縮む包帯 - 精神医学

1冊の本が精神医学を支配するようになっている。それは危険だ

人間の脳は、知られている宇宙の中でもっとも複雑な物体だ。それは1,000億の神経細胞を含んでいる。それがいかに複雑かということを思えば、それは本当に珍しいくらいにしか間違えない。

しかし、それは時には間違える。それが、1952年以来アメリカ精神医学協会が「精神混乱の診断的統計的マニュアル(DSM)」を出版している理由だ。最新版が5月22日に店に並ぶこの本は、何が精神の混乱を構成しているかについてのその協会の考え方を含んでいる。それは、精神医学者によってだけではなく、アメリカにとどまらない世界中の保険会社、製薬会社、そして心配な患者とその親たちによって調べられている。それは何が精神疾患で何がそうではないか、そしてそれ故に誰が治療を受け、だれがそのために支払うのかを定義する産業標準になっている。

ほかの主要な医学分野で、人々の生活に対してそれほど大きな力を持った、そのような単一の教科書を持っているものはない。そしてそれは心配なことだ。他の医学分野で、医者の宣告をそれほど不確かに補強する科学的現実はないからだ。
 

分野別命令

この不確かさは、いかに脳が実際に働いているかについての、深い無視から来ている。神経科学者たちは、いかに神経細胞が働くかを理解している。彼らはまた、脳のどの部分が資格、運動、言語、記憶、といったものを取り扱っているかも知っている。しかし、これら二つの解剖学的水準の間はすべて暗闇だ。精神医学者は、故に、根本的な問題への代理としての行動パターンを使わなければならない。そして、パターンを構成しているものは、あまりにしばしば、統計学的に正確な事実よりもむしろ、意見の問題だ。

DSMにその力を与えている傾向を見つけて分類するのは、この欲望だ。物事に名前を付けることによって、それは駆け出しの科学に名前を与える。それは、原理的には悪いことではない。しかし、実践では、それはあまりに遠くに行っている。主要な批判は、それが普通の行動を医学化し、それの作り出す精神疾患の厳しい区分は、ますます研究の示唆することが実際に脳の中で起こっていることと調和していない、ということだ。

どちらの批判も、究極的には名前についてだ。DSMは、子供たちの怒りの癇癪に「破壊的気分調節不全障害」とか、過食の傾向がある人々に「無茶食い症」といった名前を与える。もしそれらが単なるレッテルならば(精神衛生の分野ではレッテルですらも罪を免れないが)、それはたぶん問題ではないだろう。しかし、診断はしばしば処方につながり、少なく見積もっても錠剤の処方に疑問が残る人々によってそれらがたくさん服用される。

DSMが疑いもなく病気だと区分けするやり方も、また攻撃されている。大きな鬱と自閉症のいくらかの形である精神分裂病は、長い間別々の病気だと考えられていた病気を無効にしている。しかし、遺伝子分析と脳内スキャンの現代的技術により、研究者の中には、それらが本当に、例えばさまざまな形の白血病が区別されうるようなやり方で、見分けることができるのか、ということを不思議に思うものもいる。それらの生物学的土台が重なっているように見えるからだ。正しく診断することなしに、正しい治療は難しい。

DSM崇拝もまた、研究の中で有害だ。アメリカの国立精神衛生研究所の所長トーマス・インセルは、少なくともそれが診断と治療を妨げるならば、そのやり方に制約されないよう、おおやけに科学者たちに奨励している。診断の点では、(遺伝学と脳内スキャンの研究を行った人々を含んだ)数少ない精神病医学者、今、大っぴらにDSMの欠点を指摘している。依然として、DSMの定義と確実性は、あまりに深くこの批判に深く染み込まれているので、痛いところを突くことができないのだ。その完全な帰結は、長きにわたってそれほど明白ではないだろう。しかし、この極度に不確かな科学の中の一つの見方への現在の過依存は、精神医学にとっても、それが治療するものにとっても健全ではない。
 

発行日: 
2013-05-18
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