階級闘争に対する戦い

 

誇張されたレトリックではなく、経済的な誤解は大統領にとって真の問題だ
 
アメリカでは、階級闘争の遂行を非難されるのに長い時間はかからない。その非難は、去年ミット・ロムニーが20万ドル以下の稼ぎの人たちだけが利用できるべきのある税控除を提案した時、こともあろうにありそうもない左翼扇動者によって彼に狙いが定められた。ロムニー氏の共和党候補者のライヴァルの一人リック・サントラムは、「階級」という言葉を決して使わないと約束したが、想像するには父親が知事で閣僚だったロムニー氏と暗示的に対照して、彼の地味な出自を指摘して似たような非難を行った。
 
そのようなコメントを荒れ狂うバスティーユと同等なものとみる人々にとって、バラク・オバマの最近の行為は1917年のサンクト・ペテルブルグを思い出させるかもしれない。ロムニー氏によれば、彼は少なくとも資本主義と自由事業制度を攻撃しているという。フォーブス誌の記事は、オバマ氏を、公平のために言えば「冷戦期の伝統にのっとった共産主義者」ではないけれども、「ヨーロッパ型改革マルクス主義の伝統にのっとった社会主義者」だと呼ぶ。2008年の大統領選挙でオバマ氏が打ち破ったジョン・マケインは「最悪の階級闘争」を見る。
 
オバマ氏のプロレタリアへの同情の主要な証拠は、ロムニー氏が設立し15年間経営したプライヴェート・エクイティ会社のベイン・キャピタルを強欲な法人略奪者として描いた、選挙運動で最近発表されたいくつかの広告だ。一つのものでは、ベイン・キャピタルが投資した製鋼工場の搾取された元労働者が、その会社を、事業から「人生を搾り取り」、仕事がないままにするだけではなく、彼らが期待している健康保険や年金もないままにしている、「吸血鬼」として描く。ほかの広告では、事務用品工場から解雇された女性が、ロムニー氏は「中産階級や下級階層の人々について何も気にしていない」と主張する。
 
これらの広告は、もちろん公平ではない。ベイン・キャピタルの多くの成功した投資を無視し、ロムニー氏の役割をはぐらかし、多くの軽減的な詳細を省いているからだ。ベインの金融技術者たちが、支配下にある企業から多すぎる利益を抽出し、最終的には破壊的な負債を負わせることによって、いくつかの例で計算間違いをしたと論ずることはできるかもしれない。しかし、オバマ氏の選挙運動の請負人は、ほとんど証拠のない主張である、無神経な資産剥奪屋としてロムニー氏の絵をかいて、より曖昧としており、よりおおざっぱだ。民主党員の中には、その広告を誤解を招くものだとして批判しているものもいる。もっとも注目すべきなのは、ニュー・ジャージー州ニューアークの民主党(そして黒人)市長であるコリー・ブーカーだ。彼は、二つの運動を候補者の過去からの無様な時に固着するのは「吐き気を催す」と表現した。
 
しかしながら、オバマ氏が最初にそのような非難を提示したわけではない。予備選の間に、すべてのロムニー氏のライヴァルたちがそうした。その一人であるリック・ペリーは、ベイン・キャピタルのやり方を「禿鷹資本主義」だと非難した。そのようなあざけりはアメリカの大統領選挙運動では普通ではない扇動者でもない。アル・ゴアはホワイトハウスへ向けたテーマの一つとして「人々対権力者」を掲げた。ハリー・トルーマンは、より辛辣な言い回しを、「農民の背中に三つ又を突き刺す」「特権を持った共和党の大食漢」に対して浴びせかけた。
 
対照的に、オバマ氏が自分自身を中間層の擁護者として配役し、「公平さ」を選挙運動の中心テーマにしようとした時でさえも、彼は利益や成功を悪霊化することを望んでおらず、金融サーヴィスの大多数の人々が良い糸を持っていると信じていると注意深く言う。彼自身、しばしば注記するように、1%のメンバーだ。彼が最初に選挙を自由にされた資本主義とより公平で規制されたものの間の選択だと枠にはめた演説の中で、彼は依然として「自由市場は人類史上で最大の経済進歩の原動力だ」と苦心して断言した。最高税率を40%のちょっとしたまで上げ、億万長者が少なくともその秘書たちと同じ税率を払うことを確かめるという彼の話は、ロベスピエールは言うに及ばず、フランソワ・オランドとも大違いだ。
 
オバマ氏は、多くの場合「よい仕事をする仲間たち」によって行われる「自由市場の健全な部分」と彼が言うところのプライヴェ―ト・エクイティについてわずかな種類の言葉を咽出すことすらしている。彼は、その産業自身には何の問題もないが、単に(たとえば共同体形成とは違って)未来の大統領にとって良い実験場だとは考えていないだけだ、と主張する。プライヴェート・エクイティには「利益の極大化」が存在し、「それがいつも共同体や事業や労働者にとって良いとは限らない」ので、ロムニー氏のその事業での経験失業者を仕事に戻す役に立つだろうという彼の反論は損なわれ、オバマ氏の議論が広がる。
 
 
 
いずれにせよ、公平さとはなんだ?
 
金融業者はアメリカ経済が救うべき対象である人々からの強欲な破壊者であるとオバマ氏はしばしば示唆しているようなので、その否認は少し不誠実以上のものだ。しかし、それを置き、共和党の空威張りにもかかわらず、彼のレトリックはまったく違法でも極端でもない。アメリカの中間層はあがいている。中間所得は停滞する一方で、豊かな者はますます豊かになっている。平均的なアメリカ人が公平に扱われるようになっていなかったり、少なくともかつてと同じような使いを受けていないと論ずることは簡単だ。問題は、有権者がそれについてもっとも気にするかどうか、または彼らが単に公平であるかどうかにかかわらず経済が再び景気づくところを見たいかどうかだ。
 
その場合、その選挙は公平さを中心題目とはせず、競争力をそうするだろう。ロムニー氏は、オバマ氏が経済がどのように機能し職がどのように作り出されるかについて何の考えも持っていないというのを好む。オバマの選挙運動がベイン・キャピタルに言っているやり方は、彼の批判が正しいということを示唆する。上に記したように、オバマ氏は利益追求と職の創出の間に争いがあるとほのめかすのを好む。しかしながら、長期的には、競争力のある経済では、それは意味がない。利益の出ている会社だけが職を維持することができ、そして彼らがより利益を出せば、彼らはより多くの資金を新たな労働者を持った新たな事業に投資しなければならない。オバマ氏はレトリックの行き過ぎではなく、経済的な混乱のために有罪だ。これははるかに心配すべきことだ。
 
Lexington欄より
 
 
発行日: 
2012-06-02
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