ユネスコ

もう日は登らない - 富士山を見る

1月
08

首都で最後に道から富士山を見ることができるところは、見えなくなりそうだ

2013年の元旦の夜明けに、100キロ離れた富士山の雪をかぶった頂は、二つのあまり特徴のないアパートの区画の間からのぞいていた。住民たちは、南西にその国の象徴を眺めるために、何十年もの間、富士見坂と呼ばれる東京の下町のこの道に来ている。「見える間はそれを楽しみなさい。」ただれ目の早起きの人たちの小さな塊に86歳の地元の店主金子誠は大声を上げた。「来年の今日にはここにはないよ。」

金子さんは、アメリカの爆撃機がそこを廃墟にした後の1945年の3月にこの近所をてくてく歩いた。戦後日本を記録しているアメリカ人のドナルド・リッチーは、二人の19世紀の画家である北斎と広重による二つの版画集で不滅にされた展望である、その平らになった町中からの富士山の完全な円錐形の眺めに驚いた。しかし、戦後の再建によりほとんどすべての道からの眺めは見えなくなった。

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それは残念だ - 赤道ギニアとユネスコ

7月
31

ユネスコは悪口を言われる独裁者に提供された賞を与える

赤道ギニアの独裁者テオドロ・オビアング・ングエマは、本人は授賞式に出席しなかったが、彼が提供する科学調査へのユネスコの賞が、ついに手渡された。7月17日に、メキシコ、エジプト、南アフリカからの3人の科学者が、彼の金庫からそれぞれ10万ドルを受け取った。生命科学研究のためのユネスコ赤道ギニア国際賞は、もともと計画されたようには、もはや彼の名前を冠していない。しかし、国連の文化科学機関がその賞を進めるという決定に対しての怒りを抑えるのにはほとんど役に立っていない。

ユネスコは、2008年に最初300万ドルの賞を提案された。赤道ギニアの活動家と国際的人権団体からの圧力の下で、その役人たちは辞退した。しかし、今年の3月、ユネスコの理事会はそれを受け入れることを可決した。

その賞は強烈な困惑を惹き起こしている。ユネスコのブルガリア人の事務局長イリナ・ボコヴァは、その問題についてほとんど選択肢はなかった。その機関の構造では、彼女はその理事会の決定を実行することを強いられる、と彼女は語る。彼女は授賞式にも出席しなかった。しかし、その委員会で大きな投票ブロックを形成しているすべてのアフリカ諸国は、結束の感覚から、彼らの有毒な隣人の後ろで団結した。

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聖戦士たちの恐ろしい新たな前線 - マリでの文化的攻撃

7月
19

過激派イスラム教徒はその地域と古いアフリカの遺産を脅かしている

木の板に三日月形の金属枠があしらわれたトンブクトゥのシディヤヤモスクの主要な門はこの世が終わる時にだけ開くという伝説があった。暗喩的な意味で、北部マリの古代からの貿易拠点を今支配しているアル=カーイダに明らかにつながったイスラム民兵が、今その町に攻撃を浴びせているということだ。7月2日から、彼らは、住民を恐れを伴って仰天させた宗教的熱意に触発された街全体での文化的蛮行の一部として、「その謎を破壊するために」つるはしとショヴェルで古い入り口を叩き壊している。他に破壊されたものは、8つの霊廟と多数の聖者の墓がある。さらなる破壊が恐れられている。

「みんながイスラム主義に怒り狂っている。」幸福な時代のツアーガイド、アサーヌ・トラオレは語る。「それはまるで、彼らが我々の体の一部を叩き切っているようなものだ。」住民の中には、トラオレ氏が言うところの「ひげもじゃの奴ら」に対してデモをしたいというものもいるが、多くは恐れている。その全盛期にトンブクトゥは、金、象牙、塩、奴隷の、サハラをまたいだ交易からの税金で豊かになった、学びの中心だった。さまようスーフィの神秘主義がイスラム以前の信仰と融合した時、それは「333人の聖人の町」として知られるようになった。

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