砂漠の中の危険 - アフリカの聖戦

アルジェリアのテロとマリでの戦争は、アフリカでのイスラム主義過激派の浸透が進んでいることを示す

1月16日に、30人強の重装備のイスラム過激派がイナメナスのそばのサハラ砂漠にあるガス施設の支配を握り、650人程度の労働者を人質にとった。それに続くパイプラインの束と住居用コンテナの風景に広がって戦われたアルジェリア特殊部隊との戦いは4日間続いた。人質をとったものたちは、パイプラインを吹き飛ばすことを計画していたと言われる。それはアルジェリアの輸出を大きく減らすことを意味しただろう。しかし爆発は起こらず、すぐに、その工場の少なくとも37人の外国人従業員とともに、人質をとったものたちは殺された。アルジェリアは、テロ攻撃に対して妥協しないやり方をとる。

となりのマリでエスカレートする戦争と一緒に、その戦いは、新たな聖戦主義がアフリカ中に広がっているというスペクトルをもたらした。西側の政府は、広大なサハラとその南の端に沿ったサヘルの国々でのその紛争が、ますますつながるようになっているのではないかと心配する。アルジェリアのガス施設への攻撃は隣のリビアで始まった公算が高い。たぶん何百キロも離れた砂の広がりのどこかに隠れるその設計者たちは、今フランスと西アフリカの軍隊によって攻撃されているマリのグループを支援していると主張した。

リビアなどからのイスラム主義者戦士たちは、2011年にムアンマル・カダフィが没落したのに引き続いて、マリに暴力的な聖戦主義を持ち込んだ。その国の北のトゥアレグの人たちは、南の支配に対する長い反乱の歴史を持っており、新参者たちと共通の理由を見つけた。イスラム・マグレブ諸国のアル=カーイダ(AQIM)と最近形成された分離集団の西アフリカ聖戦統一運動(MUJAO)は、二つの主要なトゥアレグ反乱集団である、世俗のアザワド解放民族運動(MNLA)と新参者とより連携したサラフィスト組織のより小さなAnsar-al-dinの軍隊に合流し、不平を募らせた軍隊が彼らに機会を与えた時、その国の北を乗っ取った。反乱軍と戦う国々は、彼らがマリの大きな部分を支配することが聖戦主義を更にその地域に広げるのではないかと恐れる。そして、聖戦士たちは海外でテロ攻撃をする計画をしている。
 

大陸の断層線

隣り合う国々は、脆弱かすでに燃え上っているように見える。ニジェールは暴力的な過激派と犯罪ギャングに悩まされている。北部ナイジェリアは、自身をボコ・ハラム(「西洋の教育は罪」)と呼ぶヒドラ頭の集団の本拠になっている。それは千人以上の人々を殺し、今ではその国の半分にわたって活動している。チャドの4つの最近の内戦、特にもっとも最近のもので、ムスリムとキリスト教徒との緊張が何らかの役割を果たしている。サハラでの止まらない過激主義は、これらの紛争を悪化させ、お互いに結び付けるかもしれず、それはたとえその直接の影響がその地域の外では感じられることがなくとも悲惨な見通しだ。

サハラの南のムスリムと非ムスリムの人々の境界は、ほとんどが国の周りというよりもむしろ国を通っている(その例外は、その断層線が最後には国を二つに分割したスーダンと南スーダンだ)。そうでなければ平和な場所でさえも、イスラム主義者集団としばしば弱い当局との間の紛争は増えている。

去年の10月に、セネガルの首都ダカールの街路で、警察が影響力のある族長の支持者との連続する戦いを戦った。モーリタニアの治安部隊は、聖戦士の誘拐者たちに対処しなければならない。つい最近内戦から出たばかりのコートジボワールの手におえない政治は、ムスリムとキリスト教徒との間の緊張がかぶさっている。8,500万の人口のうち2,800万のムスリムを持つエチオピアでは、ここ数か月でキリスト教徒の率いる政府に対する抵抗で数人が亡くなっている。聖戦主義が最初に現代アフリカの体に政治的に入り込んだ隣のソマリアに手がかりを得たケニアとタンザニアのイスラム過激派は、より多くの自治をもとめて戦っている。

今のところ、これらの紛争はすべてかなり地域限定のものだ。しかし彼らがお互いたきつける条件は存在する。アフリカ諸国はお互い直接にはあまり攻撃し合わないが、彼らは隣国を国内のけんかに引き込む傾向にある。何年にもわたって、ギニア、シエラレオネ、リベリア、そしてコートジボワールは、冬風邪のように反乱を移して回った。1994年のルワンダ大虐殺は、ひいてはほかでの不安定に飛び火したコンゴの内戦を生じさせた。聖戦主義は似たように感染性になるのか?

様々な組織に属するサハラとサヘルの過激派は、ひとつの国からよそに邪魔されずに動いているようだ。その数は数百、多くとも数千だが、その影響は注目に値する。多くがソマリアで経験を得、より最近にはリビアとイエメンで得たものもいる。

彼らが形成しているグループは明白に多国籍だ。AQIMとMUJAOの指導部はサハラ諸国から部門横断的に選ばれる。AQIMは世紀の変わり目のアルジェリア内戦の余波の中で現れ、そのメンバーの多くはアルジェリア人だ。2006年に、それは当時オサマ・ビン・ラディンの代理で今では継承者のアイマン・アル=ザワヒリによってとして描かれたように、中核アル=カーイダと「祝福連合」を形成した。それ以来、それは、ボコ・ハラムのようなグループに助けを提供することによって「アフリカ化」し、北ワジリスタンの無人機に消耗させられた戦場から逃れてきたパキスタン人、アラブ人そして数人のヨーロッパ人を勧誘することによって国際化している。
 

外国部隊

MUJAOは、アルジェリア人とマリ人が副官を務め、モーリタニア人のハマダ・オウルド・モハメド・ケイルーによって率いられている。これらの男たちは、イスラム聖戦士血盟団と訳されるかつては知られていなかったガス施設攻撃を実行したグループを助ける。アルジェリアの高官によれば、そのグループの中には、マリ人、チュニジア人、ニジェール人、モーリタニア人、そして少なくとも一人のカナダ人がいたという。攻撃の裏にいた首謀者のモカタール・ベルモカタールは、ほとんど20年前にジャララバードにあったビン・ラディンのアフガンキャンプで訓練を受け、のちにアルジェリアのゲリラ、さらにAQIMに参加したアルジェリア人だ。

多くの場合、そのような男たちは自発的に国から国へ動くことはなく、治安部隊の一歩先を行っている。ボコ・ハラムへの厳しい締め付けが2009年にその指導者モハメド・ユスフの死につながった後で、残りの指導部とそのメンバーの多くはすぐにナイジェリアを脱出し、新たな同盟者をもとめ新たな細胞を植えているかもしれないニジェール、チャド、そしてカメルーンに向かった。過激派は、彼らが戻る前に何十年も追われていたかもしれない。ベンガジの東にある小さなリビアの海辺の町は、カダフィの支配の間にそのイスラム主義者への共感でしっかりと監視されていた。そこで育った戦士たちは国を去ったが、体制の没落以来戻っている。

2年前のリビアと今のマリのように、新しい可能性に引かれるにしろ、治安の締め付けにより押されるにしろ、赤道より北のアフリカ周辺をうろつく過激派は、ほとんど障害に直面しない。前世紀に植民者によってひかれたまっすぐな国境線は、ほとんど意味、停止能、またはしばしば何の物理的存在感も全く持たない。国家は、まったく脆弱ではないにしろ、一般的に弱い。警察と国境警備隊は武器や監視装備に欠けている。ニジェールでは国の大部分で国家が存在しない。警察も、学校も、道もないのだ。リビアでは、過激派民兵の中には、その司令にみな従うわけではなくとも、国家機関のように活動しているものもいる。

聖戦士たちは頻繁にほかの不法なネットワークの足跡に続く。ガス設備攻撃の裏の首謀者のベルモカタール氏は、たばこ密輸の彼の副業のために、ミスターマールボロとしても知られている。他の過激派が武器やドラッグの商人に協力したりそのものになったりしている。南アメリカのコカイン王たちが、ギニアビサウのような沿岸の国に彼らの獲物を下し、そこからさらにヨーロッパまで運ぶためにはるばる地中海までピックアップトラックによって持っていく西アフリカの犯罪ギャングと提携関係を結んでいる。マリと西ニジェールの競合する密輸ネットワークの間の紛争が、最初に聖戦士たちにその地の避難所としての潜在性を注意させたかつてのトゥアレグの蜂起に貢献した。

密輸者と過激派の使う砂漠の道は、何世紀にもわたって遊牧民族に知られており、ラクダがピックアップトラックに変わった以外のことではほとんど変わっていない。2008年に過激派にとらえられ数か月間拘束されたカナダの外交官のロバート・ファウラーは、彼を捕らえたものたちが、厳しい太陽以外に案内するものがほとんどない中を進み、必要な時に時々あるとげのついた木のそばに隠した備品をとって、その特徴のない地形をそらんじていた、と詳しく語った。
 

みんな団結する

サハラとサヘルは、誰にとっても、たとえそれが神聖なものであっても、そこから戦争を始める最初の選択肢の場所ではないだろう。ファウラー氏は、熱がとても強いので、時に「息をするのも難しかった」と描く。その砂漠に展開したマリの政府軍は、午前4時から午前10時までしか働かず、そのあとは彼らは車の陰で時を過ごすと言われる。その地域は内陸で、隠れる場所がほとんどない。

しかし、これは過激派がどうしようもなくむき出しになっているということを意味しない。AP通信によるマリからの報告は、「トンネル、塹壕、竪穴、そして塁壁の入念なネットワーク」を作るために、ブルドーザーなどが使われていると報ずる。北部マリの山脈では、彼らは、いくつかはローリーで入ることもできる洞窟を、作ったり広げたりしている。

過激派が簡単に国境を越える一方で、その地域の国々は、その隣国の内政に干渉する意思も能力もほとんど持っていない。地域クラブの西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、ほぼ1年間マリに対して言葉を濁してきた。ECOWAS加盟国の中には今軍隊を送っているものもいるが、彼らは西側の諜報と兵站に依存するだろう。大きくて装備の良いナイジェリア軍は、砂漠でどうやって戦うかについてほとんど考えを持っていない

現地の人々は、強い政治的狙いを持った外国人に疑念を持つかもしれない。しかし、離れた共同体ですらも国際的聖戦の同胞の考えに親しんでおり、時に同情的ですらある。かつての宗主国による介入への反射的な反感もまた、聖戦士たちを押し上げるかもしれない。今のところ、マリのフランス軍は、歓迎されている。しかし長く血なまぐさい作戦は、マリや他の所でそれを変えうる。西側に対するより大きな反感が過激派の道を和らげるだろう。

マリの作戦がいかに展開するかは、過激派によって作られた更に別の国際的つながりによって形作られるだろう。殺人のおもちゃのことになると狂気の貯めこみ屋だったカダフィの没落後に、多くの彼に忠義を尽くした者どもが、重機関銃、ロケット付手榴弾、そして肩に担ぐ地対空ミサイルもあったと信じられる武器を満載して砂漠に逃れた。マリのAQIMの戦士たちがそのような武器を装備していると多くが予想したが、フランス空軍との遭遇戦では今のところそのような能力の兆候は見られていない。

マリの状況はまた、異なった背景と国からやって来て異なった目的を持つ過激派たちが協力することのむずかしさを示している。去年、北部マリに世俗の独立国を欲したトゥアレグのMNLAは、シャリア法の下でマリを統一したいと思ったイスラム主義者と仲たがいした。MNLAは、今ではマリからAQIMとMUJAOの「テロリスト」を追い出すためにフランスやマリ軍とともに戦う準備ができているという。サラフィストのトゥアレグのAnsar-al-Dinとの和解は完全には排除されていないものもある。
 

近くにいることはよいことではない

「フランスにとってのアフリカのアフガニスタン」と報じた興奮した新聞の見出しは言い過ぎのように見える。注意深い西側の大国は、泥沼に陥ることなく地域政府を支えることができて当然だ。その過激派は、パキスタンのもののように、強力な後援者を持っていない。アルジェリアの諜報が、たぶん歓迎せざるネットワークに浸透するために過激派活動の裏にいると言われる。しかし、アルジェリア政府は、フランスなどの飛行機が(外交的な大成功に数えられる)その領空を通過することに合意し、反乱軍にとって状況を難しくするマリとの国境を封鎖すると言っている。

サハラは、いくつかの点で、世界的大混乱の跳躍台というよりもむしろ最後の手段のように見える。アル=カーイダの中核はアフリカをその運営の戦略的中心とみなすようになっていると証拠は示唆するけれども、AQIM自身はヨーロッパの「更なる敵」に対して戦いを仕掛けることに大きな関心を示していない。強硬派の聖戦士たちは今のところマリよりもシリアに行っているようだ。西側の諜報機関は、脅威の可能性を深刻に受け取っており、それをはるかに減らして当然だ。フランスは特に慎重で、フランスとマリをつなぐ聖戦士ネットワークに対して4つの司法調査を継続中だ。

原理化したイスラム武装集団がさらに広がれば、信頼への現在の基盤は侵食されるだろう。諜報機関はすでに、西側にいる東アフリカ出身者とつながったテロを嗅ぎつけるために、ケニアの首都ナイロビに大きな存在感を持っている。けれども、真の脅威は、アフリカ諸国自身だ。ナイジェリアのような資源の豊かな国を含んだ多くの国では、宗教的な分裂が広がっている。聖戦士による、そして聖戦士に対する行動のどちらも、危険を悪化させる。
 

発行日: 
2013-01-26
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