強い男 - ルワンダ/ポール・カガメ

ルワンダの戦いなれた大統領ポール・カガメは西側の攻撃にさらされている。彼は戦いの準備ができている

アフリカの真ん中に位置するルワンダで、キガリはその真ん中に位置し、そしてその町を二等分する木製の棟には一層の政府合同庁舎があり、そこでほぼ毎日ほとんどの時間、大統領のポール・カガメが机に向かっている。しかし、地理と勤労だけがカガメをアフリカでかつてないほどの中心的な人物にしているわけではない。1994年に世界が躊躇した時にジェノサイドからその国を救った反乱軍司令官は、それ以来大統領としてルワンダを素晴らしい再生に導いている。過去10年間で、ルワンダの経済成長は平均8.2%で、国家予算における援助の割合は85%から41%に下がっており、幼児死亡率は半分になっており、小学校への入学は3倍になっている。その記録は彼を突然成長と機会が爆発している新しいアフリカの化身にしている。

しかし、最近、54歳のカガメは、ほかの理由で注意を惹いている。人権団体は、長い間彼を独裁君主だと特徴づけてきた。批判者は、彼の90%強の選挙での勝利、何人かの反対派の暴力的な死、そしてルワンダの経済的成功が金やコルタンなどの反乱軍民兵によって支配された鉱山からのコンゴの血に染まった鉱物への近さに焦点を当てる。6月27日に、積み重なった非難は頂点に達した。コンゴ民主共和国の国連監視団は、その指導者が戦争犯罪で指名手配されているコンゴ東部の反乱軍を支援しているとしてカガメを非難した。その主張は、世界的な非難の火事あらしを爆発させた。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、彼を「残忍な反乱軍」を支援する「独裁者」だと表現した。英国の援助団体オックスファムが言うには、ゴマの町への反乱軍の進出は、50万人の難民をもたらす「破壊的な人道的危機」を作り出している。合衆国、英国、ドイツ、スウェーデン、オランダ、そしてアフリカ開発銀行は、それぞれの援助を保留した。外国の報道はひどかった。英国のガーディアンは、かつてのビル・クリントンの側近が、世界がカガメによって「だまされるのにうんざりして」おり、1994年のジェノサイドに対するその不作為で恐喝されたと言っているのを引用し、別の記事ではカガメ自身も戦争犯罪の罪に直面するだろうと推測した。

危機がカガメにのしかかるにつれ、彼は5日間にわたる7時間のインタヴューをタイム誌に許した。彼に対する申し立てへの、魅力的で愛嬌があり非常に鋭いカガメの怒りの不満は、にもかかわらずはっきりとしていた。彼を中傷する人にとって、彼は今ではとても古い型のアフリカの暴君として姿を現している、かつてのアフリカの新星だ。カガメにとって、その議論は、世界と争っているアフリカの指導者について、新たに信頼され強力になったアフリカの興隆と争う世界についてほどには、明らかにしていない。

多くがカガメと西側の間の簡単ではない関係に基づいている。その均衡は、多数の人々が過去15年間の戦争と不安定の中で亡くなったコンゴの未来に横たわっている。それはまた、ルワンダの、そしてある程度アフリカの名前のための戦いだ。その大陸が、独裁者、災害、そして周りをハエが飛び回る赤ん坊の失われた渦巻だとみられているか、その劇的な改善が西側がもはやそのどれについても独占しているわけではない新たな自由、新たな権威、そして新たな地位をそれに与えた新興の巨人だとみられているのか、だ。

カガメにとって、それは人生を通して戦っているものと同じ戦いだ。亡命者から反乱軍、ジェノサイドの征服者、そして驚くべき再生の監視者としての彼の人生を考えてみよ、と彼は語る。「私が、自由になること、自分を表現すること、正義を持つこと、公平に扱われることの意味を知らないとでも?」最初のインタヴューで、カガメが次第に小声になり、宙を見つめた時がある。彼が続けた時、彼は低くかすかな声で話す。「我々の側からは、そのために生きたいと思い、またそのために死ぬ準備ができていることがある。我々が逸れることのできないことだ。」彼は語る。「我々を脅すことはできない。我々は悪いことをやっている。我々はすでに最低水準に沈んでいる。(それは我々の)権利についてだ。それは我々がいかに生き延びるかについてだ。そして誰も我々のためにそうしてはくれない。誰もそうしてはくれないのだ。」
 

聖人ではない

カガメに会うことは、彼を独裁君主として考えるかもしれないことがいかに簡単かを思い出させることだ。彼は背が高く、痩せこけ、几帳面だ。彼の英語は強いフランス語なまりがかかっている。彼の自然な顔つきは、口元が下がり、目が細い。以前に3回あっていることから、私は彼が不条理に厳しい耳を持った討論者だと知っているが、最初の印象は白刃だ。彼についての報道のいくらかはやりすぎかもしれないが、彼を聖人として書くためにそこにいるわけではないと言って、私がそのインタヴューを始めた時、彼は答えた。「私はそうなってほしいとも思っていない。それは私が想定していることについて何もしないことを意味するだろう。我々は、我々が必要なことをしている。もしそうでなければ、我々は今日ここにいないだろう。」

カガメの人生は、彼の国のそれのように、生き残りの物語だ。彼は1957年に南部ルワンダのタンブウェと呼ばれる丘のふもとの町に生まれた。彼の家族は、ルワンダのベルギー人の主人により多数派のフツ族よりも政治的に好まれた少数派のツチ族だった。独立運動がアフリカを押し流し、ルワンダではフツ族が暴力的に彼らの権力を主張し始めた。1959年に、暴徒が多数のツチを虐殺した。カガメの家族は脱出し、ベルギー人がフツ族政権に権力を渡した1962年にウガンダ南西部のカフンゲ難民キャンプに住んだ。カガメは少年時代に両親になぜ彼が家を持っていないのかと訊ねたたことを覚えている。「私は、彼らが何かをすべきだったと考えた。」彼は語る。彼の両親は彼に大虐殺について語り、反乱の種がまかれた。「我々若者が組織について考えたのは、そのようなことに基づいてのことだ。たとえそれが戦いを意味しても、我々はそれをしただろう。」

カガメの最高の友人は、フレッド・ルウィゲマだった。成功した革命家は経験を持っていた、と彼らは決めた。1980年に、22歳のカガメとルウィゲマは、当時の大統領ミルトン・オボテに野蛮な体制に反対するヨウェリ・ムセヴェニのゲリラ軍のもともとの27人の新兵の中にいた。6年間の藪の中の戦いの後で、そして大きく成長した軍とともに、ムセヴェニはウガンダの首都カンパラを落とし、カガメとルウィゲマも彼とともにいた。内向的なカガメはムセヴェニの軍諜報部長になった。外向的なルウィゲマは防衛副大臣に任命された。日中は、彼らが国を守った。夜間は、彼らはルワンダでの革命の筋を練った。

ティト・ルタレメラは、その3人の男たちがルワンダ愛国戦線(RPF)を結成した直後の1987年にカンパラでカガメとルウィゲマにあった。今では恰幅の良いグレーヘアーのルワンダ議会の議員であるルタレメラは、当時はロンドンにいるぼさぼさ頭の反体制派だった。彼がカンパラを訪れた時、その3人は反乱を議論しただろう。ルタレメラは、かつての闘争から学ぶべき教訓があると論じた。海外の支援は隷従になりうる。西側のイデオロギーは革命を硬直させ排他的にする。そして、腐敗、派閥主義、権威主義を避けるために強い自己批判が必要になる、というものだ。RPFは、独立独歩で、(戦士、文民、フツ、ツチを同じように組み込んだ)包括的、そして意図して民主的にならなければならない、とその3人の男たちは結論付けた。とりわけ、それは西側の考えを卑屈な態度で輸入すべきではない。「すべてが脈絡だ。」カガメは語る。100年前にアメリカで起こったことは、今起こっていることではない。そこで起こったのと同じことがここで起こると期待はできない。」

ひとたびルワンダで立ち上がると、彼らの革命はそれが始まるとすぐにほとんど終わった。1990年の初めに、カンザス州のレヴンワース要塞での数か月の軍事訓練という合衆国の申し出を受け入れた。性急なルウィゲマは彼の友人を待たないことを決めた。10月1日に、彼は2,000人の男たちを率いてウガンダからルワンダに国境を越えた。彼は数時間で殺された。カガメが数日後に北ルワンダでRPFに追いついた時、それはバラバラだった。悲しみを飲み込み、彼はその軍隊をマウンテンゴリラの故郷であるヴィルンガ火山帯まで登らせ、食料と弾薬を調達し、規律を反復して兵卒に叩き込んだ。「彼はその闘争を救うのに正しいときに正しい人間だった。」ルタレメラは語る。

1991年までに、作り直されたRPFは領域を広げていた。1992年までに、1,000人のフランス落下傘部隊に助けられた国軍をほぼキガリまで押し戻した。1994年の4月までに和平交渉が進んでいた。しかし、4月6日に、どちらもフツ族であるルワンダとブルンジの大統領を乗せた飛行機がキガリで撃墜された。誰がとどめのミサイルを発射したかの議論は今でも続いている。しかし、その二重の暗殺は、フツ族の政府の兵士とそれと同盟する民兵(インテラハムウェ)がその大惨事を始めるシグナルとして作用した。それは、すぐに明らかになったが、何か月にもわたって準備されたものだった。

約80万人の、ツチ族と彼らに同情的だと疑われたフツ族が100日間で亡くなった。誰も正確な数についてはわからない。今でさえも、ルワンダでのその大虐殺の場所を示す看板は「+/-5,000人が亡くなった」と示してある。よくあるジェノシデールの戦術は、ツチ族を教会に隠れ家をもとめさせ、窓から手榴弾を投げさせ、それからなたを持って座席を何とか切り抜けるよう促すことだった。カガメはしばらくしてその大虐殺の場所を訪れるのをやめた。「彼はその判断が影響されるのを避けたかったのだ。」ルタレメラは語る。「もしこれらの何千もの死体を見れば、復讐についてしか考えることができないだろう。」

7月半ばまでに、カガメはその国を取り、ジェノシデールを東コンゴに押しやった。2007年に、カガメは彼が依然として彼の見たものと戦っていると語った。「父親たちが実の子を殺していた。ツチ族であるその妻に似ていたからだ。」彼は語った。「どうやってこれを説明できるのだ?」ヒューマン・ライツ・ウォッチはRPFが2.5万人の文民を殺して自身の報復を実行したとのちに主張するだろう。本当の物語はRPFがどれだけの人を殺さなかったかというところにある、とカガメは語る。「我々は、我々自身の間にある極度の怒りと戦わなければならなかった。あまりに多くがその家族を失い、彼らはその手に銃を持っていた。村全体が消え去りえた。しかし、我々はそれを許さなかった。」

世界がジェノサイドに介入できないのを見た後で、カガメはそれから、世界最大の平和維持軍が展開しているにもかかわらず、彼らの責任を問うのも無視する一方で、それが隣国コンゴでその殺し屋たちを援助で窒息させているのを見た。

カガメの反応は、アフリカは自身の運命を決めるべきだという断固とした信念で、それは今でもそうである。彼の目標は、ルワンダへの、そして究極的にはアフリカへの本当の主権と真の自由だ。彼は、アフリカでの西側の権威の仮定と、西側が幾分権利・政治・経済・そして人的競争力についてよく把握しているという、それを補強する概念を拒絶する。それは、10年で彼の国が援助から離れるだろうと彼が予測する、援助を潔しとせず、事業経済の促進を宣言する姿勢だ。外部者に助けられた一方でルワンダによって設計され運営される積極的な社会的改善、それから敵がどこにいようともそれを追いかけるルワンダの権利を留保する外交政策だ。

しかし、彼が独立した行動のためのアフリカの必要であると納得させられるのと同じくらい、我々の最初の面会で42分間続いた逐一の反駁で彼が言った、コンゴでの反乱の支援とそこでの戦争を加熱したことについては、無罪ではない。彼の批判者は、彼が嘘をついているという。その契約が彼の話を録音することを禁じる、国連の高官は、カガメ氏の骨身を惜しまない反応に欺かれてはいけない、という。ルワンダの長期的計画は、東コンゴで混乱を扇動し、平和調停者として介入するよう頼まれることだ、と彼は語る。その時点で、カガメは、商業的安全保障的な理由で支配することを計画している、自治的な東コンゴを論ずるだろう。もし最近の再発が何かを示すのならば、それはその計画が機能していることだ、と彼は加える。
 

ルワンダの傀儡?

カガメに会う前に、彼が支持していると非難される反乱を見るために、東コンゴを旅した。私は、ルワンダの支援の証拠を見つけようとし、援助関係者が報告している人道的災害を見たかった。

歴史を通してそうであるように、東コンゴの人口は民族の流動的なモザイクだ。それは多数の異なったコンゴの部族とルワンダ人系のフツやツチを含んでいる。多くの集団が関係している。同じように多くが敵だ。多数のフツジェノシデールとその家族が1994年に逃げ込んだのは、この流動的な混合の中だった。逃亡者に家と食料を与える外国援助活動は、インテラハムウェの生命線で、間もなく彼らはコンゴのルワンダ系の村と国境を越えたルワンダ側のルワンダ軍駐屯地を攻撃した。

その反応で、ルワンダはコンゴに2度侵入した。「我々は武装人員輸送者と対空砲をキャンプで見つけた。」カガメは語る。「そして彼らは我々にこれらは単なる難民だと言った。」何年もの戦いが続き、何百万人もの命を費やし、いくつものほかのアフリカ諸国を引き込んだ。これらのほとんどは2003年に引き揚げたが、無秩序は残った。現在、コンゴの大統領ジョセフ・カビラは東をほとんど何も支配していない。もしそれが少しでも支配されているのならば、それは民族的忠誠と商業的関心が野蛮な犯罪性とまじりあった敵対する民兵たちの塊によってだ。

最強のものの一つは、ツチ族が支配的なCNDP(人民防衛国民会議)だ。2008と09年にCNDPは反乱を計画し、一連の東部の町を落とし、ゴマをとるように見えた。ルワンダ軍は、コンゴの許可を得てコンゴ領内に入り、CNDPの指導者ローラン・ンクンダを捕らえ、彼に替わったボスコ・ンタガンダを説得してCNDPをコンゴの国軍に統合することによってその危機を終わらせた。

その取引は続かなかった。ンタガンダとCNDPは、今2度目の反乱を計画している。今回、彼らはその運動を、破棄状態になっていることを殻らが非難しているキンシャサとの統合協定の日付である2009年3月23日にちなんで、M23と名付けている。その暴徒たちは、2009年にしたのと同じように東部の町を落としている。多くの観察者にとって、ルワンダの痕跡は反乱中にある。「彼ら(ルワンダ)は本来的な不安定状態を作っている。」コンゴの平和維持軍MONUSCOの長のロジャー・ミースは語る。「子供や強制新兵を使った即決死刑を含んだ、もっとも言語道断な人権記録を持っているたくさんのM23の指導者」を通してだ。

ルワンダからコンゴへ国境を渡った時、新しいアフリカから古いアフリカへの境界を横切った。平穏な道路、ショッピングモール、そして交通警察は、泥道、草の屋根のハット、そして木製の自転車が、ゴリラやピグミーの住む煙を噴き上げる火山やジャングルの中にある世界に変わる。コンゴはほかの点でも変わっていない。それは、ジョセフ・コンラッドの時代と同じように、今でもアフリカの血なまぐさい暗さの多くの素のままである。

次の3日間、M23の領域を走り回り、反乱軍や村人にインタヴューした。コンゴ軍の弾薬トラックのこげた骨組みから大砲によって破壊された村のハットまで戦いの兆候はそこらじゅうにあった。ある夜、キャッサヴァと野菜の料理を買った道路わきの食べ物屋台の隣で撃ち合いが起こった。一人の男が殺され、彼の死体は路上に捨てられた。泥棒だ、と言われた。

しかし、たった一つの赤十字のチームを除いて、外国のNGOからも、私の見るところ、多くの援助関係者自身からも、惨事の兆候はほとんど発表されていない。飢えた難民の代わりに、熟れたソルガム、メイズ、ジャガイモの青々とした畑や、コーヒーやバナナの大きなプランテーションを見つけた。戦いのそばの村人たちは、その家族が依然として日中畑で働いていると言う。夜間には彼らは安全な距離にある一時的キャンプで眠る。国連を頼って難民を調べる。彼らは、戦いによりコンゴ国内で1.5万人が立ち退かされ、さらに3.8万人がルワンダかウガンダに押し出された。ゴマでの記者会見と同じ日に、オックスファムのコンゴ部長エロディ・マーテルは、4月以来50万人が立ち退かされ、「東部の広い地域が政府や治安の存在しない混沌に見舞われている」と語る。あるオックスファムのツイッターメッセージはのちに、200万人以上の人々がコンゴで立ち退かされていると主張する。

たぶん、ンタガンダへの国際刑事裁判所の彼が2002年と03年に子供兵士を使ったと主張する告発を心に留めて、私のあったM23の将校は、幾分納得のいかない方法で、彼のことをほとんど聞かないと主張する。彼らはまた、地元の悲しみの長いリストを展開する。コンゴ国家は無能で腐敗している。それは繰り返し彼らにカネを払い損ねる。コンゴ軍の将軍は兵士たちを民間事業の支配権を握るための執行者として使う。CNDPの将校は低い兵卒に統合されている。そしてキンシャサは依然として彼らを殺そうとしている。多数のCNDPの兵士が、反乱がまだ聞かれていないうちから東コンゴに再展開された。数人のM23の大佐とともにチキンの昼食とソルガムビールをとりながら、最近の離反者のエミーユ・シャバニ大将は主張する。「兵士たちが前線で死ぬ時、国軍は彼らを埋めることすらしない。彼らはその家族に教えることすらもしない。それはどんな軍隊なのだ?それは道義心のない政府だ。」

だからルワンダはM23を支援しているのか?その兵士はそれを否定する。しかし、その地域に住む村人は主張する。合衆国、EU、そしてMONUSCOの高官もそうだ。「我々はルワンダがM23を最高レヴェルで支援していると完全に確信している。」と後にカンパラであったある西側の外交官は語る。MONUSCOのミースは、「我々はM23についてかなり良い知識を持っている。彼らは中央(コンゴ)指令部の権威を一度も受け入れていないツチ族だ。」ヒューマン・ライツ・ウォッチの事務局長ケネス・ロスは、カガメが関与を否定したことを「注目すべき」と呼ぶ。「誰も彼を信じていないと彼は認識しているのだろうか?そこに地元の不満はあるのか?確かに。しかしそれは要点を外している。主要論点は、ルワンダが戦争犯罪の罪で指名手配されている男に率いられた紛争を加熱しているということだ。」

ルワンダの支援の証拠を見つけたが、それはどれも断定的なものではない。尋ねられれば、村人はルワンダ人はそのなまりでわかるという。西側の外交官とミースはどちらも、M23と戦ったコンゴの将校との会話に基づいて、似たようなことを報告している。流動的な民族の地域では、ふと耳にした会話と外国なまりは、決定的な証拠にははるかに届かない。しかし、それだけが言われているたった一つの証拠ではない。それほど速く進むためには、M23は外部の助けを持たなければならない、と村人は言う。外交官は、4月に弱々しく始まった後に、どれほどM23が突然強くなったかに焦点を当てる。彼らは異なった戦術と武器制度を持っていた。」その西側外交官は語る。「彼らは空中破裂爆弾を持っていた。」

9月11日に、長々しい報道発表の中でヒューマン・ライツ・ウォッチが言ったのは、190人の証人とのインタヴューに基づいて、子供兵の強制徴兵、逃げようとしたM23の新兵の即時死刑、少なくとも15人の民間人の殺害と13人の子供のレイプを含んだ多くの戦争犯罪で、それがM23を告発したということだ。彼らは、ルワンダ軍がM23を支援しており、何人かのルワンダ人将校を戦争犯罪の共犯にしている、という彼らの主張を繰り返す。しかし、いかにその反乱軍がルワンダによって支援されているかの詳細な説明は、6月にそのような非道の原因となった国連の専門家グループの報告のままだ。80の個人から選り抜かれた48ページの証言の中で、それは、ルワンダ領域を通ったM23軍の動き、M23のために戦うルワンダ国内でのルワンダ人の新兵募集、M23への武器と制服の供給、そしてコンゴ領内へのルワンダ軍の展開を描く。その報告は、ルワンダが支給した弾薬や戦場で見つかった制服の写真を含む。そのグループは、それが「上級(ルワンダ人)将校が、武器、軍需品、そして新兵を供給することを通して反乱軍を支えている圧倒的な証拠だ。」ということを意味すると語る。その証拠はおびただしいが、私の目では、それは依然としてすべて状況証拠だ。動かぬ証拠はない。おそらく、コンゴでのルワンダ人兵士の写真、または名前のある士官中のルワンダ人将校からの告白だ。証拠のほとんどは匿名のM23の逃亡兵からだ。ルワンダの反応に与えられた空間は、最小で、公的な声明にほとんどが頼っている。

私は、ルワンダ人が紛争についての彼らの代わりの説明を示すキガリへ戻る。ルワンダ人は、実はM23のために戦っている、と彼らは言う。M23はルワンダから人員や武器を供給されている。ただ、ルワンダの国家からではない。「ルワンダからの装備?ルワンダからの人々?」ルワンダの防衛大臣ジェームス・カバレベは尋ねる。それはありうる。これらの人々は、ルワンダの難民キャンプに友人や家族を持っている。M23はキャンプに行き、新兵を募集する。我々はコンゴ人にこれを伝えている。我々は人々がキャンプで募兵しないようにしている。」彼のオフィスでの二度目の面会でカガメは付け加えた。「これは軍対軍の関係ではない。その血のつながりだ。それを取り締まる方法はない。」

カバレベとカガメは、コンゴを安定させる役に立ちたいだけだと主張する。彼らはコンゴの将校との会議や彼らとM23の間の仲介をする試みについて徹底的に説明する。コンゴ人は、繰り返し、ルワンダが介入し、ンタガンダを捕らえ反乱を終わらせるという2009年の再来を頼んでいる、と彼らは言う。しかし、介入のさらなる申し立てを惹き起こすことに慎重で、ルワンダは難色を示した。代わりにそれはキンシャサに助言した。交渉だ。紛争を避けることだ。M23の不平を解決することだ。さもなければ暴動はエスカレートするだろう。
 

背いた

カガメにとって、ルワンダがM23を支援しているかという議論は、侮辱だ。はるかに大きな問題は、巨大な資源と8,000万の人々を持ったコンゴがなぜそのような混乱にあるのか、だ、と彼は語る。なぜ、特に、それほどに素早く彼を非難する世界が、地球上でもっとも長く続く災害の一つを、直すことは言うまでもなく、いかなる影響を及ぼすのにもそれほど遅いのか?その援助グループたちはそこに何十年もいる。国連は、殺人、レイプ、子供兵の募集、そして金、コルタン、ダイヤモンド、そしてスズ石の民兵が管理した貿易といったその国の遺産について終わりなき報告を書いている。国連は、のちにMONUSCOになるMONUCを2000年に立ち上げ、今では、それは55か国からの1.9万人以上の制服を着た人々に年14.9億ドルを費やしている。だが、このすべての努力と犠牲にもかかわらず、「我々はどこにいるのだ?10年たって、どうやってあなた方はコンゴの問題にへこみひとつすらつけることができないのか?」カガメは尋ねる。

コンゴは、カガメの西側についての議論を例証する。西側は、アフリカを、無能で助けを必要としている、カガメが言うところの、「アフリカを、体調を整えられなければならない人々としてみる古い姿勢」で見る。現実は、アフリカがますます自分自身の世話をし始めている一方で、国際社会がしばしばアフリカでしくじっているのだ。

そして実は、その大陸は現在では、かつてないほどより民主的で、援助に頼っておらず、景気後退に襲われた西側をそれほど畏れていない。アフリカの経済成長は、過去10年間で5%を下回ったのはたった1回だけだ。(対照的に、合衆国が最後に5%の経済成長を見たのは2006年で、それはその世界最大の経済にとって以上によい年だった。アフリカ連合軍は、世界最悪の失敗国家ソマリアで政府を回復しており、その前に西側は同じことをするのに21年間失敗してきた。しかし、アフリカからの災害だけを予期して構造ができている世界共同体は、この興隆するアフリカを認め損ねている。1,000万人のルワンダ人がその自由と選択を増やす所得の増加を経験しているときに、ルワンダのイメージは、その権限がただ悪いところを指摘するだけであるヒューマン・ライツ・ウォッチという外国機関からの報道発表によってしばしば定義づけられる。「これは少し不公平ではないか?」カガメは尋ねる。さらに、それは実際には反論だが、彼が言うには、「もし本当に自由について語るのならば、なぜ私の言うことを聞かないのか?あなたは、私を非難するのに同じ反則を犯していないか?」それは驚くべき方向からの同情を惹きつける点だ。「もし彼が世界が不公平だと言っているのならば、そうだ、それは正しい。」ヒューマン・ライツ・ウォッチのロスは語る。「我々は、(ジョージ・W・ブッシュ大統領の)拷問の使用のために合衆国に圧力をかけようとし、それは厳しかった。ルワンダは合衆国ほど強力ではない。そして、そうだ、より圧力を受けやすい。」

妻のジャネットと4人の子供たちと一緒の家での昼食で、カガメは、いかに西側の二重基準への怒りがアフリカで広がっているかを詳しく述べた。新しいアフリカは、西側の自由民主主義やましてアジアの集権国家のコピーの集まりではなく、何かアフリカ独特のものであるという増大する合意を力づけているのは、そのアフリカの主張の精神だ。アフリカの部族により合った、流動的な国境を持ったかなり発展した国々の集団だ。それはまた、4,000人強のアフリカ兵による軍隊が東コンゴに駐留するという提案を駆り立てている。その提案は、私がカガメについていった、8月のカンパラでの11か国による大湖地域国際会議(ICGLR)で議題に上った。会議に出ることになっているのは、カガメと不和の西側の高官の多くだ。
 

アフリカ連合

カンパラでの首脳会談で、コンゴのためのアフリカ軍の考えは西側外交官からの嘲笑を惹き起こした。「誰がそれにカネを払うのだ?」一人が言う。「それはどれほど効果的なのか?」MONUSCOのミースはより如才がない。「我々はできるだけICGLRの助けになりたいと思っている。」しかし、ミースは要点を外している。提案されたICGLR軍は、MONUSCOを補完したりその保護下で動くのではなく、特にそれにとってかわることを狙っているのだ。今こそ西側がそのコンゴでの失敗を認め、アフリカにその問題に取り組ませるために脇によるべき時だとカガメは信じている。「これは世界を運営すべき何らかのやり方なのか?」彼はコンゴでの状況を参照して訪ねる。

カガメの見方は、その首脳会談で仲間のアフリカの指導者たちから暖かく歓迎される。彼だけがコンゴでの西側の努力に軽蔑を表している地域指導者だというわけではない。国連とともに働くことについての調査への答えで、ウガンダ大統領のムセヴェニは不快な笑い声で不意にさえぎった。「彼らの休日を邪魔しないでやってくれ。」

私は話し合いの休憩時間に、そのホテルの部屋でカガメに最後に会った。彼は喜んだように見える。「物事を行う古いやり方は弱まっている。国際社会はいつでもただここにパラシュートで降下し、理解もしていないことに手出しをしてきた。今、少なくとも原理的には、人々は彼らがすべきことに責任を持っている。」今までのカガメと同じように、より多くの戦いがやってくる感覚がある。その考えは、彼を疲れさせない。「私は、私の人生がこれに本当に準備できていると考える。」彼は語る。「私は決して問題から逃げたいと感じたことはない。私はただ起き上がり、それに向かって進むだけだ。」

それは典型的なカガメだ。それはまた、なぜ彼がしばしば専制君主だととられるのかを思い出させるものでもある。実用主義の価格は道義であり、カガメは容易にご都合主義を告白する。彼はインタヴューの前の方で、ルワンダでは政治的自由が認められている、と言った。ただし、誰かがジェノサイドを計画しているという可能性がほんの少しもなければだ。それが、「彼らが、我々のことをとても親切ではないと思っている」点だ。電子メールのインタヴューで、トニー・ブレアは、そのような鉄の表現を示すことは、誤解されるべきではないと語る。「私は、人々が彼を悪くすると考える。」彼は書く。「私がカガメ大統領に見ることは、権威主義的な過去へのいくらかの先祖がえりではなく、新しいアフリカへのこのせっかちさだ。」

もしカガメの考えが、古いアフリカを埋め、新しいものをつくり、自由で平等なものとして作りなおすための戦いならば、彼への判断はまた、その目がアフリカの過去か未来のどちらに向けて作られているのかにおりてくる。カガメは新旧アフリカをまたいでいる。彼はアフリカの血なまぐさい過去によって作られていた。少年時代に、そして反乱軍として、彼は繰り返し意図的な人間の破壊を見た。これらの経験は、人々について、そしていかにして人的被害がありうる世界を生き延びるかについてのいくらかの暗い結論を刺激した。彼らはまた、アフリカのより良い未来を作るための比類なき決心を授けた。そして誰もそれを彼のためにはしない。
 

発行日: 
2012-09-24
雑誌名: 
記事区分: 
主地域: 
主カテゴリー: 
キーワード: 
0
まだ投票はありません

コメント

コメントを追加