鳥の目での眺め - 新しいフィクション

ナイジェリア生まれの小説家、テジュ・コール(Teju cole)は、フィクション界の驚くべき新たな声だ

ニューヨークをめぐる発見の旅で、テジュ・コールの最初の小説「開かれた町(Open City)」の主人公のジュリアスは、夜の間に聖ヨハネのカテドラルから、セントラルパークまで15分のところにあるモーニングサイドパークへの小道へと出発する。さもなければ、彼はモーニングサイドパークから西に向かってサクラパークへ、そしてハドソン川に沿って北のハーレムへ当てもなくさまよう。その道に沿って、彼は読者に、愛、人種、アイデンティティ、友情、思い出、混乱、そしてマンハッタンの鳥の生活について新しい展望をもたらす。

ジュリアスの夜のさまよいは、彼が高齢者の感情障害についての精神医学の研究プロジェクトを仕上げている病院での忙しい日々との対照を成している。それは「成熟と能力の養生」でそのどちらも即興も失敗を大目に見ることも許さない。息をすることなしに、著者は「セラピーとしての散歩」の考えを認め、進む。彼の目はもっと離れた地平に向いている。

彼の主人公のように、コール氏はラゴスで育った。彼は1992年に17歳でアメリカに行った。それは、多くのナイジェリア人が自分たちの国に絶望していた時だった。技量不足の民政による短い空位期間が、繰り返される空約束にも関わらず終わりの兆候を見せないますます不正にあふれる二つの長い軍政の間に割り込んでいた。財産やコネを持つ人たちはその国を去ろうとし、1990年代の初期には、コール氏や、彼の分身であるジュリアスのような賢く教育を受けた若いナイジェリア人が大挙してヨーロッパやアメリカに現れた。

コール氏の独立精神は、アメリカへの飛行機の中で獲得されたようだ。彼は、マンハッタン島の野蛮なオランダ人植民者についての専門家のようなものと同様に、写真家と初期オランダ芸術の職業歴史家になった。「開かれた町」は「私の孤独の保護者」に捧げられた。ジュリアスは、彼が季節の光にどれほど影響を受けているか気づきつつ、一人で生き、一人で歩く。この孤独は、それが読者を彼のたったひとりの同伴者にするので重要だ。

旅の一部として、彼らは「私が知っている一番の高齢者」とジュリアスが描くサイトウ教授を訪れる。その教授はかつてジュリアスに英語を教えていた。彼はそのゲイの恋人をなくし、ポリネシアの仮面に囲まれ、大きなお尻の看護人と共にフラットで余生を送り、今では死を待っている。短い余命は明らかな後悔だ。読者はまた、全く耳が聞こえず、ほとんどが耳の聞こえない子供たちを描いたジョン・ブリュースターの奇妙な肖像への瞑想と、地元の人々が深海からのメッセージを運んできたと信じた1647年にハドソン川に入り込んだ白鯨の紹介を提供される。

そのような、少数の人たちだけが知っている話は、2001年に亡くなるまで英国ノーフォークの自宅で物思いにふけったドイツ人の作家W.G.セバルドの読者には馴染みのあるものだろう。より重要でないことには、それはたしかに最後には解体され、大げさだろう。しかしコール氏は特別な作家だ。「開かれた町」は、5ヶ月前にアメリカで出版されて以来驚くべきクチコミのベストセラーになった。それは英国で、そして後からフランスとスペインで刊行されるところだ。

なぜその本がそれほど説得力があり、その成功が他の言語でも続くためには翻訳の質が極めて重要なのか、ということについては3つの理由がある。コール氏が単語や句を選ぶ正確さは、時に一つの文章を書くのに一週間を費やしたギュスターヴ・フラウバートのようではない。(略)

二番目に、別のアフリカ人でアメリカ人になった(そしてまた期待の新星でもある)エチオピア生まれの作家、ディナウ・メンゲツのように、コール氏は陳腐な決まり文句や一般化を嫌う。ジュリアスは、フランス語圏のマリと英語圏のケニアがやりとり可能だと考えている映画監督を罵る。これは学者ぶっているわけではなく、アフリカ人はもはや一つにはまとまらないという主張だ。ジュリアスがヨーロッパに飛んだ時、それは母の故郷であるドイツではなくアフリカに関わる長く複雑な歴史を持つベルギーだった。読者がジュリアスについてラゴスに行ったとき、彼らはもはやナイジェリア人を国民意識の弱い人達とは見ず、共感できる複雑な個人だと見る。

最後に、そして最も重要なことは、現代の小説家たちが、適切に現代社会を描くよりも、過ぎ去った人たちの成果を繰り返すことを非難されていることからして、コール氏がオリジナルだということだ。ハーヴァードで教えているイギリスの批評家のジェームス・ウッドはコール氏の作品に署名した多くの評者のひとりだ。彼は、「開かれた町」は、小説ができる限りの日記に近づいたもので、「作家の注意深い糸のように見える網目を、単にそれ自身のために続けさせるために必要な確かな手」のまれな成果だ。それはいとも簡単に失敗しうる。かわりに、それは明敏で不思議な成果で、複雑で全く単純な現代の瞑想だ。
 

発行日: 
2011-07-30
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