TPP論議 その1

率直に言って、私は、TPPについてはどちらでもよくて、ほかにもいろいろ忙しいのでできることなら関わらないでいたかったのだが、選挙の前に日程上わかりきっていたことを消極的な立場をとっていたにもかかわらず、状況が何も変わらない中で立場だけ変えようとするそのやり方が気に入らないので、徹底反対の立場をとるものである。私の主張はただ一つ、TPP参加交渉に入りたいのならば、参議院選挙でそれを明確な争点に掲げて、その結果を受けた上で入るべし、というものだ。私としては賛否はどうでもよいのだが、行きがかり上反対の立場をとらざるを得ないことをあしからずご了承いただきたい。

さて、私はTPPなるものにあまり関心がなかったので、それがいったい何を目指しているのか皆目見当もつかなかったのだが、TPP交渉への早期参加を求める国民会議なるもののサイトを見て、ぶったまげた。まさにこれは経団連の信奉する原始宗教の教典のようなものではないか。これを見て、なぜTPPの本質的な議論がなされないのかがやっと理解できた。このサイトは非常に良心的なので、その姿を明らかにした上で議論しようとしているが、一般的なTPP推進論者たちは、自由貿易はすばらしいのだ、の一本槍で煙に巻こうとしている。つまりまともに議論したら合意が得られるわけがないと言うことを認識した上で、わざと本質を議論せずに推し進めようとしているのだ。これを読んで、自由貿易ってすばらしい、などと信じるものがいると期待できる人がいるとは信じられないからだ。

とりあえず一つずつ議論してみよう。一つ目は関税についてだ。これだけ貿易障壁に占める関税の割合が下がっている中で、未だに関税を一番大きな項目に掲げていること自体、この枠組みがいかに古くさいかを如実に示しているものであるが、とりあえず二点指摘しておきたい。一つは、そもそもGATTにおいて批判されたブロック経済化は、関税の多寡を論じたのではなく、地域ごとに差別的な関税があることによって、典型的には植民地との貿易とそれ以外との関税に差をつけ、市場を分断したと言うことではないのか?そうであるのならば、議論すべきなのは、関税を引き下げるか否か、ということではなく、いかにして差別的な関税を廃止するか、ということではないのか?FTAを結べば関税を下げるが、そうでなければ下げない、などというのは、自由貿易の観点から最も非難されるべきことではないのか?もう一つは、関税が絶対悪だ、という教条的な信念はいったいどこから来るのか、ということだ。これだけ全世界において財政危機が顕在化している中で、関税をなくし補助金を奨励するという手法がどこまで正当化されるものなのだろうか?もちろん税金などあるよりもない方がいいに決まっている。しかし、一方で財政再建の必要を声高に叫びながら、もう一方で関税をなくし補助金に置き換えるべし、などというねじれた理屈がどこまで通じるのだろうか?

続いて環境基準・労働基準について。これについては、理想はまあよいのだと思うが、基本的に世界的な基準を作るというのがどうにもうさんくさくてたまらない。個人的には各国ごとに環境基準を持って、それに合わないものは輸入できないようにするという方がよほど市場原理にかなっていると思う。個人的な意見としては、基準を決めなければ機能しないようなものは市場ではないだろうと思うのだ。なぜ世界的な基準が私の基準よりも優れているといえるのか?同じようになぜ世界的な基準が各国の基準よりも優れているといえるのか?我々がいやなものはいやなのだ、といってはいけないのだろうか?

政府調達については、市場原理に従って言えば、別に自国購入したい国は勝手にそうすればよいと言うことではないだろうか?調達先が狭くなればなるほど質は悪く、価格は高くなるのは当然のことであり、コストをかけてでもそうしたいという政府は、放っておくしかないのではないだろうか?買いたくないと言っているところに無理に売りつけることほど市場原理に反したことはあるまい。余計なお世話、ここに極まれり、という感じだ。

インターネットサービスについては、これほど手前勝手な議論はあるまい、という気がする。片方で関税はなくし情報アクセスの保証を求める一方で、もう片方では知的財産保護と消費者保護を語る。自由を主張するのならば知的財産も消費者保護も全部市場原理に任せるべきだ、と主張すべきではないのか?自由貿易を掲げながら、都合のよいところだけ保護の強化を求めるなどという自分勝手な言い分が通っていいわけがなかろうに。

とりあえず今日のところはこれくらいにしておきたい。

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