TPP論議5

いよいよ交渉参加とのこと。さすがは決断できる政治です。おめでとうございます。でも、私は、何だろう、この微妙な空気にとても耐えられないので、言ってはいけないのだろうが、空気が読めないので言ってしまいます。

「おお・・・、おおさま・・・、王様は裸だ!」

あーあ、言っちゃった。

一般紙を見てみて、重大な発表なので当然全文が載っているかと思ったら、要旨すらも載っていなくてびっくり。これはよほど重大なことを言い、それを隠しているに違いない、と思って地域紙を見たら、何の差し障りもない内容。ますます怪しいと思い、経済紙を読んで、ようやく全文を目にすることができた。読んでみたら、何のこっちゃ、記事にするだけの内容がないから載せなかった、という単純にそれだけのことではないか。まさにTPPお化け現る、という感じだ。何だろう、国家百年の計を語るこの内容のなさ。さぞかし空虚、いや違った、自由に満ちあふれた世界がやってくるのでしょう。

要するに、関税の聖域が認められたと判断したので、交渉に参加し、ルール作りに参加したい、ということらしい。何をどう判断したのだかよくわかりませんが、少なくとも私の目からは、3ヶ月前に約束したことを破っても大丈夫だと判断をした、と映りました。まあ認識は人それぞれなので、いろんな人がいるのでしょうが。それはともかく、言うまでも無いことですが、関税撤廃を目的にしているところに後発組が関税の聖域が担保された、などと大声で触れ回って入っていくとは、どういう外交戦略なのでしょうね。さぞかしハードな交渉をしていただけるのでしょう。で、何の交渉をするんでしたっけ?えーと、読んでみても具体的な目標設定が何一つされていないのですが・・・。私の気のせいでしょうか?まさか、すでに合意されていることにサインだけしてきて、それは全部交渉の成果だ、などとのたまう気は無いでしょうね。まさか、そんな恥知らずなことはあり得ませんよね、政治は結果責任だ、とあれほどおっしゃっていた方が。結果責任だというのならば、どういう結果を求めて交渉に参加するのか、という具体的なものを定めていただけなければ評価のしようがないではないですか。なんか無いんですか、一つぐらい強烈なインパクトで、これはTPPに入らねば、といえるようなもの。たとえば地方政府調達とか。そういう目標を設定して、それに対する評価をする、というのが普通の結果責任、というよりも説明責任だと思うのですが。白紙委任状を出して、私を信じてくれ、って・・・。勘弁してください。まあまあ、いいです、ルール作りですよね、自由な経済に向けた。じゃあ、この人たちは自由な経済というのをどういうものだと考えているんでしょうか?たった数日前ですよね、消費税の外税表示を『ありがたくも』数年間猶予していただき、その代わりに消費税還元セールの禁止を決めたのは。要するにあなた方の自由な経済とは、税の表示については言うに及ばず、販売方法までも決められた方法でやらなければならない、ということですよね。そういう『自由』なルールを世界に対して求めてゆき、それを国際標準にしたい、ということなんですよね。なんてすばらしい世界。

何だ、書いていてよくわかんなくなってきたが、要するに、嘘つきで、説明責任が果たせず、ルールの基本的理解が間違っているように思われる人々が、関税引き下げ交渉の場に、関税の聖域化以外には特に具体的な交渉内容も決めずに、自分が正しいと思うルールを押しつけるために、交渉に参加したいと発表した、ということですか?並の漫画でも見られないような、なかなかに荒唐無稽な設定ですねぇ。いや、嫌いじゃないですよ、そういうチャレンジングなところ。何というか、ちゃんと無事着陸してくださいね、という感じで。

というか、皆さん、あまりに無慈悲では無いですか?ここまで体を張ってネタふりしているのに、誰も突っ込まずにまじめくさった顔して聞いているとか。ここ、笑うところですよ、たぶん。そんなハードルあげちゃったら、降りてこられないじゃないですか。何だ、彼も『ルーピー』とかかわいいあだ名をつけられたおかげで、何とかまだ地上を歩いていられますが、みんながみんなまじめくさって彼の話を聞いていたらどうですか?すごいことになってましたよね。ここは誰かが勇気を出して、笑ってあげるべきだと思うのですが。

 

まあいいです。少しはまじめな話もしておきましょう。自由化について書く、といって書いていなかったので改めて書きます。現在の日本の(新?)自由主義の悲劇的なところは、第二次世界大戦で、日本が『自由な』アメリカに負けた、ということが完全なトラウマになっており、自分自身でまともに『自由』の定義ができないのにもかかわらず、『自由化』を推進するよう自己規定してしまっていることだ。要するに、アメリカ様のおっしゃる『自由』だけが自由であり、そのほかのものはそうではない、と決めてしまっているのだ。だが現実には、たとえアメリカの言う自由がどれほど理想的な自由だとしても、それが絶対的な自由となった瞬間に、それは自由ではなくなるのだ。なぜなら、自分の自由について自由に考察する自由が奪われるからだ。自分の自由は、究極的には自分だけの自由であり、他の人の自由ではない。そこをしっかりと踏ん切れないから、自由の論議があまりに薄っぺらなのだろう。いかにも借り物の自由というか、自分の頭で考えてなさそうと言うか。典型的なのが、遺伝子組み換え食品の表示の問題だ。これは、表示の自由化の問題ととることもできるし、完全情報が自由市場の基本である、との考え方もできる。つまり、自分が自由をどう考えているのか、という最もよい試金石だといえる問題なのだ。そこを5%以下だの何だの、合理的、説得的な理由が何もない線を引いている時点で、ああ、こいつら何も考えてないんだな、ということになってしまう。最終的に自分が何を自由だと考えているのか、の基準が全く見えないのだ。そんなことでは信頼できる人間だとは思われないし、自由化交渉に出かけていっても何も得るものはないだろう。というか、たぶん得るものがあるのか無いのかの判断もつかないのだろう。アメリカ様が自由になったと言えば、ああそうです、と納得してしまうのだから。私の個人的な意見では、そのような人たちに交渉に出て行ってほしくはない。何というか、見ている方が恥ずかしくなるから。
 

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