絵画

マウスとマネの - アートと動物王国

9月
12

絵画のネズミによる評価

いやしいマウスは科学の勇猛な馬車馬だ。毎日、世界中の研究所で、その小さな生物は、すべて科学の名のもとに、電気ショックからがんの誘導まで、すべてのやり方の注意深く管理された侮辱に従っている。しかし、日本の慶応大学の渡辺茂の研究室では、マウスはほとんどのものよりも楽しい生活を送っている。渡辺博士にとって、その関心は体ではなく心の中にあるのだ。特に、彼は美術の好みについて探っている。

今月のパブリック・ライブラリー・オブ・サイエンス誌に掲載された論文で彼が描くように、渡辺博士は、彼のマウスがある画家への好みを持っているかどうかを見ることに興味を持った。彼はそれらを一度に1匹だけ部屋に入れ、異なった画家による絵画のペアをそれぞれに見せた。科学は(まだ)マウスの心を読む方法を持っていないので、彼はその動物がどれだけその動物がどちらかの絵のそばにとどまったかを測った。彼のマウスは、ロシアの抽象画家ワシリー・カンディンスキーによる絵画と、原色で満たされた黒い網目状の線の単純な構成で有名なオランダ人アーティストピエト・モンドリアンによるものの間には、特別の好みを表さなかった。フランスの印象派画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと、キュビズムのスペイン人の父パブロ・ピカソによる絵にも似たような無差別があらわれた。

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壁の飴 - ウォルポールの名画

7月
14

エカチェリーナ2世によって飛びつかれた伝説的な英国芸術蒐集が、250年後に戻ってくるが、ほんの数か月間だ

1742年、英国の初代、そして最も長く仕えた首相である、ロバート・ウォルポール卿はついに退職した。20年以上にわたって、ウォルポールは大蔵大臣として得たその巨額の富を使って、ヨーロッパの偉大な民間蒐集品と競り合う美術と芸術の蒐集品を作り出した。

ノーフォークのホートンにある彼の父親の家の跡地に建てたパラディオン邸宅に、ウォルポールは、ダウニング通り10番地を含んだ彼の様々なロンドンの家を飾った絵画をまとめた。ルーベンス、レンブラント、そしてヴェラスケスによる肖像画が、当時もっとも流行の建築家だったウィリアム・ケントによって設計された内装の中に、パオロ・ヴェロネーゼによる名画に並んでつるされている。3年間、ウォルポールはこの栄華にふけり、彼の支出についてのどんな書類仕事も破壊した。

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誘惑の名人 - ティツィアーノ

8月
12
ヴェネツィア・ルネサンスのもっとも偉大な画家:(書評)Titian: His Life by Sheila Hale
 
シェークスピアが作家の中で目立っているように、ティツィアーノはその仲間の中で目立っており、シーラ・ヘイルの信ずべきそして読みやすい本は、彼女の主題の価値以上のものがある。
 
ティツィアーノは、風景、肖像画、そして性的覚醒の自然の世界を描いた。彼は宗教の力を否定せず、そして彼は記憶に残り感動させる祭壇画を描いた。しかし、彼のもっともよい作品は人生から描かれたものであり、豪華な公爵、腐敗した教皇、強力な皇帝の虚栄と欲望を満足させるために作られた。それは感覚を研ぎ澄ませ、喜びを与える。
 
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平山郁夫と文化財保護

3月
05

国立博物館での平山郁夫と文化財保護の展覧会を見てきた。純粋にアートという側面で見るのならば、それほど見るところはない展示だったといえるだろう。いくつかいいものはあったとはいえ、基本的にいろんな地域からそれなりのものを集めたものなので、一番の名品が集まっているわけではない。焦点もぼやけ気味で、散漫な印象は否めないだろう。平山郁夫の絵にしても、アートという観点からどのように評価してよいのかは私には良くわからない。そして個人的な嗜好としてどうも宗教芸術は好みではないという点もこの評価に結びついていることは否定できない。しかしながら、この展覧会の本質がアートを見ることではなく、平山郁夫という人間の生き方、考え方、行動というものを考えるということだとすると、とてもよい展覧会だったといえる。平山郁夫という人間は、画家でも思想家でもなく、行動者だったのだと思う。自分の経験に基づいて自分で考え自分で行動した、そしてそう生き抜いた人間なのだと思う。そういう生き方には本当に敬意を表したい。そしてその人生の集大成ともいえる大唐西域壁画は、芸術的評価は脇においても見る価値があるものだろう。いろいろ考えさせられたよい展覧会だった。

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