マラリア流行中

いかにして抗マラリア運動の加速が世界的援助の全く新しいモデルを開いたのか

地球上でもっともマラリアが流行っている町で、私は、天井のファンが回っている二つの蚊帳の奥にある机にマシュー・エメル博士を見つけた。私は自己紹介し、エメルに自分は地球からマラリアを根絶するための運動を報告しているのだと話す。もし私が、それがなぜ重要なのか、そしてそれがどれほど難しいのかを知りたければ、それにかかるとどれほどひどいことになるのかを見ることは良い考えだ。そして私は北ウガンダの51.5万人の人口があるアパッチ地区では、平均的な人はマラリアに感染した蚊に1日4回刺されると読んだ。エメルは頷く。彼は、他のより印象的な統計があると語る。彼の少ないスタッフは最悪の週には5,000人の人々を診るかもしれない、といったことだ。そして2007-08の間に治療者の中にはアパッチ地区の全子供の70%とそこの全人口のほぼ1/3を含んでいたという。

エメルはまた、マラリアにかかることは、しばしばその人の困難のただの始まりでしかないという事を私に理解して欲しがった。マラリアは人を殺すかもしれない。しかし、もし殺さなくても、病気と貧困の終わりなき循環の始まりかもしれないのだ。「子供はマラリアにかかるので、たくさん学校を休む。」と彼は語る。「だから我々の子供たちは成績が上がらないのだ。だから彼らはいい仕事に付けない。そして彼らは金を稼げない。そして彼らはまた病気の子供を持つ。すると、親は彼らのなけなしの金を学校や他のことに使うかわりに病気のために使わなければならない。そして彼らは子供たちの世話をするために家にいなければならない。すると彼らはより多くの金を失う。マラリアは我々を貧しくし続ける。」

そしてマラリアが貧困を産むに連れ、貧困がより多くのマラリアを産む。「例えば、全ての家庭が5人の子供を持っていれば、それぞれの子供たちがマラリアについての話を1年に5-10持っている。」とエメルは語る。「そして(もっとも効果的な抗マラリア薬である)コーテムは8-10ドルする。それは1日1ドル以下で生活している人々に年間500ドルもかかるのだ。」エメルは数字をメモ帳に書き留める私を見る。
「それは辻褄が合わないじゃないか。」と私は言う。
「辻褄が合わないんだ。」エメルは繰り返す。
「親がコーテムを買うことができない子供たちはどうなるんだ?」と私は尋ねる。
「彼らは死ぬ。」エメルは答える。
外国援助の必要性が、500ドルがある家族を1年生き長らえさせる場所ほど明らかなところはない。しかし、アパッチはまた、良き意図が良き援助を保証しないという例でもある。2009年8月のそのアパッチへの最初の訪問で、私は二つの外国援助計画を見た。しかし、どちらもマラリアには関心がなく、一つは町の周りのまさに蚊が卵を生むことのできる水がある湿地帯を排水することを住人に禁ずる湿地保護計画ですらある。

現在、援助供与者はますます問うようになっている。「援助は機能しているのか?」支援者がアフリカとアジアに大金を与えた半世紀の後に、彼らはその答えがしばしばNoであることを見つけた。世界中の悪い援助計画の数と同じだけ、援助失敗の理由がある。しかし、支援者が特に不安に思っている現代の援助の一つの側面は、それが巨大事業のようにハラハラしている、そのやり方だ。経済開発協力機構によれば、世界中の援助総額は、年間約1,200億ドルとなり、それはアフリカの20の最貧国の年間産出を合わせたものとほぼ同じだ。そして、援助と事業がどのように機能するのかという事について目立った類似がある。援助契約は競争入札によって与えられる。援助機関は、マーケティングや人事といった部局を運営する部下を持つ執行責任者に率いられ、会社のように経営される。そして援助従事者は、会社従業員と同じように、この場合はアフリカの村々といった地域から恐らくニューヨークにある国連機関本部といった梯子の頂点まで広がった長い経歴を組み立てる。これにより、彼らは気前よく報酬を受ける。139,074ドルから204,391ドルの(アメリカ市民を除いて)非課税の給料を、例えば東コンゴで働く中堅の国連課長は稼ぐ。7.5万ドルの車、帰国や世界中での開発会議出席のためのビジネスクラスの飛行機チケット、子供の教育費や他の費用のための多額の金は年間約50万ドルにもなる。

大きい援助機関は特に大事業に似ている。理屈では、全ての援助機関の目標は、店をたたみ、仕事を終えることだ。実際には、それはより小さな自発的な計画ではまだ真実だ。しかし、大きな機関はたたむことではなく、広げることに焦点を当てている。オックスファムやセイヴ・ザ・チルドレン 、ケア、ワールドヴィジョンといった世界的な援助複合体の核となる計画は、専門的な支援ではなく、ブランド物の無差別な助けの提供だ。ある国では、その助けは井戸掘りを伴うかもしれないし、別の所では学校運営かもしれず、更には薬の分配もあるし、マイクロファイナンスの助言もする。病気や災害、もしくは国別、援助の形別の専門性は、しばしば仕事を通して得られるものだ。

新しい大惨事が提供されると、大きな機関は彼らが援助活動の一部となるのが得意(かもしれないしそうではないかもしれない)だったり、(彼らはほぼ確かにそうしているのだが、)助けたいから、というためではなく、そこに必須条件であるお金があるから、そうするのだ。援助機関の地位がより確立し始めるに連れ、最初は小さく一時的な支援として意図されたものが、大きく恒久的なものになり始める。政府を助けるかわりに援助機関はそれに取って代わる。問題を解決するかわりに、彼らは意識せずにそれを制度化しているかもしれない。

例えば、これ以上大きな援助活動はないというものを見てみよう。2004年のアジアの津波、2005年のカシミール地震、そしていまのハイチやソマリアといった自然災害への反応だ。災害は短期間で人道的な緩和措置が必要とされる。しかし、長期的な危機の解決には、その国が自活できる能力を獲得する必要がある。災害に襲われた貧しい国は、その能力を持っていないかもしれない。そして、もし援助が彼らの必要とする能力を学ぶことを妨げるのならば、彼らは永遠に施しに依存する危険がある。いくつかの場合、助けを急ぐことは、よく管理されていない援助につながり、災害の原因を悪化させうる。ダルフールや東コンゴでは、難民キャンプは戦争から逃げてきた人々に安全な避難場所を提供するが、スーダンのジャンジャウィードやルワンダの同じように大量虐殺を行ったフツ民兵には、再編成し、再武装し、財務を再建する場所を提供した。ルワンダの記録者のフィリップ・グーレヴィッチは、コンゴの支援活動を、危機を落ち着かせたというよりも、「それを出前した」と表現する。
 

事業がうまく行く時

私は、それが援助の世界に再発明、もしくは救済とすら言えるかもしれない見通しを提供するので、マラリア対策の活動を追い始めた。援助と事業が共通して持っているものに、尻込みすることによってではなく、類似点を抱きとめ、援助が事前と言うよりも経済であることを受け止め、それに基づくことによってマラリア対策活動はそういった見通しを与えたのだ。その活動が、1990年代に世界銀行と開発経済学者のジェフリー・サックスによって行われた研究にその知的基盤を持つ。病気を治療することは、単に命を助けるだけではないと、1993年に世界銀行は先駆的な報告を発表した。それはまた、お金も節約するのだ。エメルが全てよく知っているように、マラリア、結核、そしてHIV/AIDSのような病気は、薬や治療への支出といった金銭的な面でも、出勤や登校ができないという時間的な面でも巨額の費用がかかる。サックスは、後に、マラリアがアフリカに与える総経済的損失を何百億ドルにも達すると計算した。同じ理屈で、サックスが年間30億ドルといういくらか減額して計算した費用で行う、問題を落ち着かせる行動は、命を救うだけではなく、最終的にアフリカを援助依存から脱却させ、自律と繁栄への道を歩まさせることになるだろう。

マラリア管理の問題を、財政的利益になるとして提示され、エクソンモービルやアングロゴールド・アシャンティといった会社は、何億ドルもの金をその労働者や工場周辺の村を守るために投じた。事業が援助に進出するに連れ、個人事業家もそうするようになった。世紀の変わり目には、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットといった超金持ちの慈善家たちが援助の大きな力となりはじめた。彼らは海外援助に重役室の論理を導入した。不平等は正当化できなくもないが、極端な不均衡は明らかに正当化できない。不平等は知的ではないという事だ。貧困は貧しいものだけを傷つけるのではない。それはみんなを傷つける。繁栄して健康なアフリカは、西洋の支援費用を減らし、貿易相手として世界により利益を与えるだろう。
 

マラリア空想家

他の誰よりも、新しい国連マラリア特命全権大使が、啓蒙化された自己利益というこの新しい綱領を具現化した。レイ・チャンバースは、レヴァレッジド・バイアウトという1980年代の自分を豊かにする究極の道具をほとんど発明した、かつてのウォール街の巨人であり、それから1980年代の中頃に金は彼を幸せにするのではなくそれを奪うものだと発見して、慈善家になった。最初、彼は助けを必要としていた彼の故郷のニュージャージー州を再活性化することにほとんどの彼の努力を向けていた。そうするうちに、彼は起業家の技術を応用した。資金調達のために非営利の商品取引基金を設立し、投資家を結びつけ、彼の得意技である少ないものから多くを得るというレヴァレッジの手法を使って政治家、事業家、そしてメディアからお互い刺激を引き出すことすらした。結果として、チャンバースは「力のてこを強烈に理解し、どのように世界を変えるのか知ったのだ。」と、エクソンモービルのマラリア計画部門長のスティーヴン・フィリップスは語る。

チャンバースがマラリアの世界にやってきた時、彼はまた、私が語ろうとする物語の中心にもやってきた。どのようにマラリア対策活動が援助の全く新しい理解を開放したかという事だ。ほぼ2年に渡って、私は彼と一緒にアフリカを回って、事業家、政府、そして援助機関にあうために、村周辺やマラリア調査所、そしてゴミゴミとしたところにある町の病院を旅した。私は、チャンバースが究極のレヴァレッジをやってのけるのを見た。ホワイトハウスと世界最大の事業エクソンモービル、そして世界最大のTVショーの「アメリカン・アイドル」を説得して、マラリアを撲滅するという並外れた野望を持つ何十億ドルもの援助を生み出したのだ。その目標を達成するには、数十年かかるだろう。しかし、活動の最初の段階である、蚊帳を世界中の必要な人に全て分配するというものですら、驚くほど成功した。3年を少し越えた頃、チャンバースとそのマラリア対策活動は、3.82億の蚊帳をアフリカで配った。それは、もし手入れされれば、2015年までに約250万の命を救うだろうと思われる普及レヴェルだ。

先の訪問の17ヶ月後の2010年12月に私はアパッチに戻った。エメルは以前と同じ彼の机に座っていた。ほかは全て違っていた。彼の数字は、2010年の6月までにマラリアはかつてないほど悪くなり、1週間に5,000人の患者が出るほどになったことを示唆していた。しかし、6月にマラリア対策活動が殺虫スプレーや蚊帳と共に到着し、週間の患者数は3,594人に、そして2,843人、2,426人、2,126人、1,684人、1,385人、そして最後には1,269人にまで減った。「見たかい?」エメルは叫んだ。「あなたは子供の病気が少なくなっているのを目撃しているのだ。親は薬に金を使わなくても良いんだ。数ヶ月に4,5日病院で過ごすよりも、母親は庭でより多くの時間を過ごすことができる。市場へ行くことができる。いぜんあなたが病院にいった時、そこは人でいっぱいいっぱいで、嘆き悲しみ、死んでいた。その数を数えることも出来なかった。今、初めて我々はマラリアの頂点についたのだ。」アパッチは変わった唯一の所ではない、と私が言った。エメルはまるで反省するように自分を見下した。「私は変わった。」彼は結論付けた。「そして私は幸せだ。ここで再び笑う理由があるのだ。」
 

発行日: 
2011-09-26
雑誌名: 
記事区分: 
主地域: 
主カテゴリー: 
キーワード: 
0
まだ投票はありません

コメント

コメントを追加