CARクラッシュ - 南アフリカの外交政策

その兵士13人の死は南アフリカの大国としての制限を暴露する

「我が国の軍人が立派な原因で亡くなった」中央アフリカ共和国(CAR)の首都バンギのそばで反乱軍によって3月23日に殺された13人の南アフリカ兵のための慰霊祭で、南アフリカ大統領のジェイコブ・ズマは宣言した。「彼らはその国の外交政策を守って亡くなったのだ。」致命的な待ち伏せ攻撃の1日後に、バンギは1月に仲介されたばかりの権力分割協定に我慢が出来なくなったセレカとして知られる反乱軍同盟の手に落ちた。CARの大統領フランソワ・ボジゼは近くのカメルーンに逃れた。そしてズマ大統領は、1994年の白人少数派支配の終わり以来南アフリカがこうむった最大の数の軍事的犠牲者という結果になった交戦について、怒りに満ちた疑問に直面している。

彼の与党アフリカ民族会議(ANC)は、その兵士たちが本国で権力に近い人々の商業的利益を守るために送られた、と言う全国紙の主張に、すぐに反駁しなければならなかった。より上手な説明は、それほどはっきりとは説明されていない。いわく、その兵士たちは、隣のチャドからの軍隊とともに、1月の協定をくっつけるのを助け、好まれておらず独裁的な指導者を支えるための、力の誇示だ、と言うものだ。ズマ氏と彼の党は、なぜその軍隊がその場所に一番に送られたのかを説明するのに「訓練」と「能力開発」という話をする。

それは、その犠牲者の衝撃によってほんの部分的にしか説明されない反応である、本国での冷笑と怒りを招いている。しかし、それはまた、その大陸中で影響を与えることのできる外交政策を持った大国としての、南アフリカの減退する評判も反映している。

1994年に大統領職に就く前に、ネルソン・マンデラは、人権は「我々の外交政策を導く光」だろうと約束した。その目印は、彼の後継者たちの下でかすんでいる。1999年に大統領を継いだターボ・ムベキは、彼自身批判的な西側と提携しないように、隣国ジンバブエのロバート・ムガベの人権侵害を甘やかした。例えばコンゴやコートジボワールでの、他の軍事的・外交的事業が、失敗した。より最近には、ズマ氏の外交政策の一撃は、しばしば南アフリカの支持を得て、人権についての国連決議を習慣的に妨害する中国とロシアを含んだ新興諸国クラブのBRICSにその国が参加することができるようになったことだ。ズマ氏は、バンギでの待ち伏せ攻撃からほんの数日後に、南アフリカの町ダーバンでBRICS首脳会談を開催した。南アフリカは、たとえそのGDPがアフリカにおいてはたやすく最大であっても、そのような仲間の中では雑魚だ。実は、その大陸広くにわたって権力を反映する南アフリカの力を制限しているのは、その沈んでいる道徳的権威と同様に、この経済力の欠如なのだ。それは、ほとんどがコンゴとスーダンでの平和維持活動として、ほんの数千人の軍隊を外国に展開しているだけだ。その国防支出はGDPのたった1.4%だ。対照的に、5つの国連安全保障理事国は、そのはるかに大きな国家収入の2-5%を防衛に支出している。

ズマ氏は4月3日にチャドに飛び、地域指導者たちとCARについて議論した。「我々は次に何をすべきか、大陸によって案内されるだろう。」彼は出発前に哀悼者たちに語った。チャドに行くと、彼はすべての彼の軍隊はCARから引き揚げるだろう、と語った。いずれにしても、セレカの指導者ミシェル・ジョトディアはすでに、自分がその国の新しい大統領だと傲慢に宣言した。
 

発行日: 
2013-04-06
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