あなたも満州人? - 満州語の最後

 

100年がたち、ほんの少ししか母語としての話者が残っていない
 
100年前、それは巨大な帝国の「国語」だった。今では満州語は中国の北東部にある村の三家子に住む86歳のZhao Lanfengの皺くちゃな口を通して煙草の煙と混じって吐き出される。彼女が草葺屋根の泥のレンガの農家でしわがれ声で話すのは貴重だ。Zhaoさんはその村に残る流暢な満州語話者のたった二人の中の一人だといい、絶滅にひんしている言葉の最後の砦の一つだ。
 
中国最後の帝国の清王朝の憎まれた満州支配者が滅ぼされた1911年でさえも、その言葉は名前だけでの国語だった。満州人は当時のその国の人口の約2%を占めていたに過ぎない。ほとんどの人々は、かつては満州として知られていたその国の国境地帯からの民族集団の集合体である満州族によって1944年に征服された多数派の漢民族の言葉である、中国語を話す。最後の満州皇帝の(退位した時に6歳だった)溥儀でさえも、その言葉を生き続けさせようとする宮廷の根気強い努力にもかかわらず、流暢からは程遠かった。
 
もし何千でなくても、何百もの満州人は、多くは漢人の隣人から壁で仕切られた別の共同体に住んでいたが、報復的な漢人の軍隊によって革命の時に虐殺された。もっと多くは、迫害から逃れるために、名前や服装、そして彼らの先祖の明確な証拠となる他の特徴を変えた。しかしいくつかの離れた田舎の地域では、満州の生き方は長く持ちこたえた。三家子では、清時代にその村に住んだ満州軍の子孫は漢族の住民よりも多かった。Zhaoさんは満州語を話して育った。
 
彼女の育ち方は、そのようにした最後の世代だった。1979年には50人の流暢な話者が残っていた。(もう一人もまた86歳である)残った二人は時々満州語でお互いに話す。しかし、Zhaoさんが言うには、最後にそうしたのは約4ヶ月前だという。三家子の他の何人かも少しだけ満州語を話す。しかし、中国全体でZhaoさんのような人々はほんの僅かだ。一時は抑圧者だった人たちの死にゆく言葉を学ぶことに興味を持つ中国人はほとんどいない。政府の文書局員のWo Yuanfengは、その国にある1,000万の清の文書の内200万が満州語で書かれているという。しかし、中国にはその言葉の真の専門家である学者はたった30人ほどしかいないと彼は推定する。その言語の知識は、中国のはるか北西のシボ族に属する彼のような人々によって主に受け継がれている。シボの言葉は満州語に非常に近いが、Wu氏は、約2万人がそれを話し、その数も急速に減っているという。
 
約6年前、三家子はその国で最初の満州語の学校を立ち上げた。しかし、Zhaoさんはこれが多くの影響を与えるとは考えていない。満州語の先生は、彼女の満州語を理解しない、と彼女は語る。村の外にある大きな表示は、それを言葉の「生きる化石」だと宣言している。まもなくそれは死んだものになるかもしれない。
 
 
発行日: 
2011-10-08
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