法律と貧者

新興市場の裁判所は多くの人が推測するよりも貧者にとって良い

12月にインドの内閣は、人口の2/3に安い食料を得る権利を与える(法によって強制可能だと考えられた)「食糧への権利」法案を承認した。議会は依然としてそれに承認を与えなければならないが、その考えは流行の一部だ。インドの法律は、すでに、教育、保健、そして賃金労働の権利を約束している。そしてインドは、社会的と経済的権利をその憲法に組み入れ、これらの権利を施行するのに裁判所を使う多くの国の一つだ。インドネシアの憲法裁判所は、2004-06に政府に教育支出を増やすよう要求する裁定を出した。南アフリカの最高裁判所は、気の進まない大統領、ターボ・ムベキに、様々な反HIV/AIDS計画を始めるよう義務付けた。

法律を社会政策の道具として使うことは、正道を外れているように見えたかもしれない。今まで、学術的意見のバランスは、裁判所は貧しいものを助けるためにほとんど何もできないというものだった。理論的には、法律は誰かの好みを差別するよう考えられていない。実践的には、貧しいものは法に訴える余裕がないので、豊かな者は裁判所で有利になる傾向にある(彼らは誰かに買われた訴訟に頼っている)。法律は財産所有者を好むといわれており、フランス人小説家のアナトール・フランスが冷笑的にいうように、「威厳のある法の下の平等は、豊かな者も貧しいものも同様に、橋の下で寝ること、道で乞食をすること、そしてパンを盗むことを禁じているのだ。」

しかし、オースティンのテキサス大学のダニエル・ブリンクスと世界銀行のヴァルン・ガウリによる新しい研究は、この見方と対立する。法の記録は入り混じったものだと彼らは論ずる。貧者にやさしい国もあれば、逆進的な国もある。しかし、結局のところ、伝統的な知恵が示唆するよりも、貧者にとって良い。

その著者たちは、3種類の法的訴訟があると論ずる。規制を伴うものがあり、義務を伴うものがあり、対策を伴うものがある。規制の場合、政府に基本的な権利へのアクセスを改善するようルールを変えるよう強いる。義務の場合、権利に基づくサーヴィスを与えるよう義務付けられた人々の行為を変える(例えば、医学的治療についての情報を特許が持っている権利を書き出すことによって)。対策の場合、新しいものやサーヴィスを要求する(たとえば、法は国にHIVポジティヴの囚人にAIDSの薬を与えることを要求するか?)規制の事例は利益が普遍的なので、貧しい人々にとってのほとんどの望みを提供する、と著者たちは説明する。義務の事例は、裁定が普通すでにサーヴィスを受けているものにしか影響しないので、最も役立ちそうにない。対策の事例では、裁定の適用がどれほど広いかによる。

その著者たちは、それから、すべて新興市場だが、異なった所得水準、異なった法的伝統(慣習法のものもあれば、民法典のものもある)、そして社会政策に法を使う異なった歴史を持つ5つの国を見る。彼らは、それぞれの国で人口の貧しい方から40%の人々に行く、権利に基づく法の下での法的判断の結果としての利益の割合を計算する。

インドは、この方法によってもっとも成功したと彼らは見る。その裁判所は広い政策課題を提起する規制の事例を最も取り上げたようだ。その著者たちは、インドの裁定が少女たちの1年生の参加率を年に10%上げ、700万の子供たちを給食計画に運び入れたと計算する。試行に深刻な問題を抱えながら、関連した裁定の利益の84%は貧しい2/5に行っていると彼らは考えている。南アフリカもまた、規制の事例を広範囲に使っている。ここでは、貧しい人々は、保健についての法的裁定の利益の3/4と教育裁定の100%の利益を受け取った。

ブラジルの裁判所は、そのインドや南アフリカの仲間とは違って、広い影響に合わせることをほとんど考えていない。代わりに、彼らは個別の対策の事例を取る。しかし、彼らは、(たとえば薬剤の提供について年間4万件の請求といった)とても多くを聴いているので、彼らの裁定は広範囲にわたる影響を持っている。専門家は、長い間そのような裁定は貧しい人々の役にめったに立たないと推測してきた。利益が、よくやっているように思われる原告に限られているからだ。しかし、その著者たちは、法廷での一連の負けの後で、薬に補助を行っている政府機関はその行動を変え、それをより簡単に入手できるようにすると指摘する。その著者たちの計算によれば、ブラジルの医療訴訟からの利益の36%は貧しい40%に行ったという。すなわち、それらは少し逆進的だということだ。

インド、ブラジル、南アフリカと比べて、インドネシアは広い社会的問題についてほとんど裁判訴訟を持っていない。これらのほんのわずかの中には、教育支出を劇的に押し上げた裁定がある。しかし、インドネシアでの国家教育が中産階級を最も助ける傾向にあるので、その効果は依然として軽く逆進的だった。利益の36%だけが貧しい2/5に行ったのだ。それすらも、著者たちが3/4の利益が豊かな者によってとられたと計算するナイジェリアよりは良かった。これは幾分かは、多くのナイジェリアの訴訟が大学に関わっているからだ(たとえば、一つの請願は人々が私立大学を建てる権利があるかということを見たものだった)。
 

威厳ある結果

だから、経験的な結果は入り混じっているのだ。しかし、それは法律が豊かで教育を受けたものの利益に尽くすよう固定されたエリートのゲームであるという見方を支持しない。著者たちが彼らの全国的な研究を集計した時、彼らは様々な法的決定から来た利益の55%が貧しい40%の手に入ると結論付ける。そのような計算は、荒っぽく、手っ取り早いことは避けられない。理想的には、法によるときに費用と利益を、(計測するのが難しい)議会での同じ政策目標の追求のそれと比べるべきだ。そしてまた、「食糧への権利」すなわちほかの誰かにそれを提供する義務が、貧しい人々を助ける最善の方法なのかという疑問は残ったままだ。福祉の支払いを受給者の行動に条件付けにする目標を定めた現金給付計画は、よりよく機能するかもしれない。より広く言えば、選挙を経ていない裁判所が潜在的に費用のかかる社会的支出を命ずるとき、社会全体として利益があるのか、ということは明白からは程遠い。その研究は依然として新発見だとそれは言う。裁判所は、何十年もの間受け入れられてきた知恵が示唆するよりも威厳がある。

Free Exchange欄より
 

発行日: 
2012-03-31
雑誌名: 
記事区分: 
主地域: 
主カテゴリー: 
キーワード: 
0
まだ投票はありません

コメント

コメントを追加