荘厳さの夜明けに - ルネサンスの春

新たな展覧会が15世紀初めの巨匠たちをほめたたえる

イタリアのうぬぼれは引き潮にある。先月の選挙は、道化者たちが勝利した。イタリア経済は苦労しており、新たな教皇は、前任者によって彼に譲られたローマカトリック教会への不幸な調査の結果を読んでいる。しかし、フィレンツェへの訪問者にとって、フィリッポ・ブルネレスキが1436年に建設した大聖堂は、同時代の評論家によれば、「すべてのトスカーナの人々を陰に覆うほど広く空の上に」そびえたつ。

ブルネレスキの大聖堂は、フィレンツェがかつて新しい世界の支点だったことを思い出させるものだ。それはまた、多くがここで生まれたと論ずる、ルネサンスとして知られるようになった知的芸術的運動をかたどる。

この重要な瞬間に捧げた新たな展覧会が、いかにフィレンツェ共和国の著名な人々の小集団が、古代の学びを再発見するために、中世の思想の甲羅を突破した。彼らは、政治、芸術、建築、文学、そして哲学にわたって広がる研究と創造性の波を自由にし、復活の手本になっている。

その動きは、神というよりもむしろ人間を宇宙の中心に据えた。天国よりも自然が、芸術家にとって正しい主題になった。この動きの原因と帰結は終わりなく議論されている。しかし、この展覧会のキュレーターは、ルネサンスが真に生まれたのは、絵画ではなく彫刻だったと論ずる。

彼らは、この美の革命は、ブルネレスキと彼の同胞のロレンツォ・ギベルティによって1401年にその大聖堂の隣の洗礼堂の一組の新しい青銅のドアを作り出すためのコンペティションで作られた、二つの青銅のレリーフ版で最初に示されたと示唆する。どちらの芸術家も、アブラハムが彼の息子の遺作を犠牲にした物語から持ってきた鮮やかな人間ドラマの光景を彫った。ギベルティが最後にはそのコンペティションに勝ったが、どちらの芸術家も、ゴシックの衣装と光景の優雅さと、古典的彫刻に目に見える負債を負っている写実的モデルの人物を組み合わせた。

フィレンツェの主要な彫刻博物館であるバルジェッロ国立美術館とパリのルーヴルとの協力で、その展覧会はヨーロッパとアメリカ中の博物館と民間所蔵品からの137のものを集めた。ほとんどのキュレーターの要求は承諾され、このルネサンスジグソーパズルのほとんどすべてのかけらがここにあるという結果になった。

最初のいくつかの部屋は、革新的なルネサンスの作品に刺激を提供したローマの彫刻の例をその隣に含む。かつてはピサの大聖堂の外に立っていたタレント・クレーターと呼ばれる素晴らしいローマの壺は、ルネサンスの重要な先駆者であった13世紀の彫刻の名人のニコラ・ピサーノに感銘を受けた。ローマの胸像は、それらが影響を与えた預言者や聖人の記念碑的彫刻と並べてそばに置かれている。

ここで展示されている最も重要な芸術家は、ギベルティとブルネレスキの助手として始めたドナテッロだ。彼の本拠地にまとまっているのは、この展示会のために特に回復されたトゥールーズの聖ルイの1425年の中空の銅像と言ったドナテッロのもっともすばらしい彫刻のいくつかがある。その展示により、訪問者は、とりわけ彼の長期的協力者でロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館からの二つの大理石の天使がここで代表されているミケロッツォを含んだ、同時代人に対するドナテッロの決定的な影響を直接たどることができる。

その展覧会はまた、最初に彫刻で表現された考えがいかに絵画の中の美と真についての新しい考えへの触媒になったかを指摘する。一つの例は、1417年に聖ジョージが竜と戦う光景の中で最初に見られたとても浅いレリーフに彫られた時の、ドナテッロの正確な中心点の見方の繊細な使用だ。この発展は、平らなキャンヴァスや木の上で説得的な3次元空間を作り出すことによって彫刻の活力をまねたいと思ったマサッチオ、フィリッポ・リッピ、パオロ・ウッチェロ、そしてアンドレア・デル・カスターニョと言った当時の画家たちによってすぐに飛びつかれた。

ストロッツィの主題の近づき方は、彫刻がフィレンツェのルネサンスになした貢献の重要性を補強する。その結果は、徹底的な紹介というよりもむしろ、選択的なものだ。一つの部屋は、ローマのプットのドナテッロの魅力的な子供のような聖霊への変化が、いかにローマの像をキリスト教の理想に調和させるために一致した努力を表すかを探索する。他の部屋は、古典的な騎手の肖像のドナテッロによる見直しを見つめる。ある部屋は全部聖母子の絵画と彫刻に捧げられる。その作品は、ルネサンスの古代への愛がキリストへの信心を犠牲にしていたわけではないという考えを補強し、同時に美の新しい理想がいかに早く広がることができたかを証明している。

その展覧会はまた、フィレンツェの政治体制が市民の共和国からメディチ家やストロッツィ家のような強力な一家によってますます支配された国へ変わった後の彫刻を示す。ドナテッロの初期の記念碑的彫刻は、ギルドか教会によって依頼された。ミーノ・ダ・フィエゾーレによるローマの服装をしたフィレンツェの名士ののちの胸像は、素晴らしい民間パトロンの新しい世界を反映している。

ストロッツィ宮の優雅な幾何学的形状は、展示の一番後ろにおかれた1489年のジュリアーノ・ダ・サンガッロの木のモデルによって例証される。ここのすべての展示と同様に、出ていく訪問者は町にあふれほかの所のルネサンスを探すことが期待される。他の博物館や教会、そしてブルネレスキの大聖堂それ自身の中で。
 

発行日: 
2013-03-30
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