誘惑の名人 - ティツィアーノ

ヴェネツィア・ルネサンスのもっとも偉大な画家:(書評)Titian: His Life by Sheila Hale
 
シェークスピアが作家の中で目立っているように、ティツィアーノはその仲間の中で目立っており、シーラ・ヘイルの信ずべきそして読みやすい本は、彼女の主題の価値以上のものがある。
 
ティツィアーノは、風景、肖像画、そして性的覚醒の自然の世界を描いた。彼は宗教の力を否定せず、そして彼は記憶に残り感動させる祭壇画を描いた。しかし、彼のもっともよい作品は人生から描かれたものであり、豪華な公爵、腐敗した教皇、強力な皇帝の虚栄と欲望を満足させるために作られた。それは感覚を研ぎ澄ませ、喜びを与える。
 
彼は、プロテスタンティズムの起源、ヴェネツィアの衰退、そしてスペイン帝国の興隆を包含した混乱した時代である16世紀が始まる少し前に生まれた。ヘイル夫人は彼女自身が勤勉な研究者であることを示す。彼女の場所への敏感さと彼女のその時期への詳細な知識は、幾分かは、そのために彼女が1965年に仕事を始めた、著名なルネサンスの歴史家である、故ジョン・ヘイル卿との結婚の遺産だ。ティツィアーノを前景で描くために完全に必要なことよりも、時にむしろより背景があるが、歴史感覚はこの伝記を学術研究から区別しており、その強みの一つになっている。
 
ヘイル夫人は、40年以上にわたって訪れたり住んだりしているヴェネツィアに特に詳しい。彼女は、1500年代初めのヴェネツィアとその500年後のロンドンとの間に類似点を見つけ、喜ぶ。それは、商人、富を求めるもの、そして難民たちの多言語の町で、表現の自由に普通でなく寛容だった。ヘッジファンド・マネジャーが現在しているように、大いなる金持ちたちは、ティツィアーノのような見通しのある若い画家たちを買いあさり探し出すことにふけった。
 
性的自由主義は、ほかのヨーロッパの町でドアの上に「ヴェネツィア」と書いてあるとき、それはふつう売春宿につながるために、当然のこととみなされていた。若い画家の間では厳しい競争があった。ティツィアーノは、初めて生きたモデルを使い「ウルビーノのヴィーナス」のように寝そべった裸の女性を描くことによって反応した。彼の芸術は、その町の明白な興奮の雰囲気に影響され、強化された。
 
やがて、ヴェネツィア人は、当時の強力な人物によって、ティツィアーノの市場から高値で締め出されるようになっただろう。その画家は、ヘイル夫人が書くには、彼の芸術的な統合性を犠牲にすることなく(ように見える)最も高い入札者に仕えるだろう雇われ人だった。最後には、彼は神聖ローマ皇帝のカール5世とスペイン王フェリペ2世の宮廷画家になった。しかし、彼はその家族や友人(豪華で、豪華なひげを生やしたならず者のピエトロ・アレティーノがもっともよく知られた一人)と一緒にヴェネツィアに住み続けた。バイセクシャルの恐喝者で芸術批評家でもあったアレティーノは、教皇制の厳しい反対者で、同時に枢機卿の帽子を熱望している。ヘイル夫人は、彼に温かい。ティツィアーノは彼の判断を信じており、彼の鮮やかな会話を楽しんだ。どちらも女性の仲間を愛した。一人の夕食仲間は、ウルビーノのヴィーナスのモデルで達したふりをするのを拒絶することで注目されたヴェネツィアで2番目に高い高級売春婦だったアンゲラ・デル・モロだった。ティツィアーノは、彼のモデルたちを膝の上に座らせることを好み、結婚すらしたかもしれない。彼は、(これらの女性は闇の中のままだが)違った妻やパートナーとの間に4人の子供たちを持っていた。
 
しかし、彼の二人の息子たちとの関係については何の謎もない。ティツィアーノは、その長男のポンポニオに聖職者になってほしいと思い、その少年が快適に過ごせるようにするだろう任地付の聖職を彼に与えるようパトロンを説得しようとするのに数年を費やした。ポンポニオは友人たちとともに騒がしい生活を送ることを好んだ。父と息子は激しく口論した。アレティーノは、父親の名声が長男にとって重すぎる負担だと証明していると宣言した。しかしながら、二男のオラツィオは、父親の元を決して離れず、ティツィアーノが年老いはじめるにつれ彼の身の回りの管理を引き受けた。
 
オラツィオの一番の仕事は、その画家の最高の作品の多くを描いたカール5世とフェリペ2世につけになっている金を集めることだった。生活がいつも厳しかったオーストリア国境のそばのドロミーティの高地の小作農共同体から来たティツィアーノは、その財政について厳しく意識していた。彼は心配性だった。カールとフェリペは彼にかなりの額を負っており、彼を決して債権者の長い列の上の方にはおかなかった。それは、スペインの駐ヴェネツィア大使が皇帝に皮肉を込めて書くのを止めさせなかった。「年老いると、(彼は)幾分強欲だ。」
 
芸術に捧げた歴史家は、木に注目しがちだ。ヘイル夫人の意図は、木の穴を明らかにすることだ。ティツィアーノの芸術と彼の人生についてかなりの量が知られているが、その芸術家についての新たな調査は、学術論文や会議でばらまかれる傾向にある。例えば、その偉大なヴェネツィア・ルネサンスの画家についての主要な英国の専門家のチャールズ・ホープは、その人生において24本もの学術論文を書いている。ヘイル夫人は、彼女の「感謝の最初の負債」を彼に負っている、と語る。ホープ氏とは違って、ヘイル夫人は芸術歴史家ではない。しかし、それが、執筆に8年かかった彼女の伝記が1877年以来最初のその画家の包括的な肖像になった一つの理由であるかもしれない。彼の同時代人に「小さな星の中の太陽」(ダンテの「楽園」の中の最終節にちなんで)として知られたティツィアーノは、ルーベンス、ファン・ダイク、ヴェラスケス、レンブラント、そしてターナーに感銘を与えた。ヘイル夫人は、彼が現代絵画の父だと言い、矛盾なくそのような喜びを与えるものは確かに誰もいない。
 
発行日: 
2012-07-28
雑誌名: 
記事区分: 
主地域: 
主カテゴリー: 
キーワード: 
関連国名: 
0
まだ投票はありません

コメント

コメントを追加