いかにしてANCはその道を誤ったのか?

 

その伝説的な解放運動はその100周年を祝ったが、マンデラの党は、依然として分断された南アフリカのためにはるかにわずかなことしかしていない
 
世界で最も物語られた解放運動であるアフリカ民族会議が生まれて以来、正確に99年と11か月がたち、私はその生まれた場所を探している。南アフリカの中央平原にある古いボーア人の首都であるブルームフォンテインで、ある白人の観光局役人が、その建物を建てANCの設立を手伝ったトーマス・マフィケラにちなんで名づけられたマフィケラハウスという町のはずれにある建物を指さす。「私自身は一度もあそこに行ったことがない。」とその観光局役人は言う。「あそこは黒人居住区だ。」それから彼女は地図を取り出し、私が避けるべき別の場所に円を描く。「危険だ。」彼女は語る。その意味するところは、「黒人」だ。
 
1月8日に、多数のANC支持者と46の国家元首がブルームフォンテインに下ってきて、その党の100周年を祝う。私は、世界にネルソン・マンデラを与え、何世紀にもわたる植民地主義と人種主義的剥奪の転覆を促すことにより、現代南アフリカ、ひいてはアフリカの基礎を敷いたその組織の起源を調べるために早くやってきた。
 
少なくとも、それはANCの伝説だ。私は、現実に反してそれを測定するためにブルームフォンテインにいる。なぜなら、南アフリカはアパルトヘイト後の17年間で安定した経済成長を見せる一方で、それはまた民族的分断に耐えることを経験しているからだ。その分離は両側の偏見を我慢し、経済的分離に固執することによってあらわされている。注目すべきは、所得の不平等はアパルトヘイトが終わってから広がっているということだ。分配計画は主に政治的コネを持つエリートに利益をもたらしてきた。しかし合計5,000万人の南アフリカ人のうち、ほとんどが黒人である870万人は1日1.25ドル以下で生活している。多くがアパルトヘイト以前と同じ黒人居住区の掘っ立て小屋に住み、同じ混雑したミニバス(南アフリカではタクシーと呼ばれる)で移動し、もし仕事があれば、同じ白人所有の家や事業で働いている。彼らは同時に世界最大の暴力犯罪とHIV/AIDSの蔓延に対処してもいる。
 
ANCは、アパルトヘイトの遺産と、党報道官のキース・コーザが「事業がパーティーに来るのを躊躇している。」と描くことのせいにする。しかし、17年はほとんど一世代だ。政府が、南アフリカを黒人と白人の国から、大主教デスモンド・ツツの言葉によると「虹の国」に変えることに失敗したということは、黒人貧困層が依然としてカギとなる政治的課題であるということを意味する。二番目に、しかしながら関連したこととして、ANCが道徳的権威を劇的に失ったことがある。93歳のマンデラは、依然として地球で最も称賛された人々の一員である。しかし、彼の政党は、失敗、そして偶然ではなく、傲慢、内輪もめ、そして不正の同義語となった。ノーベル平和賞を受賞した80歳のツツは、依然としてその国の道徳的良心であり、去年二つの演説をするために引退から出てきたときに南アフリカの政治的討論を要約した。一つ目で、彼は白人に彼らの永続する有利を認識して富裕税を払うよう頼んだ。2番目に、彼はANCを「アパルトヘイト政権よりも悪い」と呼んだ。
 
アフリカは、勝利を収めると彼らが戦った名前の人々を忘れてしまう解放運動で散らかっている。その時代は、その大陸がより民主的に、繁栄するようになって終わりつつある。国際金融基金は、ジンバブエのような落第生にもかかわらず、世界で10の急成長経済のうち、7つがアフリカだという。その大陸の経済的政治的原動力である南アフリカはこの輝ける未来の玄関となるのか、それともその不幸な過去の窓となるのか?
 
 
 
道を渡って
 
マフィケラハウスへの短いドライヴは南アフリカの分断をまたぐ。私は、カフェ、本屋そしてブルームフォンテインのもっとも有名な息子、J.R.R.トールキンのファンタジーにぴったり合うホビットボティックホテルがある緑の茂ったすべて白人が住んでいる郊外から出発する。それから私は線路を渡り、黒人居住区に入る。木はなく、小さな居酒屋に満ち、すべて黒人だ。私の観光地図がマフィケラハウスだと指し示すところには、代わりに、窓が粉々になり、その壊れたドアに悪党の家と落書きされた捨てられた倉庫がある。
 
地元の都市当局は、失業率は56%で、仕事のある人の59%は月に100ドル以下しか稼いでいないという。悪党の家の反対側の角にたむろしているのは、道路掃除夫として仕事を見つけるまで、卒業後1年間仕事がなかった20歳のトゥメロ・レコーエだ。「ANCは不正に満ちている。」彼は語る。「よい道路はなく、公園、よい学校、そして仕事もない。ANCは政府入札を取るのにコネを使い、彼ら自身のために金を使うのだ。」
 
レコーエはアパルトヘイト後の南アフリカの現象を「落札者の成長」と描写する。この言葉は、政府契約やキックバックのためにそれを小分けにして金持ちになった人々のことを示す。落札者たちは政府を事業に向けさせた。不正に狙いを定める国の特別調査局は38億ドルという国家支出の1/4に上る額が過払いとわいろに消えたと計算する。監査局は、すべての政府部局の1/3が高官やその家族の所有する会社に契約を与えたという。監査局は、12月に、ANCの統治する東ケープ州の3/4の入札がこのような形で報いられたことを見つけた。これらの不正を疑われた調査には、二人の大臣、警察庁長官、ANC青年部長のジュリアス・マレマが含まれている。(みな容疑を否認している。)
 
落札者たちは、ANC醜聞物語の単なる1章に過ぎない。野党民主同盟(DA)が、大臣とその妻たちが自分たち自身のために使ったと主張する5.5億ドルのような役得もある。その妻が国際的な薬物取引一味を運営していたことで有罪宣告された国家安全保障大臣がいる。麻薬中毒で刑務所にいるガールフレンドを訪ねるために公金でスワジランドへファーストクラスでとんだ地方自治大臣がいる。暴徒からわいろを受け取ったとして15年の刑に処された前警察庁長官がいる。1999年に合意されて以来ANC指導部を悩ませ続けている48億ドルのヨーロッパとの武器取引にかかわる不正がある。
 
南アフリカ大統領のジェイコブ・ズマはこの記事のためのインタヴューを断った。しかし、彼はANCの貧弱な記録に対して率直になることができる。「私はここ数か月でこの国をくまなく回り、政府の実績を視察した。」と11月のケープタウンでの職務をかねての朝食で語った。「私は、貧困、不平等、失業の3重苦に対面している。」ズマはしかしながら行動を起こした。彼はたくさんの疑われる高官のうち警察長官を含む二人の大臣をくびにし、武器取引に関する独立調査を立ち上げた。彼は、不正を働き能力のないリンポポのANC州政府のすべての職務を剥奪した。彼はすでに懐疑論に反駁する、目を見張るような成功を収めている。ほとんど支障なく行われた世界最大のスポーツイヴェント、2010年サッカーワールドカップだ。
 
ズマはまた、いかに政府を修理するかのヴィジョンを持っている。11月に、彼は、国家の優先課題を「不正、分断された社会、少なすぎる職、ぼろぼろになった社会資本、資源依存型経済、排他的な計画、貧弱な教育、高い疫病負担、不平等な公的サーヴィス」だとした、19年の国家計画を公表した。2030年までにそれは、1,100の職の創出、2つの大学、いくつかの鉄道路線、電力民営化、官僚の民間事業参入の違法化、130万の地域保健労働者の展開、500万の太陽熱暖房設置の手助けといったことを約束する。その計画は、議会で2/3を占める多数派によって党を悦に入らせることを意味する。「我々は強すぎる。」ズマは大統領になった直後の2009年にTime誌に語った。「あなたは当然のこととみなす。」
 
それは印象的に聞こえる。心配なことに、それは正確にその通りかもしれない。「2030年までに1,100万の仕事だって?」プレトリアのある西側外交官は尋ねる。「素晴らしい。いったいどこから?」結局、ズマは以前にも似たような関与をした。2009年6月に、彼は2014年までに400万の仕事を約束した。野心的だったが、今では達成不可能だ。彼はまた、2011年までに反レトロウイルス治療の80%のカヴァー率を約束した(2010年のUNAIDの25%という数字を見れば難しそうだ)。そして深刻な犯罪の年間7-10%の減少も約束した(2011-12の年間減少率は5.75%だ)。批判者は、彼が高官を追放したのは、不正や無能のためというよりも、政治的怨念のためだという。
 
ズマは彼自身、不正の罪を着せられている。彼は、自分のためにわいろを要求しようとして2005年に投獄された金融アドヴァイザーを通して武器取引にかかわっている。ズマは選ばれたので、DAが言うには、国は彼の家の改装のために5,000万ドルを費やしたという。実をいうと、ズマは彼の行為をチェックしている人々を追いかけている。11月にANCに率いられた議会は、「機密法」として知られる法案を通した。それは、公共の利益を一切認めずに、機密文書を持つ内部告発者や記者を罰するものだ。彼は資格のない盟友を司法制度を横切って上位に据えた。一方、党内部の政治活動は、特にズマのマレマとの対立関係において、政府の影を薄くしており、ズマがANCの代表として再選に立候補する12月のブルームフォンテインの党会議への準備段階を増すだけのものにしている。
 
「今後12か月は、誰もこの国を動かさないだろう。」マレマについての「不都合な若さ」についての著者であるフィオナ・フォルデは語る。
 
 
 
神話づくり
 
そのような失望させる業績で、どうやってANCは選挙に勝つのだろうか?その神話に祈願するのだ。ほかのたくさんのANCのイヴェントのように、100周年記念は、どれだけ南アフリカの黒人が党に負っているかを叩き込んだ。そのような「強力な遺産」を使うことだけが選挙にとって意味があると、DAの指導者ヘレン・ツィレは認める。「解放闘争を戦い、とても傷つき、そしてある政党があなたの尊厳を取り戻したと気づいた時、その政党はあなた自身になる。それに対してあなたはどう返すのか?」「なぜいまだに彼らに投票しなければならないのかわからない。」とその街角でレコーエはいい、それから言い直す。「それは我々の祖父だ。彼らは我々がここにいるのはただANCがあったからだ、という。」
 
ツィレはその前回の総選挙運動を、ANCがマンデラの遺産を裏切ったというメッセージに基づいて行った。しかし、その遺産はどれほど本当なのだろうか?ANCの遺産の中心人物は、1940年代にその政党を再び活気づけ、最後にはそれを1994年に権力に導いた、マンデラだ。しかし、マンデラがその自伝で物語っているように、反乱軍指導者から世界的象徴への変化は、部分的には、ANCによる印象づくりの一部だ。ほとんど40年にもわたる戦いの後にも1インチも政権を動かすことができなかった1980年に、その党は新たな広報戦略を試した。その戦略を「フリー・ネルソン・マンデラ」のスローガンとともに特徴づけたのだ。それはひどく効果的だった。そのスローガンは世界中のTシャツやポスターで、そしてポップソングですらも見ることができた。しかし、そのような傾向になるにつれ、そのような神話づくりはまた、マンデラのウィニーとの結婚の失敗にとどまらず、真実を歪めた。「彼女はすぐに彼女を捨てた男と結婚した。その男は神話になり、それからその神話は家に帰り、彼が結局ただの男だと証明した。」マンデラは「自由への長いあゆみ」の中で述べた。
 
迫害者への許しとともに監獄から現れる彼の注目すべき能力は、迫りくる人種戦争を避ける真の驚きであり、多くの人々にとって彼の神話を証明するものだった。しかし、彼の評判が単に強化されたものだとしても、彼の党は取り繕った。ANCが国際的に有名な裁判事件になったとき、1984年の内部調査、スチュワート委員会は、アンゴラのANC訓練キャンプが「独裁的」で「腐敗」しており、虐待、レイプ、死刑執行の混じった加虐的な場所だとした。「たくさんの不正とたくさんの暴行があった。」とその党から何年間も追放されていたフォルデは、ジンバブエのロバート・ムガベやリビアのムアンマル・カダフィといったアフリカの指導者との同盟も指し示しながら語る。「それが再び前面に来るのを見るだろう。」
 
ブルームフォンテインでは、不正と神話づくりがANCの誕生パーティーで結びついていた。私が最後に二つの窓と玄関を持った大きな赤レンガ造りのマフィケラハウスを見つけるとき、そこに住んでいる老婦人は町の近くにある別の荒廃した隣人の2番目の建物に行くよう言った。1992年にマンデラはANCの80周年記念をマフィケラハウスで祝った。しかし、2002年には、国立博物館の歴史家ヘインズ・ハウスブロークが、その家がANCが作られた14年後の1926年に建てられたことと、その政党の本当の誕生場所が車両修理屋に変わっていた数マイル先のウェズレイアン教会のホールだったことを発見した。その誕生神話のこの退去と移転にも平然として、ANCの市当局は、素早くむき出しの煉瓦、木枠、ブリキの屋根の家を買い、それを直し始めた。納税者の払う総費用は400万ドルだった。ブルームフォンテインのDAの指導者ロイ・ジャンキールソンはその政党を「国家資源の乱用」だとして非難した。ANCの報道官コーザは不正を否定し、党が100周年費用の大部分を支払ったと主張する。しかし、彼は国家の金をその党の歴史保全のために使うことに何の問題も感じていない。「ANCは国家としての我々の集合的遺産の一部として扱われるべきなのだ。」と彼は語る。
 
アラブの春が示すように、その利益を国の利益と区別することに失敗した与党は、その近づく転落を見つけることもできないかもしれない。そしてANC減退の兆候はそこにある。その党は分断されている。その支持率は2004年の選挙の69%を頂点に、2011年の地方選挙では61%にまで落ちている。そして12月には、地方の補欠選挙で現有議席を三つ失った。一方、DAは成長している。その支持率は、1996年の総選挙の時の1.7%から、それが西ケープ州を取った2009年には16.9%に、そして2011年には23.8%になっている。ツィレは、2014年の次の総選挙でさらに二つの州を、そして2019年には政権を取るという野望を語る。ほかの政治家と同じように、彼女も権力がほしい。しかし、彼女はもし南アフリカが最終的に真の民主主義を享受するのならば、ANCを取り除くことは必須だと主張する。「忠誠は偉大な特性だが、もし政治指導者に説明させるつもりならば、正当に忠誠は尽くせない。」と彼女は語る。
 
これまでの人生で、ツィレは反アパルトヘイトの記者だった。彼女の究極的な目的は、派手な色彩の国というツツのヴィジョンを補うことだと彼女は語る。しかし、南アフリカの黒人と白人の現在では、ツィレは「メラニン欠如」ということにあまりに気づきすぎている。したがってDAによる自分たちの黒人闘士の伝説の指導力を求人しようとする動きがあるのだ。前の世界銀行のマネージングディレクターで長きにわたるANC批判者のマムフェラ・ランフェレだ。もしその名前が知られていないのならば、それはランフェレが彼女のパートナーであるスティーヴ・ビコと結婚していないからだ。
 
 
発行日: 
2012-01-16
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