司令官からの贈り物 - フィジーの戒厳令解除

 

クーデター指導者はそのソフトな側面を見せようとしている
 
フィジーの軍事司令官および首相であるコモドーレ・フランク・バイニマラマは、戒厳令を1月7日に解除し、2月に新憲法の協議を始めると約束した。その問題を抱える諸島からの発表は、フィジーが厄介なメンバーとして所属している英連邦と、その最大の隣国であるオーストラリアによって歓迎された。英連邦の事務局長カマレシュ・シャルマは公共の緊急規制の解除は「長く期限切れ」であると語り、新鮮な選挙を要求した。オーストラリア首相のジュリア・ギラードは、それは「第一歩」だが、民主主義は回復されなければならない、と語った。どちらも正しく用心深い。
 
戒厳令はバイニマラマが2006年12月に権力を握った時に最初に導入された。それは翌年5月に解除されたが、公共部門の組合、伝統的首長、そしてメソジスト教会による抵抗を阻止するために2007年9月に再導入された。その国の憲法が廃止された2009年4月以来戒厳令は恒久的な固定物だった。バイニマラマ氏は、戒厳令が解除された後でさえも、検閲と政府の反対者への嫌がらせの継続を認める厳しいメディアやほかの法律を施行することにより、法令によって支配を行ってきた。
 
今のところ、政府がその反対派に対して柔らかくなる兆しはほとんどない。新年の週末を挟んで、何人かの著名な政治家が「政治的暴力を推し進めた」として逮捕された。フィジー最大の島、ヴィティレヴュ島の内陸での新しい鉱業開発に対する抵抗をあおったためとうわさされる。
 
戒厳令の終了は、2014年9月までに新しい選挙を行うという2009年7月のバイニマラマ氏の約束と一致している。彼はまた、新憲法への協議は来年はじまると約束した。それらが起こるためには、報道の自由や公的な会議に対する管理は取り除かれる必要があると彼は認める。
 
しかし、そのような行為は初めてのことではない。2008年によりよいフィジー建設のための国民議会は、主に暖かく選ばれた体制支持者を含んできた。2009年には政治的対話フォーラムが最初に政党を付け加えようとしたが、それは結局かつては司令官のクーデターに共感していた人々も除外した。だから英連邦のシャルマ氏は2月の協議が「信頼できる選挙への道を整える、憲法への真の国民的合意」を目指した「完全に包括的」なものである必要があると主張すべき理由を持っている。
 
バイニマラマ氏の最新の発表は、フィジーでの比較的平穏な年のあとにやってきた。主な暗雲は、恣意的な逮捕と「重要産業」での労働者の権利の制限の形での、労働組合への嫌がらせだった。しかしながら、2007-10の間に連続して注目を集める政治家や軍高官が離脱して野党に加わった亀裂によってそれは消えた。黙従、服従、そして単純なクーデターへの退屈が、バイニマラマ氏の反対者の間で整えられているようだ。
 
さらに、2007-09の厳しい不振のあとで、オーストラリア人観光客がフィジーの日光浴リゾートに流れ込むことによって、経済はよくなっている。北京からのソフトローンは、カギとなる社会資本計画に資金をつけ、中国の会社がボーキサイト採掘のような他の部門に拡大するのを助けている。地域的影響力の喪失を懸念して、オーストラリアはその島国への厳しい態度を緩めたところだ。それは2013-14に二国間援助を倍増させ、3,600万オーストラリアドル(3,600万ドル)にすると発表した。その資金のほとんどは保健、教育、貧困根絶に使われる。
 
だから、バイニマラマ氏は、より大きな安全を感じ、自国と外国の両方において彼のクーデターによって生まれた政府へのより大きな受容を得る機会をつかむべき理由を持っている。しかし、幸運にも物事がすべて彼の思い通りにはならないかも知れないと考える理由がある。フィジーでは、あまりにも頻繁に起きるクーデターのあとでの憲法改革過程は、彼らが高い正当性を求めるので、自分たちの契機を作り出す習慣だ。
 
それが、1987年のクーデターのあとの10年間でフィジーで起こったことだ。期待に反して、長い協議過程から現れた新憲法は、少数派インド人の不平の多くを処理したものだった。だから、たとえ初期の段階が今回はかなり妥協したように見えても、彼らが前回したように最終的な結果は広く受け入れられるものだと証明するかも知れない。しかし、それが起こるためには、バイニマラマ氏が権力から降りることに慣らし、フィジーのあまりに強い軍隊を押さえる何らかの方法を依然として見つけなければならないだろう。
 
 
発行日: 
2012-01-07
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