ワゴンを取り囲む - 新疆の移住者

民族闘争に悩まされる地域で、移民が支配的な村落の増加が緊張を増している

かつて南シルクロードと呼ばれたものに沿って、渦を巻く塵旋風と時折現れるねじれた気によって中断された特徴のない砂漠の風景を通って、何時間も運転すると、興味深い光景が最後には旅行者に立ちはだかる。まるで上海郊外のかけらが荒れ地の中に植えられているように、鮮やかな赤い屋根を持ったアパートの区画が次から次へと現れるのだ。続くのは、中国の極西の軍隊式の専門用語である入植地で、自身を38団と呼ぶ。それは、数年前までは砂以外には何もなかった場所にある、何千人もの人々の故郷だ。

その町は、地上部で中国最大の省であり、中国で最も民族的に困難を抱えている新疆ウイグル自治区の中の、そのような共同体の巨大なネットワークへの最新の追加だ。隣のチベットも、長い間民族的緊張にかき乱されているが、新疆に困難をもたらしている暴力はめったに目撃されない。それは、そのムスリム信仰と中央アジアの文化と言語が、38団のような場所を支配する漢族と分けている、ウイグル族を伴った低いレヴェルの反乱だ。4月23日に、カシュガルのそばでの警察と分離主義者といわれる者たちとの間の遭遇戦中に、21人の人々が殺された。公式な説明では200人近くが亡くなった、省都ウルムチでの2009年の民族間暴力の爆発が、その分断を悪化させた。入植地ネットワークの拡大は、それを更に深めている。

フルネームで言うところの農二師の38団は、新疆生産建設兵団の一部だ。ふつう、兵団(bingtuan)と呼ばれるこの国営の組織は、台湾の広さの倍の地域を支配し、その省中に散らばる多数の場所に押し入った。少数は都市の大きさだ。ほとんどは町や村のようなものだ。260万以上のその総数のうち、86%は漢族だ。新疆全体では、対照的に、漢族は公式には2,200万の人口のうち40%を少し超える程度を占めているにすぎない。残りはウイグル人とほかの少数の民族集団だ。
 

銃とケチャップ

その兵団は、自身の学校、病院、そして新聞を運営する。それは、(兵団の町は中国の他の町と比べて特に軍事的に見えるわけではないが)それが軍のように聞こえる名前の理由である12万強の民兵と同様に、自分の裁判所、警察、そして刑務所を持つ。それは、その綿花(その地域の主要な現金作物の一つ)の40%を含んだ、新疆のGDPの1/6近くを生産している。その部隊はまた、世界最大のトマトケチャップメーカーの一つであることにも誇りを持っている。新疆の経済学者孫燕萍(Sun Yanping)によると、その輸出品は2009年のケチャップの世界貿易の17%以上を占めたという。それはまた、ナツメヤシの実の加工から石炭採掘に至るまでのすべてで、何百もの事業を運営している。その商業部門を通して、それは1ダース以上の上場企業を経営しており、その中には中国の農業省にアジア最大のワイン生産者だと描写されるサンタイム・インターナショナルがある。

多くのウイグル人は、新疆にあり、彼らをほんの少ししか雇わない、そのように大きく、経済的に協力で、政治的に自立した存在に憤慨している。さらに問題を悪くしているのは、兵団が幾分かその存在を新疆の安定を維持するために必要だと言って正当化していることだ。それは幾分かはウイグル人を黙らせておくことの簡略表記だ

大きな国有会社の「既得権益」への中国での批判が増しているときにその権力を保つことに熱心な兵団は、それが重要な役割を果たしている普通の中国人を説得しようと骨を折っている。その兵団によって支配される北新疆の町の石河子の博物館には、ライフルで武装した兵団の団員がカシュガル市のそばで起こった1990年のウイグル人たちによる蜂起の間に壁の後ろにうずくまっている写真が展示してある。その兵団員は、その暴動を破壊するのに重要な役割を果たしたとキャプションには書かれている。人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、逃げている間に撃たれた何人かを含んだ50人のウイグル人がその事故で殺されたという。

その兵団の軍事的つながりによって、それはふんぞり返っている。「私は1ダースの大きな銃と砲兵隊の一団を持っている。あなたはどうですか?」上海の新聞のオリエンタル・モーニング・ニュースは、石河子の上場している兵団企業の経営者を引用し、2010年にある訪問者に自慢した。(その事業にケチャップ生産が含まれる)彼の会社新疆天業グループは、実際に砲兵団軍を持っている。

その兵団の準軍事的役割は、18世紀に清朝の皇帝(当時の植民者の多くは満州兵だったが)による新疆の征服にまでさかのぼるその地域への植民の一連の試みのうち、単に最新のものだ。その兵団自身は1954年に創設され、主に退役した漢族の兵士からなっていた。彼らは、ソ連による潜在的な侵入を防ぐためにその銃を保つ一方で、砂漠地帯を農地に変えるよう命令を受けていた。1953年に漢族は新疆の人口の10%以下しか形成していなかった。しかしながら、その兵団はその均衡を上げることにすら役立った。さらに多くの退役兵、囚人、政治的反対分子、(そして男性を幸せに保ち人口を維持するための)女性たちが、植民者に参加するよう送られた。

死の前年の1975年に、毛沢東は、文化大革命の派閥間暗闘と中央計画の惨害のためにぼろぼろになったその兵団を廃止した。1981年に、鄧小平は、何の明白な経済的理由もなかったが、それを再建した。元の兵団農場からの穀物と綿花の産出は急速に回復した。しかし、役人たちが反漢暴力と見たものを含むウイグルの暴動が、いくつかの場所で起こった。鄧は、兵団が「新疆安定化の中核」であるべきだと語った。
 

彼らが西を向くかもしれないと恐れて

1991年のソ連の崩壊の後で、中国は新たに独立した中央アジアの共和国が、新疆の東トルキスタンという独立した国への支持に感銘を与えるかもしれない、といらだった。ウイグル人たちは、1949年に共産党が勝利する前に中国が混乱していた1930年代と40年代に、2度そのような国家を宣言した。高官たちはまた、イスラム原理主義が新疆に広がるかもしれない、とも怖れた。アメリカ軍は2001年にアフガニスタンで20人以上のウイグル人を捕らえ、中国はウイグルの分離主義者たちがアル=カーイダとのつながりを形成していると主張し始めている。

兵団の高官は、そのような恐れを弄ぶことについて幸せだと思っている。当時新疆の副書記だった張慶黎(Zhang Qingli)は2004年に語った。「新疆が大騒ぎをする民族分離主義の力とけんかを巻き起こす過激派宗教的な力を持っている限りは、兵団は永遠に存在する。」彼は批判者を「悪い人々」と「敵対的な西側の軍」と呼んだ。

兵団は、いかにしてひどい訓練を受けた民兵を持った漢族が支配的な少数民族圏の漢族が支配的な集団が、安定を補強するのに役立つことができるのかについて、はっきり説明していない。その狙いは、180近いその「団」のそれぞれに「緊急対応」部隊を持つことだが、専門の治安部隊はふつう最初に呼び出される。西部中国への刺激的な分析で知られる北京の作家の王力雄(Wang Lixiong)は、その兵団を(中国で発禁になった)2007年の本で、新疆内の「漢族自治省」と表現した。彼は、それが自身を(その地域での兵団入植地に何の司法権も持たない)その地域の地方政府やウイグル人から遠ざけているという。「新疆問題の解決は兵団問題の解決と不可分だ。」彼は書いた。

北京の党指導者は同意しないようだ。2009年のウルムチ暴動は、中央政府にとってはっきりと衝撃だった。次の年、それは新疆の扱い方について議論するために北京で会議を開いた。中国の当時の主席胡錦濤は、「強い建設軍」としてのその使命を満たしているとして、その兵団を賞賛し、兵団は新疆の他の部分よりも豊かな省からの直接援助先としてより集中されるべきだと発表した。

これに助けられて、兵団は復活を楽しんでいる。新疆全体での年間GDP成長が10%なのに比べて、それが支配している地域は2011-15年に15%の成長を集めている。この加速は、兵団が「馬飛び開発」と呼ぶものによって助けられている。それは、兵団の従来の農業主導経済を変えている都市化運動で、民間事業を激励し、建設の熱狂を作り出すものだ。その狙いは安定を強化することだが、それが漢族の流入をまし、すでに目立った人種分断を悪化させているので、それは反対になりうる。

これは、兵団の見本市の石河子で明らかだ。去年、それは衛星地区を建設し始めた。何十ものアパート地区の灰色の外観が、天山山脈のふもとのそばの埃っぽい平原で急成長している。役人は、2015年までにその新築の人口は10万人に到達するという。2030年までに、それは35万になるだろう。古い町から移転するものもいるが、多くは仕事と新しい工場にひきつけられた遠く東からの新参者だろう。石河子の現在の人口は64万人で、95%は漢族だ。その率が大きく変わると予想するものはほとんどいない。
 

自明の運命

ウイグル人が依然として普通多数派である南部新疆では、兵団がその到達を広げている。新しい入植地を作り出したり、既存のものを更新したりしているのだ。2004年に、役人によってウイグル分離主義者の温床だとみなされている町のホータンの西約75キロの砂漠に224団を作った。その団は今、1.2万の常駐人口を持ち、(収穫期にはウイグル族がその紅棗をとるのを助けるけれども)その98%は漢族だ。2010年に38団が立ち上げられた。その町の人口は、すでにゼロから4,800人以上に増えている。その狙いは、その数を3倍にすることだ。新参者は、河南省中部や2008年の地震でその村が損害を受けた隣の甘粛省の共同体から来る。動くための動機づけとして新たな共同住宅と土地を与えられるものもいる。兵団は、80キロ離れた莫勒切河から水を運ぶのに何億ドルも費やしている。「私はここにもう20年住みたいと思っている。」ある若い漢族教師はキブツ的な熱意を持っていう。ウイグル人は目に入らない。

(同じく棗を植えている)38団は、自身を南部新疆に入る道に戦略的に置かれていると表現する。8月に、それは反テロ練習を行っている民兵部隊を形成した。それは、ウイグル遊牧民を1キロ離れた別れた新しい集落に定住させる影響について考えるのに、より良い仕事をするかもしれない。タクラマカン砂漠の広大さでさえもその分断は増している。
 

発行日: 
2013-05-25
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