起業家的国家

ある新刊が、政府が革新的な事業を生み出すのに果たしている大きな役割を指摘する

アップルは一般的に、革新的事業について最高のものすべての具現化としてみなされる。それはガレージで始まった。何年間も、それはマイクロソフトのもっさりしたゴリアテに対するかっこいいダヴィデを演じた。それからそれは、コンピューターから携帯端末へその焦点を移すことによって、自身を、そして娯楽産業全体を崩壊させた。しかし、この物語からは何か省かれたものがある、と、イングランドのサセックス大学のマリアナ・マズカートはその著書「The Entrepreneurial State」の中で論ずる。スティーヴ・ジョブズは、技術とデザインの両方を理解した、疑いもない天才だった。アップルは疑いもなく巧妙な革新者だった。しかし、アップルの成功は、現在の消費者向け電化商品革命の認められない支えである、国家の積極的役割なしには不可能だっただろう。

スマートな部分をアップルのスマートフォンに組み入れた技術を考えてみる。軍隊は、インターネット、GPS位置情報、そして声によって動く「仮想助手」を開拓した。彼らはまた、シリコンヴァレーへの初期資金の多くを提供した。公的資金を受けた大学と研究所の科学者たちは、タッチスクリーンとHTML言語を開発した。陰に隠れた政府機関は、アップルが公開する前に50万ドルを貸しさえした。マズカート女史は、そんなにも多くの公的資金に負っている会社が、海外に資金を移転したりアイルランドのような低税率の司法管轄に知的財産権を割り当てたりして税負担を減らすようそれほどまでにエネルギーを費やすのは、道理のパロディだと考えた。

同じように、グーグルの富の源泉である検索アルゴリズムを作りだした研究は、国立科学財団からの贈与によって資金提供を受けた。製薬会社について言えば、彼らはインターネットや電器会社よりもさらに大きな国家的研究の受益者だ。年間予算300億ドル以上を持ったアメリカの国立衛生研究所は、最も革命的な新薬の多くにつながる研究に資金提供する。

経済学者は長い間、革新促進に果たす国家の役割を認識してきた。それは、研究のような公共財に直接投資することによって、または事業がその方向に向かうよう促すよう税制を使うことによって、市場の失敗をただすことができる。しかし、マズカート女史は、起業家的国家は、単に民間部門の短所を埋め合わせる以上にはるかに多くのことをしている、と論ずる。飛行機やインターネットのような新技術に大きく賭けることによって、それは未来の市場を作りだし、形成するのだ。一番良くて、国家は、アップルのような民間企業に強い追い風を供給する創造的破壊の突風を作り出す、究極的なシュンペーター的な革新者に他ならないのだ。

マズカート女史は、最も成功した起業家的国家は、もっともありそうもない場所で見つけることができると語る。合衆国だ。アメリカ人は、伝統的に(最も少ない統治をするものがもっともよい統治をする、と考える)ジェファーソン主義と(活発な政府を好む)ハミルトン主義との間で別れている。その国の成功の秘密は、ジェファーソン主義者のように話しながら、ハミルトン主義者のように行動することだ、と彼女は考える。彼らの修辞が何であれ、(鉄道の大物に無料の土地を与えることによって)鉄道のような既存技術の広がりを促進したり、(基礎研究のほぼ60%を資金提供することによって)潜在的に儲かる科学的突破を探ったりすることによって、政府はいつでも大きく投資している。

いまのところとてもよい。しかしながら、マズカート女史は、起業家的国家を志望する国がどれほどしばしば最後には金を底なしの穴につぎ込むかを認めることを省く。世界は債務以外に何も生み出さないシリコンヴァレーのまがい物で散らかっている。そうだ、民間部門もまた頻繁に失敗する。しかし、その投資家たちはいつとめるかを知っている。彼ら自身の金が無くなった時だ。政府は納税者の金を投げ捨て続けることができる。強い通産省の中にいる啓蒙された思想家によって世界支配のために導かれた起業家的国家として日本をほめたたえることは、かつては流行だった。最近、省庁が革新と起業家精神を抑制する過去の亡霊だということはよりはっきりしている。

マズカート女史は、民間事業があまりに近視眼的だと嘆く。しかし、政府もまた、長期的な見返りよりも、短期的な政治的計算のもとで繰り返し投資を行う。彼女は、反国家主義的イデオロギーが、未来への重要な投資を行う国の能力を減じている、と心配する。実際、国の所得のうちさらに多くを高齢者に割り当てる社会福祉支出の拡大は、ティーパーティーよりも大きく起業家的国家を侵食している。彼女はまた、このすべての異なった国の資金を受けた技術を一緒にして、ユーザーが使いやすいiPadやiPhoneにすることには、ほとんど褒賞に値しない少しの才能しか必要としないとして、事業にあまりに厳しく当たっている。

その本は、なぜ起業家として性交する国もあればそうでない国もあるのかという中心的な実際的な質問に対して、完全な答えと言うよりも、ほんのヒントしか提供しない。成功した国家は競争に取りつかれている。それらは、研究費獲得のために科学者を競争させ、企業資金のために事業を競争させ、そして決定を政治家や官僚ではなく専門家に任せている。それらはまた、大学から営利企業まで革新の網を育て、自身の役割を最小限にとどめている。ジェファーソン主義-ハミルトン主義のパラドックスはここで重要なのだ。政府が強い「起業家的国家」の点で考えれば考えるほど、それらはそれほど成功しないのだ。
 

いかに費やさないか

ちょっとした不平は脇に置いて、マズカート女史は、国家がゲームを変えるような突破を生み出すことで中心的な役割を演じ、技術的企業へのその貢献を過小評価されるべきではないと、正しく論じている。彼女はまた、(ギリシャやイタリアのような)現在の危機で最も苦しんでいる「金使いの荒い」国々が、研究開発や教育に最も少ししか費やしていない、と正しく指摘している。なぜ政策立案者が国家を現代化し、社会福祉を管理下に置かなければならないかについて、多くの理由がある。しかし、最も重要なものの一つは、良く運営された国家が、成功した革新制度の重要な部分だということだ。
 

発行日: 
2013-08-31
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