少しなら、自由にデモをどうぞ - エチオピア

エチオピアでの政治デモはより大きな自由を布告できたのか?

珍しい政治デモのちらつきが、6月2日にそれがなければ厳しく統制されたエチオピアの首都アディスアベバの街路を彩った。デモ参加者は、平和的に町を通って行進し、多くは投獄された愛する人々の写真を持っていた。のちに彼らはその首都の主要な大通りであるチャーチル通りに集まり、そこで彼らは新しい闘争が始まったと言われた。野党Semayawi(青)党の議長Yelekal Gerachewは、政治犯の解法を要求し、失業と腐敗を攻撃した。

活動家は、1万人もの人々が参加したと主張する。政府高官は、その数が4,000人近くだったという。本当の数字が何であれ、それは、選挙操作への不平の中でのデモが暴力的に抑圧され200人近くの非武装のデモ参加者が亡くなり何千人もが逮捕された2005年以来エチオピアで最大のデモだった。

それ以来、政治的野党は骨抜きにされている。その指導者たちは投獄されるか亡命を余儀なくされており、メディアは沈黙させられ、与党エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF)は、何百人もの新規党員を獲得している。2010年の前回の選挙で、その党は議会の議席の99%を獲得した。去年亡くなるまで、1995年以来首相を務めたメレス・ゼナウィは、名前以外は一党制の国家を作り上げた。個人の自由の犠牲の下で経済を急成長させた彼の「開発独裁」の制度が、今ほぐれそうだと示唆するものはほとんどいない。

最近のデモでの反対派は、宗教の事象に介入する政府を非難するエチオピアのムスリムがいっぱいだった。しかし、出席者は8年前の100万人強に比べれば、依然として穏やかだ。それは、政府の抑えた反応を説明するかもしれない。それは、デモ参加者に行進の許可を与えたが、新しい首相のハイレマリアム・デサレンがアフリカ連合とその前身の50周年を記念する首脳会談を開催する間に、彼らが彼を困らせないように1週間遅らせた。警察はデモ参加者に嫌がらせをしないことを選んだ。

メレス後の移行が不安定の前兆となるという恐れは、今のところ裏付けられていない。エチオピアの経済的緊張のいくらかが、失業状態とインフレについての不平で、デモの中で明らかだった。しかし、その行進を許すという決定は、与党EPRDFの体制が「エチオピアの春」のようなものに一掃されるという懸念よりもむしろ、その高位者の中の自信を示唆する。そのデモがその国の政治の変貌を記録すると言う示唆は、早すぎるかもしれない。
 

発行日: 
2013-06-08
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