かつてないほどに血なまぐさい - ナイジェリアの北部反乱

殺人率は上がっている。大統領直轄委員会はそれを緩めることができるのか?

4月18-19日に、ナイジェリアの北東部の州ボルノの漁村バガでのイスラム過激派集団ボコ・ハラムとナイジェリア治安部隊との間の戦闘で、どれだけの人々が亡くなったかははっきりしない。死者数は188人にものぼり、2,000以上の家が壊されたという人もいる。そのような数字は、今のところ確認するのが不可能だとわかっている。政府は、外国メディアによって報道された死者数は「大きく誇張されているかもしれない」と示唆する。明白なことは、異常に血なまぐさい戦闘が起こり、(「西洋の教育は罪」という意味の)ボコ・ハラムがかつてないほどの活動的で暴力的であり、治安部隊も同じくらい不器用でその結果として彼らはしばしば反乱軍よりも多くの市民を殺すということだ。ボコ・ハラムを消そうとして、軍は、当局に対する地元の北部人の間での、反乱軍へのむき出しの同情ではないにしても、怒りを加熱し続けている。

グッドラック・ジョナサン大統領は、反乱は純粋に力によってのみ抑圧されない、と遅ればせながら気づいているようだ。4月24日に、彼はボコ・ハラムの指導者たちが彼らとの交渉を希望することを探って、「対話と治安上の挑戦への平和的解決についての委員会」を立ち上げた。停戦と同様に恩赦がどんな取引にも入るだろうということは理解されている。

ボコ・ハラムの指導者が誰でどこにいるのか誰も確認できず、その主張の過激な性質が交渉を切り出すのを難しくしているために、交渉の過去の試みはほとんど進んでいない。最低でも、反乱軍は北部ナイジェリアでのシャリア法のより厳格な賦課と何千もの囚人の解放を望んでいる。問題を複雑にするために、ボコ・ハラムから別れた更に過激な集団のアンサルによっていくつかの最悪の暴力が準備されている。アンサルは(南部サハラにわたるカリフを含んだ)より国際的な聖戦士の議題に従っており、一方ボコ・ハラムは北部ナイジェリアにより特有な不平に焦点を当てているようだ。対照的に、ナイジェリアの南の端の石油の豊富なデルタの民兵はより穏やかな予防を持っており、恩赦、現金、再定住、そしてより良い生活と引き換えに戦いをやめることに合意することができるようにしている。

バガでの戦闘は、民兵がその町で暴れ回り、近くの治安部隊を引き寄せた時に起こった。軍は、多くの家を破壊した火災は、ボコ・ハラムによって発射されたロケット付手投げ弾によって発生した、と語る。しかし、それさえもはっきりしない。反乱軍の拠点であるボルノ州の州都マイドゥグリでの以前の軍事的弾圧は、反乱軍よりも多くの市民を殺した。戦士や市民たちは、カメルーンやチャドのそばの他の乾燥した国境地帯に逃げた。反乱が2009年に始まって以来、暴力は北部や中部ナイジェリア中に巻き上がっており、首都のアブジャに至るまで南に到達している。北部の二つの大都市カドゥナとカノは、今ではボコ・ハラムと同様にアンサルによって悩まされている。

それが始まった時、ボルノが嵐の中心だった。2011年に、その隣接州ヨベと一緒に、その州は攻撃の3/4近くを経験した。しかし、去年、その暴力は劇的に広がった。その半分程度はほかの州で起こったのだ。2011年7月から今年の2月の間に、ボコ・ハラムによってはじめられた暴力による死者数は、ニューヨークの外交問題評議会の専門家によると、2,600人以上に増えたという。これらの死の2/3はボコ・ハラムに直接帰せられる。残りは、しばしば真ん中でとらえられた両側での犠牲者だ。これらの数字は、クリスチャンとムスリムの関係が緊張しているプラトー州の町ジョスといったようなしばしばまじりあったところで起きる党派間暴力による事故での同じ期間のほぼ1,800人の死者とは別だ。

政府はその防衛予算を抜本的に増やしている。去年、それは国家予算の1/4近くをむさぼった。しかし、暴力はバガでの惨劇に見られるように和らぐ兆候を何も見せない。武器は、ナイジェリア北東部とチャドとの間の穴だらけの国境をまたいで密輸される。衝突はほぼ毎日起こる。政府当局は北部の一部でほとんど活動できない。ボルノでは27地区のうち10が事実上立ち入り禁止で、議会の議長はその地位から逃れている。聖戦士たちが北部マリから追い出されるにつれて、バガで使われたようなプロペラ付手投げ弾のような比較的洗練された武器を持って北部ナイジェリアに向かうかもしれない。ジョナサン氏の対話委員会が早く進むことができなければ、見通しは暗そうだ。
 

発行日: 
2013-04-27
雑誌名: 
記事区分: 
主地域: 
主カテゴリー: 
キーワード: 
0
まだ投票はありません

コメント

コメントを追加