選択的記憶 - 日本の歴史

書評:忘れる方法、覚えておく方法:現代世界の日本

(Ways of Forgetting, Ways of Remembering: Japan in the Modern World.  By John Dower)

太平洋戦争の亡霊がアジアの生活を揺さぶりに戻る時、いかに国民国家が過去を記憶し記憶違いするのかについて考えることは適切なようだ。日本のその隣国の中国と韓国との現在のけんかは、75年以上前の戦争への行進と未消化な戦争の余波に根差している。しかしながら、それらは歴史の異なった語り口によって、そしてしばしば偏狭で健忘症的な国内メディア報道によって炎症を起こしている。

紛争と記憶は、第二次世界大戦後の日本を見つめたピュリツアー賞を受賞した「敗北を抱きしめて(1999)」の著者であるジョン・ダワーによる、この新たな論文集に命を吹き込むテーマだ。ダワー氏は特に日本の軍事的な過去の消毒に関心があるが、また、歴史一般がしばしば強力なものによる道具であるというあり方にも興味があった。

ダワー氏は、アメリカの高官が戦後の日本の占領を侵略後のイラクのモデルとして呼び起こしたとき、9/11のあとで引用された彼の作品を聞いた驚きを議論する。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、日本が占領したメソポタミアに「何のモデル」も提供しないとみるべきだ、と以下に再掲する、著しく先見の明がある2002年のニューヨークタイムスの署名記事で書いた。「その余波を含んだその帰結のすべてを真剣に想像することなしに戦争に急ぐことは、現実主義ではなく、恐ろしい思い上がりだ。」

彼は、いかに太平洋戦争の危険な民族間嫌悪が、まるで「蛇口を占めるように」早く消滅したか、ということに驚いて、「敗北を抱きしめて」の地に戻った。ダワー氏にとっての教訓は、気の進まない民間人がプロパガンダによって戦って死ぬために駆り集められなければならなかっただけでなく、その新たな現実が新たな偏見を強いるということだ。

その「鬼畜の」敵を生物学的に劣っているとみた日本人ほど洗練されたプロパガンダの大キャンペーンを始めた側はなかった、と彼は論ずる。しかし、決して彼らだけではなかった。戦争中に、アメリカ人はそのアジアのライヴァルを「猿」や「ネズミ」と見たが、占領の始まりとともに日本は同盟国になった。アメリカのメディアでの人気のある人種差別は、多かれ少なかれ止まり、日本が経済超大国として現れる1970年代まで埋まったままだった。この生き返った西側での「略奪する経済動物」の日本人の定型は、新たな「金融の真珠湾」を始めているものにはふさわしい。民族間嫌悪の蛇口はまた開き始めた。

戦いが終わった時、歴史が力を持つものによって書かれるのは避けられない、とダワー氏は観察する。日本との戦いについての標準的なアメリカ人の見方は、それが正しく道徳的だというものだ。しかし、これは66の町への空爆と50万人以上の民間人を焼き殺したことを含む勝利の化け物のような側にほとんど余地を与えない。中国と朝鮮の政治的エリートは、その古い敵に対して潜在的に分断しやすい国民を統合するために民族主義の太鼓をたたくことが無限に有益だと見つけている。日本の保守派は、過去を漂白し、大日本帝国のアジアにわたる蛮行を西洋植民地主義に対する「聖戦」として受け流すよう、簡単にしている。

選択的な記憶は、しばしば子供の教育に有害な特徴だ。日本の高校教科書は印象的なほどに戦争についてほとんど場所を割いておらず、「日本の現代史の暗い面を控えめに扱う」ようとの公式な試みを反映している、とダワー氏は書く。中国政府としては、その日本の侵略に対する戦いに歴史的な正統性を頼っているので、戦時中の残虐の記憶は学校で新鮮に保たれている。これが、現在の島を巡る紛争についての顕著に異なった大衆の反応を説明する役に立つ。中国人の怒りが道に繰り出す一方で、日本人は家にとどまりそれをテレビで見る。

解決として、ダワー氏は、日本専門家でマルクス主義歴史家のE.H.ノーマンの20世紀の見方に注意する。ノーマンのように、彼は、ほとんどの国が「自由を抑圧し、人生を犠牲にし、真の自分の政府の創造を遅らせる」ようなどんな制度に対しても「下からの革命」を必要としていると感じる。すべての国民はエリートによって保たれた物語に挑戦することができるべきだ。アジアでの有毒な民族主義が激しいときには、この本は時宜を得た歴史の利用と濫用の備忘録である。
 

発行日: 
2012-08-25
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