TPP論議 その2

首相訪米で、TPPについての共同声明が発表されたようだ。ふむふむ、関税は交渉の結果決まるものであって事前に決まるものではない、と。当然です、交渉にいくのに最初から結論が出ているのだったら交渉する必要もないわけだから。で、日本が交渉に参加するためには、自動車・保険部門、非関税障壁、TPP標準に合わせるための努力をしなければならない、ですと?えっと、それらは交渉の中で話し合うべきことではないのでしょうか?交渉に参加するための交渉でそれらを解決しなければならないと言うことでしょうか?なんかはじめと言っていることが違うように聞こえるのは私だけでしょうか?えーと、これは関税を引き下げるための交渉をする場なので、関税だけは交渉の結果で決まるが、それ以外のことは交渉に入る前に結論を得ておかなければならない、ということでしょうか?ちょっと意味がわからないですねぇ。日本が求めている工業製品の関税はたかだか一桁、それに対してアメリカの求める農産品は、ねぇ。どちらが頭を下げてお願いすべきなのでしょうね。それとも関税は絶対悪なので、それを高くしているだけで交渉上の立場が弱いとか?それならそれこそ交渉する意味がないでしょう。そうまでして一桁関税をなくす交渉に参加する意味があるのでしょうか?何のために、何の交渉をしにいくのか、もう一度頭を冷やして考え直す必要があるのではないでしょうか?これを成果だ、などと言って持ち帰ってきたら、たぶん鼻で笑われるじゃないでしょうか、普通の国なら。少なくとも私ならそうします。

さて、前回の続きを書いておきましょう。まずは知的所有権について。感情としては、苦労して生み出したものをまねされるのは許せん、というのは理解します。しかしながら、私の個人的感触としては、知的所有権制度はもはや発明促進の役には立っていません。むしろ既得権益擁護と政治的闘争とそれに関わる人々のさらなる利権の場になっているだけで、特許権があるから発明しよう、とかそういうインセンティヴの元にはほとんどなっていないでしょう。なぜなら、権利の認定自体がもはや客観的基準で決めることができないほどに高度化・複雑化しており、技術的要素(もちろんそれは必須条件であると言うことは認めますが)よりもその後の政治的駆け引きの方が大きな比重を占めていることは誰もが認めるところではないでしょうか。そして、発明が個人に属するという時代はとうの昔に終わりを告げており、個人ベースで何かを自分の知的生産物だ、と主張するのはかつてないほど難しい時代になっています。そういう時代に、社命で知的生産を行い、その生産物が社のものになり、利益がその生産者にほとんど回らないことを正当化するような現行の知的財産制度にどれほどの知的生産の促進効果があるというのでしょうか?言うまでもなく、知的生産は個人がするものであり、それに対する報酬は個人に帰すべきものであります。しかしながら、現行の知的財産制度は、知的生産の成果を個人に帰するのが難しくなったという現実を全く反映することがないまま旧来のやり方を引きずっているために、結局知的生産者自体よりも、その仕組みを知っているものを利する仕組みに成り下がっています。私に言わせれば、違法にコピーして利益を得るのも、合法的に仕組みに乗っかって人の生産物からピンハネするのもそんなに変わらないだろう、という感覚を持っています。そんな中で、現行の先進国、しかもその先進国間ですらも調整のとれていない、かつ(たとえば世界共通特許が成立し得ないといった意味で)今後もおそらく調整のとれる見通しはほとんどない知的財産制度を、わざわざ大上段に掲げて正義を言いつのるやり方は、私は好みません。

技術移転、ロイヤリティの話は、特に改めて議論するまでもなく、そんな国には進出しなければいい、とただその一点につきます。きてほしくないと言っている国の制度を無理矢理変えさせて進出しても、お互いにとって不幸なだけです。かつそんなことを交渉材料にさせている時点で、某核開発国と交渉しているのと同じことです。そんなことをやったら不利だと言うことを体で納得させなければだめなことを、交渉の要件とするそのセンスが私には信じられません。

規制変更の話も同じこと。そんな国に進出するのならば、よほどの覚悟を持ってやるか、そこまで食い詰めているのか、と後ろ指指されるか、そんなところです。どうしてもいかなければならないのならば、誰かさんが強く求める保険会社様の上得意様になって、是非国益のために交渉力向上に努めていただきたい、と思う次第です。

外資差別要件も同じこと。いやならいくな、ということです。こういうことを主張する人たちにいいたいのは、なぜ都合のよいときだけ国に頼るのか、ということです。国内ではさんざん国が邪魔をすると言いながら、外国の規制撤廃には自国の政府の力を借りようとする感覚は本当に理解不能です。自国政府は自国内で政策を実行するために存在するわけであり、他国の内政干渉をするために存在するわけではありません。自由を主張するのならば、自分で各種条件を比べあわせた上で、最善のところを自分の意思と責任の下に決めればいいわけであって、人さまに対して自分の都合に合わせてやり方を変えろ、などと主張するのは本当に傲慢というしかないでしょう。

続きはまた今度。

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