度も国民からの信任を得ていない僭首は、国民からかつて完全に否認された法案に関わり、「総選挙をするという選択肢はない」と言ってのけた。それならば私も言わせていただこう。正当性のない人物による、正当な手続きを経ない法を「受け入れるという選択肢はない。」

いまさら繰り返すまでもなく、2009年の選挙で、消費税は4年間上げないと言って民主党は勝利した。そのときはそれが主要論点ではなかったとか、4年間「あげる」ことはしない、といった議論は、その時点ではあり得たかもしれない。しかしながら、2011年の参議院選挙では、民主党は明確に消費税増税を掲げて敗北した。この時点でこの議論についての民意は明らかに示された。にもかかわらず、何ら国民からの信任を受けていない次の総理は、何も恥じることなく「国民のため」を連発した挙句、それを確認するという手続きを一切踏まないまま、本日、衆議院で採決に踏み切った。

国民は、最善を尽くしたとして、この一連の手続きにおいて、どの時点で彼を止めることができたのだろうか?一個人の勝手な思いが、ノーチェックで国政に反映されるというは、民主主義といえるのだろうか?こんなことがまかり通るのならば、選挙に意味はあるのだろうか?

もし仮に法案が文句のつけようもなく、対案も出しようもないほどの素晴らしいものだったら、私とてここまで反発はしない。しかしながら、こちらでいくつも論点を出したように、議論すべき課題は山ほどあった。にもかかわらず、実質増税幅と時期以外には何も決めることなく、単に「増税を決めただけ」というのは驚くべきことだ。まさに国民を愚弄することだけが目的の、愉快犯としか思えない。残念ながら私はこれほどの侮蔑、愚弄に耐えられるほど心は広くない。

これまでも一度もこの僭首に正当性を認めたことはなかったが、今後一切その決定事項に私が縛られることはないとここに宣言しておきたい。彼の関わった法から一切の権利義務関係が生じることはないだろう。その手続きに正当性がないのだから。ままごと政治は自分の支持者の間だけの僭首国内でやっていただきたい。私はそんな国を承認することもないだろうが、承認したい人たちを止めることもしない。

民主主義法治国家の国民の誇りにかけて、私はこの暴挙を許すことはない。

まったく扉を閉ざしてしまうのも、発展がないので、もし最後のチャンスを望むのならば、国民投票にかけていただきたい。有効投票2/3以上で過半数の賛成があれば、私は受け入れる。これは非常に穏やかな条件であると、私は認識している、この程度の賛成すらも集められないようなら、とてもではないが国民の合意を得ているとは言えないだろう。申し添えておけば、1票の格差も解消できないような衆議院の解散で今更お茶を濁そうなどと考えても、もうそんな段階はとうに過ぎたということははっきりさせておきたい。
 

政治に限らず、演劇において、観客の存在を忘れて、身内の評価しか耳に入らないような大根役者は、残念ながら決して大成することはないだろう。最終的にカネを払うのは観客なのだから。さらに言うのならば、もし自分が観客に向けて演じていることすらも忘れて、親や先生に褒められて自己満足に浸っているのならば、それは演劇ではなく、ただの学芸会である。一つだけ確かなのは、何の魅力もない猿芝居にカネを払うお人よしなどはどこにもいないということだ。

 

法案賛成者一覧はこちらから

 

 

主カテゴリー: 
主地域: 
キーワード: 
評価: 
0
まだ投票はありません