ヒュー・アンド・クライ - パスポートデザイン

パスポートの色の多くの意味

南スーダンの誕生は多くをアメリカに負っている。おそらく、感謝のしるしとして、(去年一般競争によって選ばれた)その国家紋章は、国印のように見える。そしてその青と鷲飾りの新しいパスポートは、アメリカの旅券とよく似ている。そのようなまねを非難する人々は歴史を学ぶべきだ。ベンジャミン・フランクリンは新しいアメリカのパスポートをフランスのものに基づいて作った。当時、それはたった1枚の紙切れだった。

パスポートが国家主権を代表するように、それは独立国家であることの資格の典型的な範疇の一つだ。だから、パスポートをそろえることは、協力のしるしなのだ。それはゆっくりとした過程になり得る。当時のヨーロッパ共同体の9つの加盟国(今は27ヶ国の強いヨーロッパ連合)が、今では彼らが分け合っているパスポートの表紙の色(しかし他の特徴は異なっている:ドイツのものは他の国で使われているような柔らかいものではなく、堅いカードの表紙を持っている)をそろえるのに何年もかかった。統一パスポートが最初に提案された翌年の1976年、英国は提案された繊細な薄紫色の陰に身震いした。外交官たちは、それから、(当時の報告書によれば「あまりにつまらない」とされた)栗色を退けるのに4年かかり、1981年にワイン色の合意に達するまでに紫色の案もあった。

それさえも、不承不承受け入れられたに過ぎなかった。英国人はブルゴーニュの赤の選択にフランスの影響を見て不平を漏らした。そして多くはまた、1920年に国際連盟がパスポートに関する国際会議で標準に設定して以来ほとんど変わらなかった彼らのより大きな濃紺色のパスポートを悼んだ。1926年に再招集されたそれは、「完璧」として英国版を歓迎した。

英国の色に関する貞節は独特だ。アメリカの1918年の最初のパスポートの表紙はベージュで3年後には緑に変わった。1926年に様々な濃さの赤に変わり、1941年に緑に戻った。1976年の建国200周年のためだけに、それはアメリカの旗の色に合わせて青に変わった。

共通の色は、ヨーロッパのパスポートを直ちに認識できるようにすると考えられた。しかし、色は特許がとれないので、他国が同じことをするのを止めることができるのはなにもなかった。EUに加盟することを望んでいる国の中には、ブランディングの一環として素早く正しいパスポートの色を採用したところもあった。南アメリカでは、かつてEUのようになることを望んでいたアンデス共同体もまた、ワイン色のパスポートを好んだ。他の二つの地域グループであるメルコスールとカリコムはアメリカ式の濃い青を好んだ。1915年以来パスポートを作っている英国の会社のデ・ラ・リューのクレア・バーロウズは、国々は一般にその文化や宗教を反映した色を用いると語る。イスラム諸国はしばしば緑のパスポートの表紙を使う。(ドイツのパスポートもかつてそうで、西アフリカ経済共同体の加盟国もそうだ。)世界の249のパスポート発行団体のうち65の書類を印刷するテネシーに本社があるホリストンのビル・ワルドロンによると、埃が目立たず、紋章とのコントラストをまし、より公式に見えるので、警察が暗い制服を着るように、暗い色が人気があるという。

パスポート発行権のある数少ない国際機関の一つ、インターポールは、その理論への証拠を提供する。その新しい旅券は黒なのだ。国連のパスポートは、平和維持軍のヘルメットのように、穏やかな青だ

派手な色のパスポートも存在する。しかし、それらは時には罰のようにも見える。スウェーデンとオランダはパスポートをなくした国民に、緊急旅券を発行する。その色はピンクだ。
 

発行日: 
2012-03-03
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