水に覆われ、非難を受けて - 北京の洪水

 

首都に水があふれるにつれ、その政府は責めを負っている
 
普通ではなく海岸にも川岸にも面していない首都にもかかわらず、北京はつい最近水に覆われている。去年の6月、暴力的な雨嵐が旧式の排水制度を圧倒し、道を水浸しにし、活気に満ちた町に休止をもたらした。今年は、さらに破壊的な土砂降りがあった。高官は、7月21日のその嵐を1951年に記録を取り始めて以来最悪のものだと呼び、多くの北京の人々はそれがかなり過小評価だと確信しているが、37人が亡くなったと語った。超高層ビルやオリンピック公園といった「虚栄の」計画に費やされた資金は基本的な社会資本に使われた方がよかったのでは、という疑問が提起されている。
 
より一般的な問題は、水不足だ。北京はゴビ砂漠に不安定に近く位置しており、何年もの間、都市計画者は―いかにして水をどこかにそらすかではなく、いかにして水をそこに持ってくるかについて心配してきた。13世紀の科学者、郭守敬は、湖、せき、そして水路のネットワークを設計したとして、依然としてあがめられている。これはフビライ・ハンと彼の子孫の宮殿を通って音を立てている一方で、はしけは南から首都に入った。
 
排水設備は、しばしば効率的でないと証明された下水道、運河、そして放水路に開かれたままだ。過去1,000年にわたって、その町は100回以上の深刻な洪水に悩まされ、特に1626年と1890年のものは悲惨だった。不正と管理不全が公共事業の無視につながった時、どちらも帝国王朝の終わりに向かった。現在の排水制度は1950年代からのもので、ソヴィエトの設計に基づいており、下水道よりも管に基づいている。北京の水路の多くは埋まっており、その道を洪水から救うのにただこの中ソ友好の古い遺物を残している。
 
今回それが失敗した時、北京の住民は、家や職場を必要な人々に開放し、ヴォランティアに指示するのにソーシャルメディアを使い、飛行場に取り残された何千もの人々に自分の車で無料のシャトルサーヴィスを提供して、最善を尽くした。オンラインでは、普通の人々が、車の中に閉じ込められた運転手たちを助けるために、水のあふれた道路に突っ込む動画があらわれた。
 
のちの削除されたマイクロブログへの投稿の中で、社会批評家の李承鵬は、自発的な救助労働者の英雄主義を賞賛し、より多くをしなかった高官を酷評した。巨大な嵐の「歴史的」性質を強調して、政府は大衆の注意を公的な浄化努力に向けようとした。しかし、多くの北京人は懐疑的なままだ。ウェブサイトのチャイナ・デジタル・タイムスによって翻訳されたミニブログへの一つの皮肉たっぷりのコメントを引いてみる。「私の短い人生の中で、1世紀に一度の日食が二度起こり、500年に一度の洪水は10回起こり、千年に一度の地震が二回起きている。まだ起こっていないたった一つのことは5年に一度の総選挙だ。」オンライン検閲はその投稿を素早く削除した。
 
ブロガーの中には、今週1999年以来最強の嵐で、木の幹を半分に折るのに十分な強さのタイフーン・ヴィセンテに耐えた香港とのへつらわない対比を書いたものもいた。誰も死ななかった。北京のブロガーが政府の無能さに癇癪を爆発させた一方で、香港の運輸長官は、エアコンの効いた駅に乗客を一晩取り残した鉄道の混乱についてやきもきしていた。香港は、その回復力と災害への準備を、季節的な嵐への予測可能性と、その富と、大衆の圧力に負っている。北京の天候はより頼れないかもしれず、その政府はそれほど豊かではないかもしれない。しかし、その人々は香港型に変わっている。
 
 
発行日: 
2012-07-28
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