良いことが多すぎる

指導者は自分たちの強さに気づくことを学ぶ必要がある

その強みのほとんどを利用しようとすることは指導者たちにとって全く当然のことだ。比較優位の理論は、国や企業と同じように、人々を得意なことに集中するよう方向づける。経営専門家は、マーカス・バッキンガムとドナルド・クリフトンによる『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす:Now Discover Your Strength』と呼ばれる最近のベストセラービジネス本のように、同意する傾向にある。ビジネススクール(や実にビジネスコラムニストも)が社長たちの人物像を描き出すとき、彼らはしばしば多いことが良いことだと推測する。しかし、これは正しいのか?3冊のより最近の本がいくらかの疑問を表す。『Fear Your Strengths』の中で、ロバート・カプランとロバート・カイザーは、「あなたが最もよくできることは、あなたの最大の問題になりうる」と論ずる。強さはいじめになりうるし、決断力は強情さに変わりうるし、礼儀正しさや優しさは優柔不断に発展しうるのだ。

その強みにあまりに頼りすぎている経営者は、すべての問題を釘だとみるハンマーになるかもしれない。力強すぎるボスは、その部下たちをスケープゴートに変えうるし、合意に取りつかれたボスは、うろたえを制度化しうる。政治において強みが弱みに変わった例を見つけるのは難しいことではない。バラク・オバマの高尚な修辞の才能は、彼を政策立案の基本からそらせた。フランソワ・オランドの普通の人になる情熱は、彼のその執務室にはあまりに小さくした。

ある組織の中で昇進するにつれて、人々は自分たちをそこまでたどり着かせた技能を実践することに快適になり、それらがより高い地位で働くときにどれほど有益かを尋ねることを忘れる。ハーヴァード・ビジネス・スクールのトーマス・デロングとその娘で精神医学者のサラ・デロングは、2011年の記事の中で、それを「優越の矛盾」と名付けた。一つの結果は、指導者が最後にはその部下(特に自分がかつてやっていた仕事をするもの)を細かく管理し、大きな絵を無視するようになるということだ。それはしばしば、ボスに正しいことを貧弱にするよりもむしろ間違ったことをうまくすることを選ばせる。2007-08年の金融危機の一つの理由は、大投資銀行とブローカーの責任者たちが、しばしばトレーダーとしてその評判をなし、長期的に管理するよりもむしろ大きなリスクを取ることで報いられたことだ。その例には、リーマン・ブラザーズのリチャード・ファルドやベアー・スターンズのジェームス・ケインが含まれる。

カプラン、カイザー両氏によって提示された解決の中には、社長が頂点を越えて進んでいるときに彼らに知らせるフィードバック機構を作り出すことがある(ある「話しすぎ」の人は、会議で話し過ぎたら保安官のバッジを上げる友人を得た)。彼らはまた、指導者がその強みを誇張しすぎていないか調べる指導力多芸指数を設計した。

『From Smart to Wise』の中で、プラサド・カイパとナヴィ・ラジョーは、現在の指導者が最も濫用しそうな強みは、アメリカ人が「スマート」と呼ぶものだ、と論ずる。これらは、大量のデータの中で傾向を言い当てたり、洗練された金融の道具を使うと言った能力である、経営者がビジネススクールで学んだり、コンサルタント会社で働いた時に取り上げた種類の技能だ。

カイパ、ラジョー両氏は、近年の最悪のビジネススキャンダルのいくつかは、何人かのもっともスマートな人たちとかかわっている、と指摘する。ジェフリー・スキリングは、エンロンの社長だった時に、スマートをあまりに強調しすぎたために、良い人格と常識を無視した。ラジャ·グプタが自分がどれだけ賢くてどれだけコネを持っているかを示すことに取りつかれたことは、彼をインサイダー取引に導いた。若くて慈善活動に入る前の姿のビル・ゲイツは、自分のIQを示し続け、1998-2001年のマイクロソフトの反トラスト審理の間に、傲慢で恩着せがましいと理解されることによって、彼の会社は好まれなかった。

『Tipping Sacred Cows』の中で、ジェイク・ブリーデンは、経営の美徳と呼ばれるものの多くは、変装した悪徳のようなものだ、と論じて、さらに先に行く。コンサルタントは、指導者が組織的優越の文化を創り出すよう奨励する。しかし、現在の革新はしばしば早い試作と「十分に良い」革新に頼っており、だからコンサルタントの助言を取り入れる人たちは、最善のものをよいものの敵にするリスクにさらされる。
 

暴露屋を暴露する

これらの3冊の本は、いずれも因襲打破の価値のある演習だ。しかし、指導力分析に応用するときの因襲打破の困難は、それを永遠にし続けることができることだ。多くの成功した指導者たちは、その強みを極限まで押したために、まさに成功したのだ。リチャード・ブランソンは、その二つの大きな強みを手を緩めずに利用することによって、ヴァージンを世界的ブランドにしている。大衆に超過請求し過小サーヴィスをする企業である「大きな悪い狼たち」と競争する能力と、ヴァージンに反体制文化的な個性を吹き込む才能だ。それがモーターボートに載って大西洋を渡ることであれ、女装してパレードしてまわることであれ、彼の曲芸の思い切りぶりは、その成功にとって重要だ。

指導力は、文脈に依存する。マーガレット・サッチャーは疑いもなく仕えるには悪夢だった。1981年に、彼女に最も近かった顧問たちは、彼女にとても腹を立てたので、彼女がより弱い仲間をいじめたり、同僚を公衆の面前で批判したり、称賛や信用を与えることを拒絶して、「良い人間管理のすべてのルール」を破っていると批判したメモを作った。それは、彼女が「(エドワード)ヒースとともに座った更なる失敗した保守党の首相になりそう」だと警告した。しかし、彼女のイライラさせるやり方はまさに英国が1980年代に必要としたものだった。

指導力の研究からあまりにしばしば落とされる言葉は、「判断」だ。ビジネスに関わる全ての人は、科学的であるとみられたいと熱望している。学者は研究費を獲得したいし、コンサルタントは彼らが単なる直感以上のものを売っていると証明したいからだ。しかし、判断が最も問題となることで、それは計測するのが難しい。(決断力と言った)一つの特性や(株価と言った)一つの成功尺度で興奮するのに抵抗するのは、判断だ。いつその美徳を調整し、いつできるだけの努力をするかを知るのは、判断だ。不幸なことに、判断は、指導力の多才が指し示すよりも不足している。
 

発行日: 
2013-06-08
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