ヨーロッパの新たな境界

クロアチアの欧州連合加盟はほかの国に望みを提供する

ユーゴスラヴィア戦争の多くの恐怖の中で、1991年のその人口の多くの排除や大虐殺と同様に、セルビアの砲兵隊によるクロアチアの町ヴコヴァルの無茶苦茶な破壊は、最悪なものの一つだった。ヨーロッパは、ルクセンブルグの当時の外務大臣ジャック・プースの「ヨーロッパに夜明けの時間」だとのうぬぼれの強い主張にもかかわらず、その虐殺を止める能力がなかった。最後には、その戦争は、アメリカに率いられた軍事行動と民主主義によってのみ止められた。

それ以来、多くの、しかし全員ではない、元住民たちがヴコヴァルに戻っている。穴だらけになった給水塔は記憶のために残されているが、ほとんどの建物は再建されている。最近、土嚢は増水したドナウ川の水域を抑えるためだけに使われている。そして、クロアチアの時がやってきた。7月1日に、それは欧州連合の28か国目の加盟国になったのだ。その時は残りの西バルカン諸国にも近づいてすらいるかもしれない。セルビアとコソヴォは、分離した領域でのセルビア系少数民族の地位について協定を結んでおり、セルビアは来年の1月までに加盟交渉が始まるだろうという堅い約束を与えられている。コソヴォは第一段階として「安定化提携協定」の話を始めている。「ウォウ!」拡大担当欧州委員のシュテファン・フュレは声を上げる。「これが可能だなんて、誰が想像しただろう?」

そのような発揚はヴコヴァルにはない。加盟はいくらかのいくらかの証明を提供する。クロアチアはいまヨーロッパの一部だとみなされ、一方ドナウの遠い岸でセルビアはバルカンのままだ。しかし、変化について多くの懸念、疑念すらもある。Bec(セルビア・クロアチア語でウィーンのこと)、ブダペスト、そしてベオグラードによる何世紀もの支配から独立を勝ち取って、民族主義者たちは今、ブリュッセルに答えなければならなくなりたいとは思っていない。

2009年以来GDPがほとんど上がっていない国で、バルカンの自由市場への接続を失い、一方より強いヨーロッパ諸国との競争に開放している影響について、より心配がある。クロアチア人はダルマチア沿岸のドイツ人観光客へのバーテンダーや客室メイドになることを運命づけられるのか?ユーゴスラヴィア時代にはヴコヴァルはザグレブとベオグラードの間の経済センターだった。今、それは独立したクロアチアの端にある。タイヤ、靴、繊維製品を作る多くの工場は、戦争から回復していない。ザグレブの動きやすさのため、EU内部の自由移動は、ロンドンやベルリンで住んで働くことを簡単にするだろう。ヴコヴァルの人々にとって、EUの新たな境界は、セルビアやボスニアからの安い食品を買うのを難しくする。今のところ、ヴコヴァルはその悲劇を利用しなければならない。川のクルーズは、外国の年金生活者に戦争観光のようなものを提供するために呼び入れている。

ヨーロッパの計画は、フランスとドイツの間の戦後和解の考えから打ち立てられた。しかし、クロアチアとセルビアとの間の和解の考えは、依然として相いれないように感じられる。隣国間での非暴力は得たも同然だ。20程度の民族がまじりあった街のヴコヴァルは、犠牲者の親類が戻ってきて、加害者の親類が決して去らない場所だ。包囲攻撃を通してすんだクロアチア人との会話は、長い沈黙、そして時には涙によって中断される。セルビア人と戦争について話をすると、誰が何をしたかについてあいまいになる。町の外の墓地には犠牲者の墓の列がある。名前を刻まれているものもいれば、そうでないものもおり、その遺体がまだ見つかっていない行方不明の(たぶん殺された)人々のために準備されて、まだ掘られていないものもある。4月には、セルビアは近くの出来立ての合同墓地を見つけるのを助けた。

アイデンティティ政治はよりたちが悪くなっている。2011年の国勢調査は、セルビア人が、キリル文字が町の案内板や公式文書に含まれるべきだと要求する法的な閾値である、ヴコヴァルの人口の1/3を少し超えたのを見つけた。強硬派にとって、これは犠牲者に記憶にとって侮辱だ。他の人々にとっては、それはもはやキリル文字を学校で学ばず、地方自治体の仕事から除外されるかもしれない若いクロアチア人の生活を脅かす。それは、セルビアの大統領トミスラヴ・ニコリッチが(彼は否定するけれども)「ヴコヴァルはセルビアの町だ」と主張していると引用されるのも役に立たなかった。

包囲戦のもっともよく知られた象徴は、爆撃から逃れるために水や薬がほとんどないまま患者や職員が地下に詰め込まれた、病院だ。最近、再建された建物は、白くきらめいている。ヴコヴァルが1991年11月に陥落した時、200人の患者が病院から連れ出され、セルビア軍によって撃たれた。捕らえられた病院長のヴェサナ・ボサナックは、責任者に戻った。彼女は矛盾した感情を要約する。ヨーロッパの一部になることは特権ではなく、あまりに長く拒絶された権利だ。クロアチアの置かれた状況は、ルーマニアやブルガリアに与えられた寛大な扱いに比べて不満のたまるものだった。しかし、最後にはクロアチアはその方が良い。何十年もの共産主義、戦争経済、そして政府の政治的友人に好まれた民営化過程の後で、不正がはびこった。新クロアチアは「ヨーロッパのルール」で生活することを学ばなければならないだろう。セルビアも、たとえそれが何十年もかかるとしても、そうしなければならないだろう。戦争以来、彼女は生まれ故郷のセルビアを訪れただろうか?いいえ、彼女は答える。彼女は「セルビアがEUに参加した時」のみ国境を越えるだろう。
 

民主主義の砦

これから、EUの拡大はより難しくなる。しかし、クロアチアを、昔の「キリスト教世界の砦」である、ヨーロッパの恒久的な新たな境界にするというのは間違いだろう。むしろ、それは残りのバルカン人への玄関になるべきだろう。そのすべての困難にもかかわらず、EUは依然としてほかの国が参加したいと思う家族だ。そして加盟の魅力は、元ソ連諸国を含んだその隣国の間で、経済的政治的改革の強力な動機のままだ。

加盟はすべてをなおすことはできない。その過程はヴコヴァルの人々の苦みを克服していない。そしてまた、それは確かにバルカンの多くの困難をなおしてもいない。しかし、それは法の支配と安定を促進する最高の望みを提供する。1991年にユーゴスラヴィアの人々を見捨てて、ヨーロッパはいまドアを閉じるべきではない。

Charlemagne欄より
 

発行日: 
2013-06-29
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