ナイジェリアに引き寄せられたジンバブエの農民は生き残りに苦闘する - 農業

農産物生産を助け、上昇する食糧輸入の請求書を減らすために、改革が始まっている

65歳で退職して太陽を求めて外国に引っ越すものもいる。グラハム・ハッティは熱帯雨林から農場を作り出すためにナイジェリア中部に旅をした。それは2005年の1月のことで、彼が40年間ジンバブエで所有してきたメイズ農場がその国の土地改革計画の下で押収され元軍長官に与えられたところだった。

荷造りしている間に、ハッティ氏は、あるナイジェリアの知事が立ち退かされた白人のジンバブエ人農民にクワラ州で1,000ヘクタールの土地と立ち上げ資金を提供しているとの話を聞いた。ハッティ氏を含んだ13人がそれを受け入れた。彼はその農場をヨルバ語で「望み」を意味する「イレティ」と名付けた。

「私は子供たちの負担となりたくなかったので、「なんてこった」って思ったね。」今73歳で依然として畑に出ているハッティ氏は語る。「世界中のどこにもこんな機会を得られるところはなかったのだ。」

これは慈善活動でも何でもなかった。そのジンバブエ人農民たちは、アフリカで最も人口稠密な国で「商業的農場ができるのかどうか」を見る実験の一環だったのだ、とハッティ氏は語る。さもなければ、少なくとも再びうまくいくのか。

1960年の独立時に、ナイジェリアは農業国であり、世界最大のピーナッツとパーム油の輸出国だった。しかし、石油ブームが始まったその時に石油が発見され、農業は忘れられた。現在、97%のその国の輸出収入は石油とガスからきている。

農業はGDPの41%を占めており、その国最大の雇用者であるが、ほとんどの農場は小さく収穫は少ない。

一人あたりの生産増は10年間減っているとその農業大臣は言い、ナイジェリアはますますその急速に拡大する人口を養うために外国産の農産物に頼るようになっている。

今年、その国は世界最大のコメの輸入国になり、2012年には245万トンを輸入すると予想されているとアメリカ農業省は言う。

その国はまた、小麦、砂糖、そして魚の大きな輸入国だ。100億ドルの食糧輸入代金は、年に11%伸びており、「財政的に持続不可能で経済的にも政治的にも意味をなさない。」農業大臣のアキンウミ・アデシナはFTに今年初めに語った。

ナイジェリアの7,500ヘクタールの耕地のうち、ほんの約半分しか使われていない、と食糧農業機関はいい、その気候は米を含んだ多くの農産物にむいている。「我々はこの潜在力のすべてを持っている。」アデシナ氏は語る。「しかし潜在力は食べることができない。」

ナイジェリアに妻とともに到着したハッティ氏とそのションガ農場の彼のジンバブエ人の仲間は、土地を片付け、それぞれ簡単な家を建てた。電気と農業設備はクワラ州によって提供され、ションガ計画の株を持つ銀行団がカネを出した。

土壌はよかったが、問題もあった。肥料の質は低く高価だった。約束された灌漑システムは、その農場がニジェール川からほんの数マイルしか離れていないにもかかわらず、建設されなかった。これは米作を不可能にした。代わりにハッティ氏はメイズを植えるよう指示され、一方大豆を植えたものもいた。どちらの農産物も失敗した。

最終的に、ハッティ氏は、ナイジェリアの主要産物である塊茎のキャッサヴァを育てることに成功し、その生産物を500マイル離れた小麦粉の精製所に貧弱な道路で運んでいる。

最大の苦労は、農場を経営し続けるための資金を見つけることだった。ナイジェリアでは、貸出率は20%かそれ以上と高く、それでさえも銀行は農民と取引するのに前向きではない。商業的農場に必要な一桁の長期融資は提供されない。何人かにとってはその問題は大きすぎる。ションガでは、もともとの13人のうち5人がナイジェリアを去った。2006年に19人の白人ジンバブエ人農民をひきいれたナサラワ州ではたった一人が残っているだけだとハッティ氏は言う。「私自身も立ち去ることに近づきつつある。」彼は語る。「18か月間、私は石油のボロの匂いを嗅いで生活してきた。」

彼の不満は、商業的農業に乗り込もうとしているナイジェリア人の何人かとも共有されている。2005年に英国から戻った電気技師のアデニイ・アデウシは、クワラ州で穀物を育てる農場を始めたいと思った。代わりに、彼は父親のカシューナッツ加工工場を引き継いだ。

「ナイジェリアのために、我々は、焦点が一義的には生産にあてられなければならないことを知っている。1.6億人の人々が食料を必要としているからだ。」彼は語る。「我々は米という単一の穀物を輸入されるべきではないが、道路や鉄道、電力そして金融といった農業のための条件を可能にする権利はまだない。」

しかし、アデシナ氏の改革努力は正の影響を持ち始めているかもしれない。非効率な補助金計画は、解体修理されており、中央銀行は負債の一部を保証することによって農民への銀行貸し出しを増やそうとしている。輸入米と小麦へのより高い関税は現地の生産を促進するために設計される。

ハッティ氏は、車で6時間の商業首都のラゴスにあるキャッサヴァの精製所に供給する取引を保証されている。「もしわれわれが灌漑権を得ることができ、我々に近い工場を持つことができれば、私はよい生活ができるだろう。」彼は語る。

「商業的農業はナイジェリアでやることができる。もし物事が変わり続ければ。」
 

発行日: 
2012-11-02
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